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輪廻転生とかの根拠
ほとほと疲れたので「来世に期待」という心境に陥りました。 そこで同じことを考えている人はいるのかなと「来世に期待」と検索したら、たくさんスレがたって、少し驚きました(笑) そこでまた考えたのですが、本当に来世に期待してもよい仕組みなのか、あの世というところは?ということです。 輪廻転生の考えだと、この世は自分をバージョンアップするためのところ。この世で自らレベルを向上させれば、神により近い精霊になれるといいますし、信じてきました。 でも一方で、死んだら無という考えもあります。 でも我こそは真実だと語る、あの世は誰が見てきたものなのですか? もし、死んだら無だとしたら、もうこの世限りの自分で終わってしまって、死ぬ楽しみがなくなってしまいますし、この世で懸命に頑張っている命はなんのために頑張るのか、ということになります。 あの世は、ある、ないという方双方の考え方を知りたいです。
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- raiden787
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輪廻転生はもともとはインドの古い考え方で仏教や釈尊の教えではありませんが、彼らも影響を受けています。 仏教ではむしろ輪廻転生から脱却(解脱)しないといけないと説いていますね。 なぜ輪廻転生という考えが生まれたかと言うと、非常に大雑把に説明すると、争いごとを抑制するためです。 この世の人生が一度限りだとすれば「どうせ死ねば何もかも終わりだ」という考えで自暴自棄になって暴れまわったり犯罪を犯すものを止めることができません。 そこで「人間は死ぬと他の生き物(人間)に生まれ変わり、次の人生はこの世での善行に応じて良い人生になる」と教えることで「次の人生を良いものにするためにも今の人生で悪事を控えて善行を積もう」と想わせるわけです。 つまりは日本で言うところの「悪いことするとお天道様が見張ってて罰が当たるよ!」「悪いことをすると死んだあとに閻魔様に全ての悪事を見抜かれて地獄に落とされるぞ!」というような教えと同じようなものですね。 当然、輪廻転生にもあの世にも根拠はありません。 まあ否定もできませんからもしかしたら本当にあるかもしれないし、やっぱりないかもしれませんね。 どちらを信じるかはあなた次第ですね。
- 2014japan
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輪廻転生は私もあって欲しいです。 でも、これは人を惑わす、理論だと思います。 これは仏教から来てると思いますが、釈迦の教えではないと思います。(定かではありませんが) まず、輪廻転生とは永遠に転生を繰り返すということですよね? 1000回が限度の転生で、あなたの今生が1000回目だったら、輪廻転生に意味はありませんから。 と、すると、あなたはキリストや、釈迦より以前の過去にも存在していたということになります。 さらには、宇宙や、天地創造の神よりも以前に存在したことになります。 もし、人類が神によって作られたというのなら、初めて生まれたということですよね、輪廻転生ではないということです。 神に作られたのは、アダムとイブだけで私たちは、その子孫から生まれにすぎません。 始まりが、あるということは、終わりがあるということです。 もう一つ、アダムとイブは今、誰に転生しているのでしょうか? 釈迦やキリストは今、誰に転生しているのでしょうか? まさか、あれだけの高尚な魂が愚かな一般民衆に生まれ変わっている? もしそうなら、人生は修行の場にはなっていません。 彼らの没後は2000年以上一度も彼らに匹敵するような人は出現していない。 神に一番近い人さえ転生していなければ、どうして愚かな私たちが転生するのか? それとも修行が終わった人は完全な無になる? これだと振り出しに戻りますよね? 出現すれば、自分の教えた宗教がこんなめちゃくちゃにされて、何もしないわけがないでしょう? 従って、非情に残念ですが、輪廻転生は有り得ないと私は考えます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >釈迦の教えではないと思います らしいですねー。 そうだとしたら、キリスト教が本来の教えを書き換えてきたように、仏典も同じなのでしょうか…。 ということは、死んだら「無」?いやですそんなの。こんなに頑張ってるのに(笑) >1000回が限度の転生で、あなたの今生が1000回目だったら、輪廻転生に意味はありませんから。 