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大学時代の振り返り、主体性と自分の意志について

内容としては、私のくだらない身の上話と、悩み相談になるのですが、聞いてくださると幸いです。 自分の意志と、主体性について。 当方、今年に大学を卒業し、現在は塾講師として働く23歳社会人の者です。 もう数年前のことになるのですが、恥ずかしながら、今になってもそのことで時々、自己嫌悪に陥ることが多いので、大学時代に失敗したことについて自己評価(そんな大そうなものではなく当時の自分の気持の消化や出来事に対するふりかえりなのかもしれません。)をしようと考え、投稿させていただいております。 私は、某大学の英文科に入学し、勉強に励む以外に、折角、大学に入学したのだから課外活動をしてみたいという漠然とした気持ちを持っていました。 当時の私には、特に大学でやりたいと思えることがなく、その一方、周囲の友人はやりたいことを明確に持っている人が多く、私は「自分のやりたいこと」や、そして「将来のことを考えて今、打ち込むべきこと」を探そうと思い、様々な部活動やサークル、学生団体、NPO法人などに足を運び、興味をそそられるようなこと、将来の自分に直結しそうだなというようなものを探しました。 しかし、特に「これをしたいな」いったものに出会えず、焦燥感ばかりつのってしまい、そんな自分と周囲の友人達と比較して、彼らへ羨む気持ちを抱く反面、劣等感がつのりました。 そこで、そんな私を見兼ねて、友人が大学周辺にあるNPO法人(学生が半数、社会人が半数といった割合で、子どもたちへのレクリエーション活動のみならず、東南アジア諸国の植林活動をはじめとした国際関連事業、不登校の子どもたちへの支援活動などを行っている団体です。)が主催する子どものレクリエーション活動へと参加を進めてくれました。それがきっかけとなり、イベントに参加者(大学生リーダー)として参加することとなりました。 私は、そこで様々な先輩や友人と出会いました。そこには、自分達が主体となって、子どもたちにイベントを行い、良い影響を与えたい、NPOで培った能力などを社会で活かしたいなど様々な信念、意志を持った人たちがいました。 私はそんな人たちに囲まれ、そんな人たちに憧れました。「自分は主体性がなく、これといった信念も持ち合わせていないな。そんな自分を変えたい」と思い、その団体に入ることを決め、そして1年生の後期からはイベント参加者としてではなく、イベントの主催者側として関わることを決め、1年間半にわたる子どものイベントの副代表として様々なことに関わうと決め頑張ってきました。当初は、子どもたちと関わることが楽しく、そしてイベントを周囲と一体になり自分たちの手で作っていくことの楽しさを感じながら充実した日々を送っていました。 (先輩方にはよく迷惑をかけて叱られましたが 笑) ところが、イベント代表である同じ学部の友人が、数々の大きなミスを起こし代表を解任され、副代表である私が代表となり総合責任者となりました。 その時の私は純粋に子どもが好きではなく、イベントにリーダーとして参加してくださる学生や、社会人の方と触れ合ったり、一緒にイベントを作り上げて行くことが好きということに気づきました。 私には、子どもに対して何かしてあげたいという強い意志、このイベントをこうしたいという主体的な気持ちが全くないことに再度気づいきましたが、途中で責任を投げ出してしまっては残されたメンバーに迷惑がかかるということ、そしてせっかく自分の変わりたいという意思を無駄にしたくないという気持ちもあり、私は代表を引きうけました。 しかし、このイベントは20年ほど続き、その代表は子どもがとても好きで、子どもに対して何かを感じてもらいたいという強い意志を持っている人がほとんどだったと言われており、子ども自体にはそれほど興味はない私がいざ代表になってみると、周囲から「期待外れだった」とか、「子どもに対して何かをしてあげたいと思う意志が伝わらない」、「イベントの意義がわからない」と言われました。その後私は反省を繰り返し なんとかもがきましたが、全く子どもを好きになることはできず、イベントを通して伝えたい意志も出せず、結局、形だけのイベントとなってしまい、残りの半年くらいは「何とかしよう」という意思もなく惰性で続けていたように思います。 そのイベントが終わった頃に私は3年生になりましたが、そのイベントに注力し過ぎて、心が燃え尽きてしまい一時期勉強もバイトも身に入らなくなり、ふさぎ込みさらに消極的な性格になってしまいました。その後、悲観的な気持ちを抑えながらも、なんとか単位を取得して卒業し、塾のアルバイト先から社員にしてくださり、精神的な悩みも和らぎ、徐々に自分を肯定しながら頑張れてはいるのですが、  そのイベント以来、自分には自分の意志、主体性、強い信念のようなものが無いのだということがわかり、それを責めるようになり、く社会人になった今でも昔の気持ちが出てきます。また、社会に出ても主体性、意志を身に付けていない自分がふとした瞬間に露呈されるのが怖いです。無責任な人間という目で見られないかも心配です。そのような消化しきれない感情が出てくると、「自分は能力不足だ」、「自分は意志がない」という劣等感に悩まされます。 そこでみなさんに質問ですが、意志や主体性などはどうすれば養えるのでしょうか。今後、重い責任が出てくる場面で自分がそれに耐えられるのか心配です。 なんとかもっと成長して(精神的にも、能力的にも)頑張っていきたいと考えていますので、どうかご忠告くださると幸いです。

