- 締切済み
グローバル化。何がいいの?
このカテゴリーでも、グローバル化を肯定している人を多々見かける。 「グローバル化っていうのはどこか特定の国の基準を押し付けるという話。そんなの何百年もやってきたこと。」 こんな事言ったら、「いいえ、グローバル化とは1970年代、地球環境が人類的課題だという意識が生まれた事で使われるようになった言葉であって、あなたの言っている事はグローバル化を誤ってみています」とか言うのでしょうか。 グローバル化を、肯定しているあなたに2点質問。 質問1 グローバル化の定義を述べてください。 (これを答えてくれない回答は、何も返答しようがない) 質問2 グローバル化を、肯定している理由は何? グローバル化に否定的の方は、推測で肯定派の理由を書いてくれれば幸いです。
- みんなの回答 (14)
- 専門家の回答
みんなの回答
- titelist1
- ベストアンサー率25% (712/2750)
定義は地球規模の普遍化。そのメリツトはコスト低減。 たとえば、数字、重さ単位、長さ単位、ガソリン、液化天然ガス 、自動車、ボルト・ネジ、合成樹脂、化学薬品、電波、電力、水道、などなど・・・・・。
グローバル化の定義を自分なりに述べると、 ・普遍志向 です。暴力的に単純化すれば、人間はみな同じ。そこには個別文化への配慮はいっさいない。そしてこの考えの思想的発信源は、明らかに西欧文化圏です(現在では、日本も含む)。 グローバル化を肯定するとすれば、それには良い面もあるから。歴史的に見てこれだけは西欧文化に特有のものと思えますが、そこには手続きの普遍化という考えがある。そこには普遍化しなければならない、という衝動が潜んでいる。なのである意味、超攻撃的な文化だと言えます。 しかしこうも言えます。 ・一定の妥当な順序で訓練を積みさえすれば、誰でも同じ事が出来るようになる。 (1) これは普遍志向最大の利点ですが、このためにこそ伝統的な秘儀や秘技は駆逐され、個別文化の最大の破壊者にもなり得る。さらに普遍志向は、自由主義経済と供に育ってきた。良くも悪くも首尾一貫して普遍志向を実践してきたのは、資本主義と自由主義市場だった。両者の相性は抜群に良い。そうすると、どこかへグローバル化の考えが輸入された時、(1)は次のようになる。 ・一定の妥当な順序で訓練を積みさえすれば、誰でも同じ事が出来るようになり、 ・理想的にはみんな平等に、(物質的に)いい暮らしが出来るようになる。 このペアの効果は無視できないくらい強力です。グローバル化をちょっとでも許容すれば、雪崩を打って資本主義と自由主義経済は浸透していく。 グローバル化には肯定的な面も否定的な面もあるが、自分は肯定も否定もしない。避けられないと思う。 >・・・そんなの何百年もやってきたこと。」 それはそうなのだが、今やその拡散スピードが何百年も前に比較して、途方もなく速くなっている。それには(文系的議論では、あまり注目されないが)技術開発の力が大きい(そしてこれも普遍志向の産物だ)。代表例をあげればインターネットです。 電気もガスも上下水道も全くない、狩猟生活を送ってるような地域の人々が、じつは携帯電話だけは、しっかり持ってたりする。それらの人々は、その国に一箇所しかないようなショッピング・モールで物々交換や買い物ついでに、携帯を充電しに行ったりします。 ある意味で空恐ろしいと事ではありますが、そのバイタリティーには感動します。ある情報を知ってしまった、または見てしまっただけで、世界観と世界が劇的に変わる事は、現実にあるんですよ。 現在の我々だって本当は日常的に、世界標準と日本的常識というダブルスタンダードの中で生きてるじゃないですか。避けられないグローバル化を毛嫌いするのではなく、ダブルスタンダードのバランスを保つ戦略を選んだ方が、現実的だと自分は思っています。
お礼
「グローバル化っていうのはどこか特定の国の基準を押し付けるという話」 に関しては、どう思います?正しい認識?間違った認識? >電気もガスも上下水道も全くない、狩猟生活を送ってるような地域の人々が、じつは携帯電話だけは、しっ >かり持ってたりする。それらの人々は、その国に一箇所しかないようなショッピング・モールで物々交換や >買い物ついでに、携帯を充電しに行ったりします。 その通り。 ただ、このような自由経済も、グローバル化なのか。 ただの経済発展のような・・・。 もしこれも「グローバル化」であるなら、私は自由経済に関しては否定しない。むしろ積極的に肯定する。 ただ、デヴィッド・ハーヴェイの新自由主義の定義「"自由競争"の大義名分を掲げつつ、実際には"不公平な競争"を助長するものであり大企業優先の国家介入を指す」と言う新自由主義は否定する。 No2さんの私の返答で部分的に、グローバル化を肯定していると私は言いましたが、これに関しては全否定。 