すでに神に赦された「精霊」なのですから、そもそもこの世にはいませんね。 >釈迦やキリストは今、誰に転生しているのでしょうか? 彼らは転生する必要がないのでは? もともとキリストもブッダも普通の人だった。 引き寄せの法則からみれば、彼らは潜在意識に忠実だった。だから奇跡をおこすことができた、という説もありますし。 でも瞑想とかで悟りを開いた人が人徳を得たから転生の必要はないというと、それも違いますよね。 瞑想って意識状態で、神がかかりの意識からこの世界に戻ってきたとき、三次元の世界で善行を積むということをしないでよいのか?と。 そういう矛盾を解消するために、あの世に行かなければ分からないことにして、宗教が後世に真実ではないことを教え込んだのでしょうか。
- a_hona
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私の考えでは、死後に転生すると思われるのは言葉ではないかというものです。 言葉だけを残して人は死ぬのではないかと。 その言葉が次に、どのように生を受けるのかはわかりませんが、わたしは人間の主体、つまり人格は言葉によって形成されているのではないかと考えているのです。 少し特殊な考えかと思いますが、参考まで。
お礼
ご回答ありがとうございます。 クリスチャンではありませんが私も「はじめに言葉ありき」だと思ってます。 そして、人の心も言葉によって作られる。 無垢な赤ん坊が、どういう言葉を周囲から投げかけられるか。歪曲されたその心を修正するときにも「言葉」で失くしたものを取り戻します。 ことばに魂が宿る「言霊」という言葉がありますが、それは言霊のなせる技でしょうか… あらゆる人の考えや想い、創造したものは言葉や記号によって残ることで継承されていきます。心や人格も同じことだと思います。
- sky_ionair
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思考論的な部分ではあの世は無いです。 精神は子孫や後世の人達に引き継がれるというのはありますが、人類が滅亡したらそこで終わり・・・ 肉体的には自分のDNAを受け継いだ物が未来に受け継がれていきます。 あなた自身には寿命があります。 肉体は元をただせば原子から成り立っていますよね、 http://www.hozugawa.net/eukaryota/1-1.html 輪廻転生⇒誕生する⇒死ぬ⇒分解される⇒原子に戻る⇒何かに生まれ変わる=何かになる という意味なら輪廻転生はありますね。 宇宙のしくみからいえば、人間なんてちっぽけなものです。地球もちっぽけな物です。 太陽はいつか燃え尽き地球に人は住めなくなると思います。 人間なんてちっぽけな物なのですよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 肉体は分離できるもので構成されているけれど、魂は不可分で、ひとつというようなイメージです。 魂は2グラムあると言われていますよね。遺体を生死の前後で計ると2グラム違うということから。 なので、魂も物理だと思うのです。でも性質は肉体と違う。 宇宙が物理だとしたら確かに「人間はちっぽけ」なものですが、宇宙は一人一人に内在しているという説もますし、私もそういう感慨を抱いていますが、それは証明できない以上、詩的な表現に終わってしまいます。しかしスピリチュアルな観点ではそれは第六感的なものでも絶対的確信なのでしょう。それは啓示をうけたとか、心や精神、魂で経験したということでも、思考的なこと、である以上、真実となるのではないでしょうか。 という私は、あの世はある派ですねw
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お礼
ご回答ありがとうございます。 >仏教ではむしろ輪廻転生から脱却(解脱)しないといけないと説いています 輪廻転生があるのが重要というわけではないのですね。 でも、争いごとの制御のためだとしても、争いを好まず、生まれながらの人格者のような人にとってはどうなのでしょう。 キリストやブッダがそうです。更生したガンジーもそうですよね。非暴力を訴えていましたし、体現していた。争い事や暴力が悪いという結論(悟り)をもったのに、あの世がなければ無に戻るなんて… としたら、この世での善行が問われるにすぎないということになってしまいます。でもこの世界は不条理ですから、誰しも彼らのような超人になれるわけではなく、むしろ報われない方が多い。 幸福は神に祝福されている状態ではなく、ただ、苦しくとも自分の道を開いていくということなのだといつも考えていますが、それでも頑張っていれば天国にいけるというご褒美が欲しいですね、これは個人的な考えですが。