>「揺るる」作品は多いのにも拘らず、「揺れり」作品は希薄であるのは何か意味が
あるのでしょうか?自動詞、他動詞両方あることにも関係しているのでしょうか?
希薄であればその活用は自然消滅する可能性も無きにしも非ずのような気もしますが、
一応広辞苑等にも四段活用として厳然と存在していることに戸惑いを感じております。
二通り活用のあることの意義について教えて戴ければ有難いのですが。
「揺れり」が少ないとすれば、語感の問題と思います。質問者がどこか文学結社に属していらっしゃるなら、その仲間や指導者の方に相談なさったらどうでしょう。わたしだけの感覚で左右されるのは、避けられたほうがいいでしょう。
「四段活用」(現代語では五段)は古い時代から多く存在し、現在も五段活用として動詞の中心を占めていますが、一部には「下二段活用」が生まれた為に「四段」が 使われなくなったものもあります。例えば「触る」という動詞が四段活用であったのに、下二段になり、現在の「下一段」(触れる)として残っているのがその例です。「広辞苑」などは「古語辞典」を兼ねているため、古い「四段」も載せているわけです。
短歌・俳句とうの短詩形文学が、今も古文体を使用する傾向が強く残るため、こんな古い活用が引っ張り出されてくるのですね。
質問者の場合、字数制限の問題があって、「揺れり」(四段已然形+り)の形にこだわられるわけですが、「揺れたり」のように(下二段連用形+たり)のほうがずっと優しいのすが。「触れたり」の場合も同様です。
補足
>例えば「触る」という動詞が四段活用であったのに、下二段になり、現在の「下一段」(触れる) として残っているのがその例です。 ご回答ありがとうございます。 文語では二通りある動詞もあるようですが、口語では一通りに統一されているのでしょうか。