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時間とお金の考え方

「時は金なり」と言います。 では、時はお金に換算してどのぐらいなのでしょうか? 例えば年始を過ぎてコートを半額で買えたとして、数千~数万の節約で年始までコートを着れなかった、と考えると必ずしもお得とは言えないですよね。この場合いくら浮いたら「お得」なのか?寒く過ごした数ヶ月はいくらと考えられるのか? 他、家を早くにローンで購入するかお金を貯めてから買うか、また割高な商品だけどこの後探す手間を考えると買ってしまった方がいいケースなど。 お金と時間のバランスの良い考え方を知りたいです。計算方式などあると良いです。よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.8

●冬のコートとかどう考えれば良いんだろう ○先に回答したとおりです。 「冬のコート」のケースは「時は金なり」には当てはまらないものです。

altcure
質問者

お礼

諺の意味からは少し外れるのかもしれないですね。

回答No.7

じゃあわかりやすい例え話にします。 営業でお客さんのところに直接訪問しなければならない、とします。 歩いて回ると1日で10軒行けました。 車で回ると1日で20軒行けました。 この時、経費という点では「歩いて回る」が優位ですが、営業成績があがる可能性が高いのは「車で回る」です。 営業においては移動時間は無駄ですから「時は金なり」なら経費をかけてでも車で回るほうがよいのです。 これが旅行のように「移動することも目的の一つ」なら時間の許すかぎりゆっくり移動してもよくなります。ただ旅行でも「旅費がもったいないから可能なかぎりたくさん回る」もありになります。

altcure
質問者

お礼

まさにこのケースは時間がお金ですね。 さて、営業に車を使うことにより徒歩よりもいくつ成果を挙げられれば車代を補えるか?で考えれば、この例は分かりやすいかもしれないですね。 冬のコートとかどう考えれば良いんだろう…

回答No.6

#2です。 では、金額換算するとして…。 一般解はないと考えていいと思います。あなたがバスを待つ気になった時とタクシーを飛ばしたい時の金額と到着時間の差から算出できる分あたり単価(もちろん徒歩との差でも算出できますね。) あるいは想定年収と想定余命で一生分の平均分単価をだすとか。 または死後にこの確定値で算出するとか。 この確定値を相当量(人数分)集めると、平均的な人生の分単価が出ますねぇ。 これで収入サイドはいいですが、支出側の日単価もないと資料として不充分かと…。 どうでしょう。

altcure
質問者

お礼

むむむ、考え方のイメージは近いんですがよく分からないです汗 具体例あるといいんですが 確かに収入だけじゃなく支出面の平均?からも考えないといけないですね。

回答No.5

「時は金なり」は「時間はお金と同じで無駄に使ってはいけない」という格言であって時間をお金に換算することではありません。 よって「コートを買う時期」を「時は金なり」で言えばは「必要なコートを買うことに迷っているのは無駄」となります。 「値引きされるまで待つ」かどうかは節約や買い物術の問題です。 例えば「欲しいコートが値引きされるまで別の安いコート買う」では結果的には無駄遣いになります。 「欲しいコートが値引きされるまでコートなしで我慢する」あるいは「今のコートで十分だから買い替えない」なら節約になります。 ただ「コートを買わずに風邪を引き、医療代がかかった」では意味がなくなりますからそれだと「値引きされるまでコートなしでがまんする」はあまり賢い選択ではなくなります。 お金と時間のバランスで考えるなら「移動手段」で考えるとわかりやすいでしょう。 例えば30分後に着けばよいところに「30分歩いて行く」のか「タクシーに乗って10分でいく」のかであれば金銭の節約という点では前者になります。 それが「タクシーで30分かかる」ところを「一時間半かけて歩いていく」のは時間の無駄といえます。 その時のシチュエーションによってお金と時間を天秤にかけるのであって一概には言えません。

altcure
質問者

お礼

もしお金がまったくなかったら一時間半かけて歩いて行くのも選択肢ですよね。 「その時のシチュエーション」の考え方をできれば定量化して考えられないかと思いました。(期待値とか??)

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.4

ご質問からずれるとは思いますが、時は金なりではなく時は命なりだと言っていた人がいますが、私はこの意見に対してなるほどと共感しています。時間の価値をお金に換算する代わりに生きている時間が自分の時間であるという考え方は老年になったら誰でも実感します。いわゆるバイトで、若い人が時給1000円もらっているとしても、これはやっていることの価値なのか命の値段なのかわからなくなります。バイトの代わりに自分の好きなことをやっているほうが命を大切視している、すなわち時間を大切にしているともいえます。好きなことをやるには、金が必要というのは必ず言われる反論ですが、自分の将来にとって大切なことをバイトで学べなければ自分の命、すなわち時間は時給そのものになってしまいます。 これもずれるかもしれませんが、特に人生の長い後半一番の倹約はそれまでに十分の教養を身につkておくことです。教養がない老人はお金で退屈を紛らす以外することがなくなります。

altcure
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 時は命なり、確かにその通りかもしれませんね!

  • gisahann
  • ベストアンサー率37% (973/2616)
回答No.3

あなたの論法は主題と矛盾します。(先に回答のあった所を見た上で) 節約の術は、身の丈(甲斐性)と比較して考えるべきです。 金額の張るものはやはり無駄遣いに近いです。そのために普段の生活を犠牲にし病気の元でも作れば 何をかいわんやですね。 いくらでもそれに変わる次善の策があるもので、時に勉強して下さい。 けれども貧乏人の安物買い=無駄金を使う機会も多いです。 そのものの効果と見合う事が条件です。 満足を金で買う、1点豪華主義で頭を癒す。美しくするには金をかけるか手間をかけなければなりません。 どちらにしても借金の利息だけは無駄金です。  

altcure
質問者

お礼

豪華なものを買ってお金をなくす、小金を惜しんで不便を強いられる、少し安くなるまで長く待つことの意味、そういった考え方のバランスを知りたいんです! 仰った身の丈というように、自分の収入の大きさは関係が関係してきそうですね!

回答No.2

金額換算の問題ではなく比喩として浪費を諌めたものとして理解してください。 光陰矢の如し、と同じですね。 遅疑逡巡よりも実行をすすめることわざは他にもたくさんあります。

altcure
質問者

お礼

ことわざの意味はともかく、時とお金の関係のバランスの考え方を知りたいんです!

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.1

「時は金なり」は二つの意味があると思います。一つは貸したり借りたりしたお金の金利のことで、もう一つははたらいてもらえる時給、月給のことです。価値判断とは関係がないと思います。

altcure
質問者

お礼

関係ないのですか…でも時の価値とはどのぐらいなのでしょうね!?

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