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赦すことってなんでこんなに難しいのでしょう
このような質問掲示板サイトや、周りから聞いた話なんですけど、さんざん苦労してきたり、酷い目にあってきたにも関わらず、自分を苦しめてきた人達をすっかり赦している人がいるという話を聞くのですが、一体どんな思考回路の持ち主なんだろう?と思います。 その心の中は、本当に相手を赦しているのだろうか? 表向きだけではなくて? などと疑いたくなってしまう、私は、ちっぽけな人間です。 私の場合、いつまでも嫌な事をされた事が心にこびりついていて、殆どコントロール不可能な感じです。 どこかで、赦すという事は本当は自分の為、解放する為なんだ、と分かっていても、ひとたびその憎い相手を前にしたら、全て吹っ飛んでいって、あっという間に憎悪の波に溺れてしまうと思います。 このような事を誰に相談しても、皆一様に、時間がかかってもいい、赦せる時がくるし、歩み寄ってごらん。 と言われますが、今の私には到底出来ません。 むしろ、簡単に赦せなんて言うな! それが出来たらこんな相談はしてないわ! と、腹が立ってしまったりもします。 勿論、それでも最終的には、それしか道はないのだろうという事もどこかで理解はしてるつもりです。 でも それが家族や身内ともなると、本当に簡単ではなくて、、 うちは、両親(離婚してます)ともに猛烈に癖のある家系です。 勿論、私もその一人だと思います。 皆、自分の事でいっぱいいっぱい。 ちょっと何かあったら、ギャーギャー騒いでこんなに酷い事をされた、1番の被害者だと目一杯のアピール。 もう…うんざりです。 可哀想な人たちだから、、 なんて、今の私のレベルでは思えません。 どこかで聞いたのですが、自分が傷付きやすい人ほど、人を傷付けるというのですが、まさにそれを地で行くような人たちが親戚にいます。 家族に関しては、もう次元が違いすぎて、あまりに酷く、ここには書けないほどです。 私にとって、このような人たちを赦すということは、遠く及ばない夢です。 私だって完璧な人間じゃない、人を傷付けてしまう事も、間違う事もあるし、色んな人に赦してもらいながら生きてるんだから、、 って、考えていく事に疲れてきてしまいました。 気付くと、死んでくれたらいいのにと思ってしまいます。 最低な人間かもしれませんが、 もう分からなくなってしまい、ここへ投稿してしまいました。 ありきたりながらも、いつも、なぜこんな所に生まれてきたんだろうと考えずにはいられなかったし、人生には学ぶ事があるといっても、あまりにも高すぎる壁に思えます。 私の残りの人生で、これらの課題をクリアできるのかどうか、自信がありません。 しかしよく、乗り越えられるまで、何度でもその問題は現れるとも言いますよね。。 苦しいです。
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- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
私は本当に許せないなと思って居る人は数人程度ですね。 私は有る程度相手の立場など理解して居る事があります。それぞれの立場や状況でどうしても、そうなったと言う事があります。そして、どちらが正しいというと、お互いの立場からみれば「正しい」のです。 正しいと思ってのトラブルなどでは、どちらも正しいし、どちらも悪いということです。 それと、相手に対して憎んだりして、良くなるのだろうか。怒ったりして、何か得る物はあるのだろうかと考えると、馬鹿馬鹿しくなってきます。 私は小学生の時には虐められていましたが、自分だけを見ていれば辛いのですが、相手の虐める理由は何だろうと考えたときに、相手の気持ちを考えました。そこで、反応を楽しんでいると分かりました。その為に期待に反するようにしました。それで減っていきましたね。 その時に虐めていた人が大人になって、変化している事もありましたので人は変わる物だなと。 今でも辛い事はあります。でも、そこで何をすれば解決出来るのか。自分が出来る事は何かと考えて行きます。そこに答えが有る場合もあります。自分が動くことで変わりますよ。相手に依存しているから変わらないのです。 こんな感じなので、有る程度許すことで、その流れを生み出せるのかなと思います。
- inochi_bf
- ベストアンサー率7% (10/127)
この世のすべての「いのち」が「自分」だと気付かない限り、救われることはないでしょう。 すなわち、あなたが憎む対象自体も「自分」の一部なのです。
お礼
すべての命は自分の一部という考え方は聞いた事があります。 仰ってる事も自分なりに分かります。 でも、腸が煮えくりかえるくらい憎い相手を前にすると、私はまだ、感情が優先してしまいますね。 例えそれが自分を映した鏡であると頭では理解していても。 ありがとうございました。
