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ピカソがわからない

芸術は、その人の個性が重要だと思うのですが、ピカソの絵は個性と言えるのでしょうか? 物凄く緻密で上手な絵を追求した先で、それを崩すやり方を発見する。これはピカソだけに限らない、何かへの到達に至る一つの方法論のような気がします。 難しそうですが、何か気づいたり、感じたことがあれば、お教えください。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.13

noboundさん おはようございます。No.4で回答したものです。 どうやら質問者様の疑問から脱線した回答をしてしまったようなので、再投稿いたします。 評論家の小林秀雄に言わせると、絵を見るときは心を真っ白な状態にして絵画を鑑賞し感動することが大切で、作品についての薀蓄を知ってから、絵画を観ても心が曇り絵の本質というものにはせまれないと言ったそうです。 ですから、その考えが正しいのなら、先の投稿のように多視点がうんぬんなどといってピカソを観ても私はピカソの絵の本質がわかっていないのかもしれません。 ちょっと脱線しますが、小林秀雄は自宅にゴッホが命を絶つ数日前に描いたと考えられる、麦畑にカラスが飛んでいる絵を気に入り複製画を飾っていたそうですが、オランダで本物を観た時、これは創造でなく破壊だ、本物より私の家に飾っている複製画のほうが断然いいと評論して、美術界から絵の良さが本当にわかるのか!と批判を受けたそうで、美意識がどこまでだったかはわかりません。美と感じるか醜と感じるかは人それぞれと思います。 本論に戻りますが、小林秀雄が、ゴッホの絵を観た時に使った、創造と破壊と言う言葉にピーンときたのですが、ピカソの代表作であるゲルニカを観た人々は、もしかしたら、戦争という破壊行為(醜)を、ピカソの絵の中にそれまでの絵画を破壊(醜)した形で創造(美)して描かれていたのに感動したのではというのが、素人の私の考えで、そのために人口に膾炙したのでは?と考えます。 ピカソの文献は読んだことはありませんが、おそらく真っ白な心でピカソの絵をパリ留学中に観て感動したと思われる岡本太郎の言葉を添付します。 何だこれはと惹きつけるもの。燃えたぎるものが芸術だ!

nobound
質問者

お礼

 小林秀雄は好きで、いろいろ読んでいますが、「ゴッホの手紙」はまだ読んでいません。  小林秀雄の特集本を読んでいたら、  「沈黙の力に耐えよ」 という表現がありました。ゲルニカの前でじっと見入ってしまう感じですね。芸術に至る道は、沈黙でしょうか。    「創造と破壊」も難しいテーマでまだまだよくわかりません。さらに考えてみます。いろいろ興味深い内容ありがとうございました。

nobound
質問者

補足

小林秀雄の記述が、「どう生きるか」という次の問いにつながったので、ベストアンサーに。

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その他の回答 (14)

回答No.4

NOBOUNDさん こんにちは。 久しぶりにこのサイトに投稿いたします。 私も絵は写実的な絵が好きなほうで、ピカソが友人の死でどん底にいた青の時代の絵のほうが好きですが、キュビズムの人物や物をいろいろな視点見たものを組み合わせるといった2次元の絵画だからこそできる斬新さに最近ピカソの絵が好きになってきました。 物を多視点から見て2次元の絵画に構成するという方法は、元をたどればセザンヌが「りんごひとつでパリを驚かせてやる!」と言って晩年評価されるようになった静物画に私の知っている限りでは遡るようです。 哲学カテなので、ちょっとそれらしくしますが、新しくものごとを創造するという思考方法もそのような多視点から物事を観察し、ひとつにまとめるということが大切ではと思ったりしております。 しかし、簡単そうですが、ピカソの構図は絵画の基礎をしっかり身につけた上で、天才じゃなとと描けないとのこと。 私も趣味で哲学をしてますが、基礎知識がしっかりしていなかったために、泥沼にはまってしまいました(笑) もう一度初心に帰って簡単な哲学の啓蒙書を最近読んでます。 では、泥沼から這い上がるべく頑張ります。

nobound
質問者

お礼

 多視点からの観察と、基礎作りということですね。  また後で書かれているようなので、そちらも拝見したいと思います。ありがとうございました。

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  • Him-hymn
  • ベストアンサー率66% (3489/5257)
回答No.3

