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ボランティアの意味とは?自主的と主体的の違いは?
- ボランティアの意味は、”自主的”に無償で社会活動などに参加し、奉仕活動をする人を指す。
- 自主的と主体的の違いは、自主的は指図や干渉によらずに自分の意思で行動することを意味し、主体的は様々な状況下でも自分の意志や判断で行動することを意味する。
- ボランティアは、やるべきことが決まっていない場合もあり、自分の意志や判断で行動することが求められる。したがって、ボランティアは主体的な奉仕活動の意味を持つと言える。
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いい質問だと思います。 広辞苑では「志願者。奉仕者。自ら進んで社会事業などに無償で参加する人」となっています。 それはともかくとして、 >ボランティアは、「やるべきこと」が決まっているのでしょうか? 私は決まっているとおもいます。大抵の場合のボランティア活動は、(外国のケースはよく知りませんが、日本の場合、)ボランティアを募集して、やってきたボランティアにやってほしい内容が指示されます。勝手に他のことをやっては怒られるとおもいます。それどころか、ボランティアという名の強制参加活動も組織、団体では日常茶飯事です。勝手に他のことをやっては怒られるとおもいます。 例外として、自分の家の付近の地域の公道を誰にたのまれたわけでもなく1人でごみ拾い活動するというようなケースがあります。このような場合は自主的にやっているというより主体的にやっていると表現した方が確かにしっくり来るケースです。 こういう場合に特定して、主体的という表現を使おうと考えているのであれば、その考え方は正しい筋道を通っていると思います。 >自主的を使うなら、ボランティアをしない人は、「やるべきこと」をしないダメ人間(極端ですが)となってしまいます。 人生で誰もがやるべきこと、という意味であればそういう理屈になりますが、自主的の意味は人生でやるべきことではありませんのでそういう結論にはなりません。
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日本語の「ボランティア」のもとになっている英語のvolunteerですが、「自発的に行う」という意味合いがあります。 http://eow.alc.co.jp/search?q=volunteer http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/ej3/92670/m0u/volunteer/ 自発的=自分から進んで・・・・、ですから、自主的とも言えるし、主体的とも言えると思います。 何をやるかは決まっていません。誰かに言われてやるものではないので。 (当人が「これ」と決めれば決まりますが)
- Nebusoku3
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日本ではボランティアと言えば 「無償の奉仕活動」 との意味合いが定着しているようですが、無償 も 奉仕活動も 本来の意味ではなく、 「進んでやる」 事で 「志願する」 なども入りますね。 あることに対して、進んでやることで、それが 「奉仕活動」 であったりします。 海外では日当つきのボランティアも、一般的なようです。 自分が社会に役立つと思うことを 「進んでやること」 と思っていれば間違いないと思います。それから派生して 自主的や主体的 と言った言葉が入ってきたものと思います。 自主的と主体的とでは、どちらに近いかと言うと 自主的 の方かと思います。 主体的と言えば 自分が中心になって 引っ張っていく 様なニュアンスが感じられます。 >ボランティアは、「やるべきこと」が決まっているのでしょうか? ボランティアは、「やるべきこと」が決まっているのではなく、 「進んでやりたいことを自分が ”決めている”」 のですね。 人様から 「あれやれこれやれ」 と言われてそれを渋々やっている場合はそれは既に ボランティア とは言わないと思います。 ボランティアをはじめて、あるグループで活動する場合は 効果的な組織のために、その命令系統が発生するのは当然のことです。 ポイントはそのボランティアを始める動機となった時点のことだと思います。 繰り返しになりますが、自分が社会に役立つと思うことを 「進んでやること」 をボランティアと思っていれば間違いないと思います。(ある意味の誇りをもってやれることでしょうね。)
- tklreldmgadfgas
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ボランティア活動における主体的な例を考えましたので参考にしてください 1.自分の地域に高齢者だけで生活している家庭がある。他人です。知り合いも含まれますが。そういう家庭のことをつてから聞いたり自主的に調査し、問題を認識し、そういう家庭を回って合意をとって生活上の相談や手助けを無償で行う人がいるとします。週1だったり月1だったりするでしょうがとにかく継続的な活動です。同志の複数人で行うその場合もあるでしょう。そういう場合はそのボランティア活動はその人達が主体的に行っている活動であるといえるでしょう。 また、たとえばそれが地域組織として独自に立案され行われた場合、それは地域主体的な活動であるともいえます。 2.ある支援のための資金集めにバザーが企画されて、それにボランティアが募集されたとしましょう。バザーで資金を稼ぐという最終目的は決まっていますが、その方法などそれ以外のことはボランティアの参加者が決めます。この場合、何をどうするのかをボランティアが主体的に考え、活動し、バザーを仕切りることになります。ボランティアが募集に応募するのは自主的ですが、実際の活動では主体性が要求(発揮)されています。
- hakobulu