みんなの回答

回答No.4

自分を否定しない。 禍福は糾える縄の如しと言うでしょ。 どんな事象も視点を変えることでポジティブにもネガティブにもなります。 学生時代のその経験だってポジティブに見ればいろんな成長があったはずです。 生きるということそれ自体が自分の意志によるものであり、主体性の発揮だと私は思いますよ。

  • pigunosuke
  • ベストアンサー率19% (1063/5529)
回答No.3

人には誰しも 得意分野、苦手分野が有るものです 得意な分野で力を発揮できたとしても 苦手な分野では力が発揮できない事は有ります あなたは、ようやく 自分の得意な分野、苦手な分野の形が見えてきた所です 今からどう頑張るか、どう工夫するか で 今後のあなたの評価は劇的に変化します 大切なのはまさに今、この時 です それではどうすれば良いのか? 答えは一つではありません、 色々なやり方があります 今回の活動で例をあげてみると ・子供たちと交流する事を楽しめる人を探す ・なんとしても、自分の力で子供たちと向き合う ・諦める ・方向転換をする などなど ぱっと思いついただけで4種類のやり方が考えつきます 4番目に上げた、方向転換する というのは 前任者が積み上げてきた物とは違う方向で 活動を盛り上げて行こう という考え方です 前の人と同じ事をしようとしても 前の人の得意分野と あなたの得意分野は全然違うから 期待外れと言われるのです 自分の得意分野が活かせる方法を探すのです 見つかるまでは 期待外れと言われても、前の方法で誤魔化せば良いでしょう

  • nagaineko
  • ベストアンサー率28% (563/1990)
回答No.2

自分は中年ですが、あなたの言ってること、なんとなくわかります。 自分もずっと、そうでしたから。 まあ、今も主体性とかは、あんまないなー、って思います。 何でこんな感じになったのかな?ってよく考えるんですけどね。 >意志や主体性などはどうすれば養えるのでしょうか 私が思うに、こういうものは養うものではなくて、 元から備わっているものなんだと思いますね。 なぜなら、子供って、明確な意志や主体性を持ってると思うんです。 ところが、親が、それを否定し、取り上げるんだと思います。 あれをしてはいけない!これをしてはいけない! 勉強しろ!と。 いつしか、本来備わっていた意志や主体性は奪われ、 勉強でいい成績をとる、大学に合格する、ということが、 あたかも、自分の意志であるかのように、すり替わります。 本人は、自分の意志だと思い、主体性をもって、取り組みます。 実は、与えられた、意志であり、主体性なんですが、そのことには 気がつきません。 だからこそ、大学に入った時点で、何をしていいのかわからなくなる・・・。 自分の意志で動き、主体性を持っていれば、こんなことには ならないはずですよね。 私も、大学に入った時に、おかしいなという感じにとらわれましたが、 その感じが何なのかまでは、はっきりとはわかりませんでした。 今になって思えば、そういうことだったんだろうなと思っています。 対処法としては、自分の好きなことへ向かうというようなことが よく言われます。 確かに、そうだろうなと思います。 でも、僕らみたいな人間にしたら、もう、今更、何が好きなのか? 自分でもよくわからないんですよね。(笑) 僕みたいな中年になると、家庭もあるし、仕事もあるし、 好き勝手は赦されません。 あなたはまだ若いですから、好きなことが見つかれば、 やり直せるかもしれませんね。 子供って、好きなことに夢中になるじゃないですか? 強い意志と、主体性をもって、突進していきますよね。 大人からしたら、なんで?っていうものに。(笑) でも、そういうことなんだと思うんですよ。 それを親が邪魔したんだと、僕は思っています。

noname#196223
noname#196223
回答No.1

いや~大学で何を勉強していたんだか(笑) 今時、科学では人間には自由意思や主体性なんて無いのでは?って議論が白熱しているのに。はっきりいって意志なんて後付に過ぎません。神経レベルでの証拠がありますよ。人間には、主体性なんて無いに一票かな(笑)もう一度、勉強してみたら?。今時の生命科学は、本当に凄いよ。きっと文系だった自分を後悔する程の衝撃があるでしょう。

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