- kinako_0122
- ベストアンサー率26% (24/90)
私は、こういう考え方で、人を赦してるので、立場が違うかもしれませんが、参考になれば。 この人は、わざとじゃない。やってることがわかってないだけなんだと。 例えば、毎日豚を殺してる人が、豚がつらい思いで殺されてると考えたら、殺せないでしょう。 豚肉を生産して、お給与をもらえることは、この人にとっては、良いことをしてることなんです。 母親が兄を使って、妹をいじめろと指示してる。 母親が嫁をいじめろと指示してる。 でも、母親が悪いと認められない人もいる。 その人にとって、人をいじめる事は悪ではなく、親孝行の良い人なんです。 そういう人に、恨んでも向こうは何を怒っているのかさえわからないのです。 その人の言い分はこうです。上のものにはむかうなんて、我が強い。変わってる。 人は欲望を通すためには、自分の思考回路をよいように変えます。 人間欲望で生きているので、自分でも気づかないうちに、善悪の区別がつかないけれど、なんとなくわかって苦しみながらも自分を肯定して生きていってるんです。 ただ、私は、その赦されざる人と、赦す人の差は、歴然だと思います。 赦されざることをしてきた人は、良い人生は送れません。 だから、なぜあんな下のやつが出世して、自分は浮かばれないのだろうと、不思議がって生きていきます。 なぜ、あの女は良い結婚をして、私は結婚できないんだろうとか。 あいつがモテて、俺がモテないのはあいつがずるいからだとか。 本人は自分が悪いことを一生気付かず生きていきます。 そして、親戚や同郷の仲間だけを頼りに、自分の立場の大きさの自信を持ち、ターゲットの人を見下して優越感に浸ることで自分の生きている価値を見出します。 毎日、その人の悪口を言い続けることが生きがいです。 そのターゲットになったと感じてるなら、仲間に入れてあげる。家族だからという甘い誘いに乗らず、逃げ切ることです。 または、反対の立場で、相手が自分によって苦しんでいると訴えてるのならば、離してあげることです。 もしかして、反対の立場で嫌なことが私と違うのかもしれませんが、ご両親が自分が被害者だと言ってるなら、それを本当に自分が理解してるのか、相手の立場に立って考えてあげたら、自分も苦しまずに済む気がします。 私は、家族や夫を恨んで生きていましたが、相手もわざとじゃない。自分に取って不利な物は受け入れられない。 その結果の縁切りですね。 どうなったかと言うと、相手は不幸のどん底。私だけは人生の幸せをつかみました。 自分達が強い立場の時は散々馬鹿にされてましたが、今はスッキリです。 神様っているんだなって思いました。
お礼
「相手はわざとでなく、分からないだけ」 というのは、私が悩んでる時に、何度か母から言われた事があります。 でも、実際の場面でそのような気持ちを持ち続ける事はとても難しいです。 自分の中で色んな事が消化不良のまま沢山残っているからだと思います。 以前私も「自分が手を下さなくとも、自然と巡り巡ってその人に返ってくる」みたいな話を聞いた事があります。 法則のようなものなんですかね。 ありがとうございました。
- nagaineko
- ベストアンサー率28% (563/1990)
赦す・・・ですか。 私はキレイごとだと思いますね。 あなたも言うように、家族であったり、身近で濃密な人間関係に ある人ほど、赦すどころか、憎悪の感情が湧いてきます。 世の中にはいろんな人がいますからね。 中には、赦せるというひともいるのかもしれません。 赦したつもりになっている人もいるかもしれません。 赦せないということを自覚しているひともいるかもしれません。 私は、それでいいんじゃないかと思っています。 赦さなければならない! なんていわれると、エー本当にそうなの??って 思っちゃう。 人の心って、そんな単純なものなの??って思っちゃいますね。 赦さなければならないのか?? っていうことで、いつまでも悩み苦しんでてもしょうがなくないですか? 私は、赦せないし、赦せない自分を受け入れています。 それで、いいと思っています。 確かに、苦しみから解放されるわけではありませんが、 生きていくとは、そういうことなんだろうと思っています。
お礼
赦せない自分を受け入れるのは強くないと出来ませんね。 私はまずそこから始めないといけないんだと思います。 私の、赦せない自分は恥ずべき人間、ダメな人間なんだという強い思い込みは、根本的に自分に自信がない所から来ていると思います。 すごくリアルな意見で、非常に参考になりました。 ありがとうございました。
- atti1228
- ベストアンサー率15% (111/711)
てめー、いいこぶってんじゃねえよ。お前は強いのか?正しいのか?そっからだろうが。俺は強いんだ。俺は正しい。全部うそだろ。
お礼