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>私の考え(道筋)は間違えっていますでしょうか? : はい、間違っています。 まず、 >自主的:「やるべきこと」を他からの指図や干渉によらずに、自分の意思に基づいて行うこと。 : の「やるべきこと」が何を指すのかについて、勘違いされていると思います。 ボランティアの意味である「”自主的”に無償で社会活動などに参加し、奉仕活動をする人」の場合、「ボランティア=やるべきこと」です。ボランティアの中身とは関係ありません。 たとえば、「”自主的”に食後の後片付けをする」であれば「やるべきこと=食後の後片付け」です。 それを『他からの指図や干渉によらずに、自分の意思に基づいて』行なう姿勢が「自主的」。 ですから、あまりに漠然とした対象については使われないように思います。 たとえば、「彼女は自主的に生きている」とはおそらく言わないはず。 あくまで、「彼女は主体的に生きている」でしょう。 この「主体的」のほうは、「やるべきことを自ら進んでやる」のではなく、「何をやるべきかを自分で考えて(探して)やる」という意味で、「自主的」とは意図するところが違うわけです。 「自主的に活動する」はやるべきことが定まっている状況での表現。 ex.自主的に○○の活動に参加する。 「主体的に活動する」はやるべきことが定まっていない状況での表現。 ex.主体的に考えた結果○○の活動に参加した。
- kaitara1
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おそらく関係があると思いますが、ボランティアには大別して2種類あります。一つは人件費節約に利用されているボランティアです。こういう人は経済的には余裕があるので時給などもらわなくても気にしません。またお金で縛られていないので自尊心は保てます。しかしあまり特技は持っていません。もうひとつは何か特技を持っていてこれを無償で披露したい人です。ここで自主的と主体的の問題を考えてみると少し答えが変わってこないでしょうか。
- bakansky
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「主体」 という語は、中国の漢籍に由来するそうですが、意味の範囲の広がりがあります。おそらく明治以降のことでしょうが、哲学的な概念の用語としても用いられたりしています。また、主体と客体というペアの1つとして見ることもあります。たとえば、「平和な日本」 という表現における [平和である] という状態・性質が 客体 であり、[日本] は 主体 ということになります。[日本] という 主体 の持つ属性が 客体です。「主体性」 という言葉がありますが、これは本来 主体 であるべきものが、自己の判断において他に働きかけるという行為をする、もしくはしようとすること、であるといえます。日本がアジアの国であるとか、島国であるとか、西側陣営に属するとか、立憲政治を行っているとか、そのような属性とは関係なしに、日本そのものとして発言したり活動したりすれば、それは日本が 「主体性」 を発揮した、ということになります。つまり、属性にとらわれない、周囲の意見に左右されない、他からの影響にわずらわされない、というあり方です。「主体」 というのは、本体と属性に分けた場合の本体の部分、ということになります。 すると、「主体的にボランティアに参加した」 という文は、会社の重役であるとか、公務員であるとか、皇族であるとか、その人にまつわるさまざまな属性とは関係なく、一個の個人として参加したのだ、ということを述べているように解することができるのではないでしょうか。 他方、「自主」 の方は、主体の 属性 とは関係がありません。属性がついていようがなかろうが、その個人の 意思 だけの問題です。こちらは自分に付属している要素ではなく、自分の外部の働きかけから独立しているという意味になります。 日本語の 「ボランティア」 という語は、英語の volunteer から来ているようです。volunteer は動詞としては 「志願する」 などの意味で、名詞としては 「志願兵」 などの意味があります。「志願する」 という行為は、その個人の意思に発するもので、他からの働きかけによらないという点では 「自主的」 ということになります。もちろん、何かの外部の条件がないとも限りませんが (たとえば宣伝の影響を受けたとか、勧誘されたとか)、それでも最終的な決断をするのは本人ですから、その意味では 「自主」 といえそうに思われます。 「主体的にボランティアに参加する」 こともあるかもしれませんが、「主体」 という日本語には、さまざまな意味の含蓄があって、そのために意図した意味を正確に伝えにくい嫌いがあるように感じます。他方 「自主的にボランティアに参加した」 という表現は、「本人の意思で参加した」 という意味に、軽く取ることができます。 なお、ついでに申せば、私は日本語の 「ボランティア」 という語には、対象となる目的があると思います。つまり、「~のボランティア」 というのが本筋であると考えます。たとえば 「点字ボランティア」 をしている人たちは、「自分の生活時間の一部を点字の文書を作成することに使う」 ということに 「志願した」 人たちです。NPOのような組織の 「ボランティア」 に参加したいという人たちは、それは 「ボランティア」 としての行動をしているのではなくて、「ボランティア組織」 に加わった、登録した、という行為をしたに過ぎません。たとえば実際に災害現場に赴いて、自らの肉体を使って作業して初めて 「ボランティア」 としての活動をしたということになります。その時には、「ボランティア」 の対象がはっきりしているはずです。それまでは、「その組織に登録している人」 ではあっても 「ボランティア」 ではありません。 英語の volunteer という動詞の場合は 「志願する」 という行為自体を表現するのですが、日本語の 「ボランティア」 は名詞なので、同一視するのは問題だと思います。名詞としての volunteer にしても、志願した結果として兵士になった者が volunteer です。