新自由主義は、経済的にも有害ですし、圧倒的多数の一般国民にとっても何の恩恵もありません。 今その経済が主流になりつつあるのは、金持ちだったり権力や利権がある強者のグローバリストが、マスコミや政治家を動かしてグローバル・スタンダードを作っているから。アメリカはその急先鋒で、オバマケアのアメリカ国民の保険非加入違法化法案や、イラクの増派は、支援を受けたグローバル企業やグローバリストへの見返り。それで彼らは世界でも金儲けしやすいようにグローバル・スタンダードを押し付けてくる。 良いグローバル・スタンダードもあれば、悪いグローバル・スタンダードもあるが、総じて言える事は、「グローバル化っていうのはどこか特定の国の基準を押し付けるという話」と一言に尽きるのではなかろうか。
- IDii24
- ベストアンサー率24% (1597/6506)
>質問1 グローバル化の定義を述べてください。 自国の文化を的確に他国に伝えられる能力と他国を理解する能力。 >質問2 グローバル化を、肯定している理由は何? 否定するということは孤立を意味するから。鎖国ならかまわないけど、日本は海外に売りたいのがみえみえなので、ならグローバル化すべきじゃないでしょうか?売りたいけどお宅の国の文化は認めないとか人間として言えないですよね。 今現在海外との関係を絶つ場合中国から攻められても、アメリカは関係ないということになり、おそらくは日本国は成立しないでしょうからね。 グローバル化しない代表が北朝鮮ですけど、ああいう国になりたければよいのでは?あれも幸せな人は幸せなんでしょうから。
お礼
>自国の文化を的確に他国に伝えられる能力と他国を理解する能力。 ん?この定義は「グローバル化っていうのはどこか特定の国の基準を押し付けるという話」と言う反対の意味があるのか、肯定の意味があるのか良く分らない。 あなたは、「グローバル化しない代表が北朝鮮ですけど」と言っていますが、何でですか? 「他国を理解する能力」が、グローバル化ではないのですか? 閉鎖的な国では、コミュニケーションすら出来ない。その為、他国を理解する事もできない。であるから門戸を開放すべき。 そうやって、もっともらしい価値観を他人に押し付けるのがグローバル化って事でしょ。 つまり、「グローバル化っていうのはどこか特定の国の基準を押し付けるという話」と言う事じゃないの? >今現在海外との関係を絶つ場合中国から攻められても、アメリカは関係ないということになり、おそらくは >日本国は成立しないでしょうからね。 >グローバル化しない代表が北朝鮮ですけど、ああいう国になりたければよいのでは?あれも幸せな人は幸せ >なんでしょうから。 私が、グローバル化に反対していると思っているのでしょうか?確かに、こういう質問しているので、そう思われるのは当然かと思います。実は私、反対派ではないです。でも、嫌だなぁ~。と言う思いです。 嫌だけど、でも仕方なくない?だって、強い者が支配する世界っていうのは自然の摂理でしょ。そう言うの嫌ですが、どうしようもありません。弱者は、強者の作ったルールに従うしか選択肢がありません。そして、「どうやってこのルールでのし上がるか」に関して努力するのが、弱者の最善策です。明治維新の日本はまさにそれをやり遂げました。(当時の日本は今と違って、国益になる押し付けは受け入れ、国益にならない押し付けは否定出来るインテリジェンスが備わっていた。) グローバル化という、強者が弱者に押し付けているルールに、従うと言うのは自然の摂理です。 グローバル化に積極的に賛成な人は、そのルールで得をする立場の人か、その得をする立場の著名人の言葉に影響された単なる馬鹿か。あるいは、私のような強者至上主義者か。(私は積極的には賛成してませんが) あなたも、私と同じ強者至上主義者ですね。 「ああいう国になりたければよいのでは?」と言う言葉に、よくその価値観が現れています。
- trytobe
- ベストアンサー率36% (3457/9591)
まあ、質問2 の実現のために、質問1 の定義をあいまいに変化させるのが目的の経営者がほとんどなんだろうな、と思ってみています。 日本人に日本円で払う賃金より、開発途上国の安いレートでの労働力を使ったほうが英語も話してくれるし、 日本人相手だけではなく、英語でビジネスできるマーケットと資材調達・製品輸出したほうが低コストで大量生産できるし、 という本音を隠すために、日本人労働者に英語公用語化とか海外飛び回る生活を当たり前と洗脳するための便利なおまじないが「グローバル化」なんじゃないですか。
お礼
回答有難うございました。
- 1
- 2
お礼
回答有難うございます。 本当にその定義の、「グローバル・スタンダード」で物事が進む世界だったら、どんなに良い世の中だったろうか。誠に残念である。