いい子ぶってますね。 自分の醜さを認められないんです。 全くもって強くなんかないですよ。 でもこちらへ投稿して、色々と気付きがありました。 ありがとうございました。
- まさしろ(@masasiro)
- ベストアンサー率35% (295/842)
誰か他人を許すことを意識することよりも、貴方自身をもっと幸福にすることに意識を向けることの方が重要であると思います。貴方自身が幸福で無くては、他人を許すことは出来ないものです。物事には順序がありますからね。 先ず、貴方は自分自身を幸福にしなければなりません。幸福になった貴方であれば、他の誰かを幸福にすることが出来ますね。幸福になった者は、まわりの人間も幸福に見えるものです。つまり、自分が幸福で無い者は、まわりの人間が自分に不幸を与えるように見えてしまうものなのです。 自分自身が幸福では無いことで、他人に対して疑いを抱いたり、妬みや嫉みを抱いたり、敵意を抱いたりする気持ちが生まれてしまいます。しかし、この気持ちが生まれる根源は、自分自身が幸福では無いからなのです。自分自身が幸福であるということを強く信じ続けるならば、このような気持ちが生まれて来ても、それらの気持ちに振り回されることなく、自分の気持ちと折り合いをつけることが出来るのだと思います。 貴方が自分自身を幸福で満たすことは、命を授かった者の義務でもあるのです。後に続く者は、以前の者を超えて更に自身の生命の幸福を追求して行かなければならないのです。 では、貴方の幸福とはなんでしょう? それは、不幸な出来事に対する貴方の「対応」です。貴方に起こった不幸な出来事に対して、貴方はどのような対応が出来るのか? このように、対応する能力を発揮出来るときに、人間は刹那に幸福感を感じるのです。不幸な出来事は、実はしっかりと向かい合い、対応することで「新しい意味」を生み出します。この「新しい意味」を理解したときに、不幸な出来事が起こってしまったことにすら、感謝の気持ちを抱くようになるんですね。 幸福な人間とは、あらゆる出来事に自分自身をもっと幸福にする希望が隠されていることを信じ続けていると言えるでしょう。その希望に対して、好奇心を持つこと、想像力を持つこと、感謝の気持ちを持つことで「信じ続ける」という気持ちが刺激されるでしょう。 どんなことでも言えることですが、継続することはとても難しいことです。ですからどんな出来事からでも、希望を持ち続ける力に変えることが出来るように。信じ続ける力を鼓舞したり、励ましたりしながら日々の生活を端正に送ることで、誰かを許すという体験を貴方は与えられるでしょう。 与えることは、即、与えられることです。貴方は許されることで、許すことが出来るようになるのです。貴方自身が貴方を許すということが、貴方には本当に重要な意味を持つことになるのだと思います(^-^)
お礼
不幸な出来事に対する「対応」が幸せであるならば、それはつまり幸せとは「成長」という事でしょうか。 後になって、もっと大きな目で人生を眺められた時、きっとそう思うのかもしれません。 だとすると、このように思い悩む時間全てが幸せだとも言えますね。 人によって幸せの定義は違うと思いますが、自分とってのそれは一体何だろうと考えるきっかけになりました。 まずは自分が幸せになることに焦点をあてる。 その通りですね。 すぐ忘れちゃうんですけど。 ありがとうございました。
- cheory
- ベストアンサー率26% (38/141)
こんにちは。 質問者様と関わりが持てることを嬉しく思います。 私も、赦したいのに赦せない時はあります。 頭では赦すことによって解放される、と思っていても、心に降りてくるまで時間を要することもありますよね。 赦すためには、自分が何をすれば良いのか?を考えていくと、様々なアイディアが浮かんできます。 Okwebで私は、『クリスチャンの方、教えてください』という題名で『赦しについて』のアイディアを皆さんから頂き、相手のことを受け入れて仲直りしました。 よかったらご覧になってください。 質問者様に有益なヒントがあるかもしれません。 今ではその相手の方に、とても感謝しています。 質問者様の心が平安でありますように。
お礼
質問を見させていただきました。 自ら行動を起こし、歩み寄っていけたのは凄いと思います。 本当にそこを解決して前に進んで行こうと思う気持ちがあれば、そのように相手を赦す事が出来るんでしょうね。 私はまだ勇気がありません。 ありがとうございました。
- taka-aki
- ベストアンサー率12% (748/6126)
許したくない相手のことは許しません。 しかしそんな相手にこだわってると自分で自分の足を引っ張るので無駄です。 許すのではなく自分の足を引っ張るものから自分自身を解放するだけです。 許したくない相手は許しません。 しかし自分が解放されるために恨みに染まった心のしみ抜きはします。
お礼
