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存在状態の「ている」
❶バレてたら卒業できねえぞ、こら ❷精神的に負けてたらそれこそ負けるわよ ❸握力だったらは180は超えてんだ、こら ❹お前そんなことまでしてくれてたの? 1❶~❹の“ている”は全部“存在状態”を意味しているのですか? 2 ❶はなぜ:バレたら と言わないのですか? ❷はなぜ:精神的に負けたら と言わないのですか? ❸はなぜ:超えた と言わないのですか? ❹はなぜ:してくれた と言わないのですか?
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>お前そんなことまでしてくれてたの? お前そんなことまでしてくれたの? そのときの内容等にも寄りますが。 >お前そんなことまでしてくれたの 過去の一時の状況を指している、比較的直近、遠い過去の場合は、「あの時」等の補足が必要。 >お前そんなことまでしてくれて(い)たの 直近の過去というより、相当の過去において(過去完了=過去のすべて完了) 場合によっては、過去に反復継続して・・・もありうる。 参考 お前そんなことまでしてくれてたの?、全然気がつかなかった、(気がつくのは一瞬) お前そんなことまでしてくれたの、全然知らなかった(相当期間知り及ぶことがなかった)
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- moto_koukousei
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❶バレてたら卒業できねえぞ vs バレてたら卒業できねえぞ ❷精神的に負けてたらそれこそ負けるわよ vs 精神的に負けたらそれこそ負けるわよ ❸握力だったらは180は超えてんだ vs 握力だったらは180は超えるんだ ❹そんなことまでしてくれてたの vs そんなことまでしてくれたの どちらでも似た意味として使えると思います。 似ているけれど、「て」は実現したこと/完了したことを強調する気持ちを表現する語法です。 「確定条件」「仮定条件」と言われる文章構成では、順接、逆接などがありますが、「て」を強く発音すれば、それがポイントとなる重要なものだという気分を強くします。 「俺は○○大を目指してんだ」というのは、辞書だと「てむ」(て+む)で、話し手の強い意志や決心を表すということだし、「あいつは世界一を目指してんだ」の場合は「世界一を目指すあいつの決心や行動・自制心」の強さを認めているのを表現する例でしょう。 ❻お前そんなことまでしてくれてたの? vs お前そんなことまでしてくれたの? 疑問文なのかな。 疑問文だとして、「そんなことまでしてくれてた」は、感情的な感謝のような気分を込めていると思います。「そんなことまでしてくれた」でも「そんなことまで」の部分で深い感情的受取をしていることを示していますが、「してくれた」よりは「してくれてた」の方がその感情・感動・驚きなどを強く表していると思います。 なお、「の」は(言い切り文の文末に置いて、聞き手を意識した感動を表す)使い方と考えると、「お前そんなことまでしてくれてたの! vs お前そんなことまでしてくれたの!」と理解することも出来るかなと思います。 疑問文は、感嘆や感謝、驚嘆、共感の表明の誘いなどの意味やネライでも使うので、文字面やイントネーションだけでは、意味は確定できないことが多いです。 どちらにしても、「て」は、その行為に対して冷静客観的な表現で済ませたくない気分を盛り込むものだと思います。
- fxq11011
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てたら、は多分関西弁?、ばれていたら。 ・・・してる、と・・・している、の相違と同じ。 「い」のない表現は、現在形のごく普通の表現。 「い」が入ると、現在(過去)完了形というのか、動き等はすでに完了して、その状態が継続していることを表す、過去完了の場合は現在は継続していません。 バレたら・・・今バレたら、将来バレたら。 バレていたら・・・・すでに(過去)にバレており、その状態が継続(うやむや、または、もみ消されていない) >握力だったらは180は超えてんだ 180は超えているんだ(過去の計測で・・その状態に変化はない) 180は超えたんだ(いつの話?、30年前の話・・なんちゃって) 180は超えていたんだ(いつの話?、3年前までは・・) 参考 180は超えるんだ(今現在、おそらく当分の間も・・)
No.1です。 「精神的に負けたらそれこそ負けるわよ」だったらそうでしょう。現時点ではまだ負けていない(負けそうになってはいるかもしれませんが)けれど、未来の時点で負けたら試合(試験とか喧嘩とか、何か他のものかもしれませんが)にも負けてしまうだろう、という意味になると思います。 もちろん「あのとき精神的に負けたら試合に勝てなかったな」などという表現であれば「過去のある時点で負けたら」という意味になりますが。
「バレてたら」は「過去のある時点で『バレた』ので現時点では既に『バレている』、つまり『バレた状態にある』としたら」という意味です。 「バレたら」は「現時点ではまだ『バレていない』けれど未来のある時点で『バレた』としたら」という意味になります。 「精神的に負けていたら」も、「ある時点より過去のある時点で『負け』、その時点では『負けている状態にある』」という意味です。 「超えてんだ」は「現時点で『超えた状態にある』」という意味になります。 「超えた」は「過去のある時点で『超えた』」ことを表すので、この場面で用いると「過去には超えたけれど今は超えていない」というニュアンスが含まれてしまいそうです。 「してくれてた」には二つの用法が考えられそうです。 ひとつは「過去に『し』、現在も『している』、つまり過去から現在まで『し続けている』」という意味での用法です。 例えば「去年から今までそんな気遣いをしてくれていたのか」のような用法です。 「した」だと「過去に『した』だけ」という意味になるでしょう。 もうひとつは「過去に『した』ことが現時点(正確には現時点に近い過去のある時点)までは知られずにいた」という意味での用法です。 例えば「あいつは人を殺していたのか」のような用法です。 「あいつは人を殺したのか」だと上記のようなニュアンスはなくなりますね。
補足
「精神的に負けたら」となると、これも「負けたら」は「現時点ではまだ『負けていない』けれど未来のある時点で『負けた』としたら」という意味でしょうか?
補足
お前そんなことまでしてくれてたの? お前そんなことまでしてくれたの? その違いなんですか?