ピカソもそうですが、近代の形を崩したと思えるような絵の出現の背景には、そもそも、従来のように、人物や風景をある程度忠実に描写することが、しづらくなった、つまり写真がその役割を奪ったということがあります。画家は当然、自分の絵の意味を考え、写真との違いを模索しました。 ピカソに関して言えば、ブルーの時代を経て、明るい色の時代、そして形を崩し始めるキュビズム(彫刻の影響あり)を経て、シュルレアリスムへ、ゲルニカへと、抽象画の中に現実を求め、思想を反映させていったわけで、単に形を崩したというより、見た目以上の真実を求めたとも言えると思います。 たとえば、カンデンスキー(Wassily Kandinsky)など、整った描き方→形を崩した描き方→記号化する描き方と、3つに分けて見ることができます。 まず、現代芸術は多様化していますが、ピカソのような抽象画には記号が埋め込まれていたり、感情が形になって現れていたりしますので、それを読み取ったり、感じ取ればいいのであり、また、鑑賞者によっても、絵は違ってくるのであり、自由に絵を見ればいいのだと思います。そういう意味で、見たものを忠実に描こうとする絵にはない魅力が、ピカソなどにはあり、私はとても魅力を感じます。もちろん、ピカソの絵を見れば、私でもピカソだろうと思えるものが多く、その意味でもピカソは極めて個性的だと思います。 なお、こうしたものの、アンティテーゼとして、現代では、従来になかったほど、神経質なほどに、細かく写真以上と思えるぐらいに忠実に見たものを描写する絵もあります。それはそれで、単に忠実に描くというより、もっと深い思いがこめられていると読み解いてよいかと思います。 以上、ご参考になればと思います。

nobound
質問者

お礼

いろいろと興味深い示唆をありがとうございます。 ピカソの絵を見て、ピカソだとすぐわかることは、充分個性的たということですね。 今回知りたいことは、ピカソが近代の形を崩したということと、記号化へ至る道ですね。ピカソの変化は、どういう意味があるのか、どういう真実を求めたのか。ちょっとでもその思いを覗けたらという興味です。

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  • asisai888
  • ベストアンサー率15% (11/73)
回答No.2

ピカソはピカソのような描き方を最初に発見した人であって いわばピカソという人間が持つ個性がにじみ出たものではなく 今までにない技法を編み出した先駆者でしかないのではなかろうか というふうに質問を解釈しました だとするならば、もしも芸術が個性を表現するものであるならば その人にしか描けない絵が存在するはずです つまり、そんな絵が存在するならば、ピカソに似た絵は描けるけど、本物の ピカソの絵のような迫力を出すことができない ピカソが描くピカソの絵こそ唯一無二な表現となってる そんな絵であるはずです そして絵の印象は人それぞれですから理屈で個性云々は言えないと思います あくまであなたや私の感性でもってピカソの絵を見たときピカソにしか描けないという 確信を得るならピカソの絵は個性と言えると思います ちなみに私はピカソの絵は個性とは感じません 適当に描いた落書きのように見えます

nobound
質問者

お礼

ありがとうございます。 「ゲルニカ」は確かにすごいと思いました。たたそのすごさを個性的といっていいのかどうか。ものすごく計算された総合芸術のようにも思えます。専門性がどう解説しているかも興味深いです。

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  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.1

「キュビズムの歴史」を調べていくとわかりやすいかと思います。 「崩す」のはたしかに崩しているわけですが、それにもちゃんと理由…というか「必要性」があったようです。 あくまでも私の印象ですが、それは「進化」であって、構築してきた、今までの「やり方」から逸脱することを重要視しているわけではないと思います。 見た目だと、あまりにも奇妙な絵なので、それに目を奪われがちになりますが…画家としての「個」はそこにはない気がします。 あくまでも手段…個を訴えかけるのに必要だった手段が、キュビズムという形をとったのだと考えます。 私もあまり詳しくないので、詳しいところは御自分で調べてみてください。

nobound
質問者

お礼

絵にはほとんど詳しくないのですが、あの崩しかたを、キュビズムというのですね。 逸脱ではなく、進化だと確かに思います。 ありがとうございます。

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