そうですね。。 相手の事は切り離して、自分を解放する事は出来るんですかね。 私の中で 解放=赦し という方程式が出来上がっているので、 ちょっと難しいですが、 もっとうまく想像力を使えるようになりたいです。 ありがとうございました。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
…血のつながりってそういうものだよね。 愛憎は表裏一体というけど、長い時間の中で構築されていき、オマケに自分と似通ったところがある相手を、どうして完全に忘れたり、無視したりなんて出来るわけないんだよね。 つまり「愛してる」んですよ。 嫌だと思うだろうけど、それが事実。 そう思ってしまったほうが楽だと思う。 自分の中でピッタリへばりついている感情だから、そう簡単に剥がれ落ちるわけもない。 剥がそうとしても、自分の中の何かが拒絶するじゃない?。 抵抗するじゃない?…それが今の君を苦しめている元凶だとおもうよ?。 いいんですよ…どうせ、いつか、どっちかが勝手にオサラバするんだから。 自分かもしれないし、相手かもしれない…憎んでいようが、嫌いだろうが、いつかはサヨナラするんだから。 絶対にね…そういう約束になってるわけだから、自分自身、勝手に生きていけばいいんだよ。 だから、乗り越えるということに拘泥しないでいいわけ。 許さなくったっていいし、許そうと躍起になるなんてのも、精神上良くない。 憎むのもいいし、怒るのも構わないと思います。 ただ、憎んでる時間とか、怒ってる時間とかは、あまり人間の成長に役立つことはありません。 「ああ、もういいや」という時が来ますから、その時までは憎んでも良いと思いますが、その時が来たらサッサと忘れることです。 タイミングというのがありますよね。 それでも納得行かないのなら、あなたの中に「憎むべき理由」というのが定まっていないということでしょうね。 表面的なものはあっても、それが果たして本当に「憎むべき理由」足るのかどうか。 他人が聞いたら、案外と「なにそれ?」ってこともあるものなんですよ?。 自分で理由をちゃんと考えているかどうか、というのも大事なことなんですね。
お礼
愛してる、、、んでしょうかね。 今はそのような言葉をあてはめるだけで、気持ち悪くなってしまいますが、、、 でも、究極に言えばそういう事ですね。 だけど、大っ嫌い^^; 赦そうとなくていい、という言葉は私にとって癒しです。 周囲を見渡すと、私はこの人生全く楽しめてないなと思うんです。 大部分の時間をいつもこのような事に費やしているので、、、 「その時」が来たら、さっさと手放したいです。 ありがとうございました。
- photoshopher
- ベストアンサー率37% (40/107)
逃げ場はないですか? 一緒にいる人が耐えられないのであれば、逃げるというか、言い方をポジティブにすれば、距離を置くとか。 環境が同じままだと、ちょっと危ないのでは。 逃げ場がないのなら、どこか新しい環境に飛び込むのが良いかもしれません。 新しい趣味サークルとか、新しい部活とか、新しい職場とか、新しいスポーツクラブとか、何でも構いませんがそういうところに逃げて、新しい人と出会う。新しい人の価値観に触れることが出来れば、自分自身から違う考え方が出来るようになるかもしれません。 また、「逃げ場」「そことは全く別の世界を持っている」という余裕があれば、少しは赦すという状態か、その人達はどうでも良いという状態に繋がるかもしれません。 どうでもいい人になれば、可哀相でもムカついてもどうと言うことはなくなるかも。 「私にはこことは別の世界がある」っていうのは、生きていく上で結構心強いですよ。 あとは、犬かネコかな。こいつらが居れば最強です。死ぬほど人を精神的に助けてくれますよ。そんな人たちの事で悩むことなどはどうでも良くなること請け合いです。
お礼
動物は本当にいいですよね。 実家にいる犬にはどれだけ癒されたか分かりません。 ただ、今の所一人暮らしで家を空ける事が多いので、飼うことは出来ないんですけど、、 最近、ようやくやりたかった仕事につけたので、仰る通り今はそこに集中しようと思います。 私にはこれがあるんだ、という不動のものがあると、強くなれる気がするし、成長出来るような気もします。 ありがとうございました。
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お礼
相手を憎んだり怒ったりして、自分に得る物は全くないですね。 仰るとおりだと思います。 前に読んだスピリチュアル系の本にも、同じように書かれてあり、当時感動したのを覚えてます。 相手がなんでそんな事をするのか、、 分からないですが、確かに他者に依存していては、待っていてはダメですね。 今まで、皆さんからの回答に返信を書いてきて感じたのですが、こんなにも沢山の考え方があるのだなと、改めて知る事が出来て、凄く良かったです。 忘れていた事や、自分の内面を見つめるキッカケにもなりました。 本当にありがとうございました。