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政府の解釈で改憲できるのですか?

集団的自衛権行使を、何が何でも閣議決定する政府の動きが続いていますが、憲法の重要条項に関わるものを、正面から改憲動議せずに、政府与党で解釈を変更するだけで憲法を変えることが出来るにですか?

みんなの回答

noname#204885
noname#204885
回答No.7

>憲法の精神は、あの戦争で何も得る事がなかった、もうコリゴリだということから、 >武力を放棄したものだと思います。よって、個別自衛権ならどうだ、集団的自衛権 >ならどうだと言う以前に、防衛の基本姿勢を明確にした上で、個別、集団の概念も >そこで整理すべいではないかと思うのです。 > >その意味で、解釈で憲法を変えるのではなく、抜本的な手続きから入るべき所、 >解釈で変えてしまった、これではいつまで経っても憲法解釈論議ばかりで、戦争 >に参加することと、防衛との区別も明確になりませんね。 基本的には、上記の御意見に完全に同感です。 実際、自衛隊を警察予備隊として発足させた時も、今と同じく(と言うか、今以上に真剣に)解釈改憲とするか否かの大きな議論があった訳です。 その時の経緯は例えば、以下の論文にかなり詳しく載っています。 http://r-cube.ritsumei.ac.jp/bitstream/10367/4227/1/J2012_4kajii.pdf 終戦からわずか8年、しかも朝鮮戦争がすぐ隣で起こっていた時代のことですから、その時の議論は今よりも遙かに切迫感のあるものでした。マスコミも含め、皆が必死で考えていた経緯が論文を読んでもひしひしと伝わってきます。 私個人も解釈改憲の乱用には反対ですが、かと言って、解釈改憲に反対する人達が、憲法改正の手続きそのものに対して妨害する姿勢を示しつつ、「改憲が筋だ」と主張する狡さには賛同することはできません。本当に「改憲が筋だ」と思っているのなら、速やかに国民投票ができるように進んで協力するべきでしょう。 そうしないで姑息な妨害工作ばかりやっているから、結局は裏目に出てどんどんと右派に押し切られていくのです。 正直、自業自得だと思います。

noname#204885
noname#204885
回答No.6

実際、それが日本国憲法の歴史でしょう。 憲法のどこを読んだって、「個別自衛権はオーケーだけど、集団自衛権は駄目よ」なんて書いてない。 その意味で、安倍政権の解釈変更を非難する資格があるのは、いまだに非武装中立を唱えている極少数の人達だけです。 そもそも米国に軍事的な負担を一方的に押し付ける個別自衛権なんて、日米安保条約の強化が大前提になって初めて成り立つ話ではないですか。だったら沖縄の米軍さん、ありがとうございます、と言う態度をもっと見せたらどうなの? 沖縄米軍基地に反対しているのと同じ連中が、個別自衛権を叫ぶのは矛盾していると思いますし、あまつさえ解釈改憲反対などと言っているのを聞くと、あまりの支離滅裂さに頭がくらくらしてきます。

issei4321
質問者

お礼

憲法の精神は、あの戦争で何も得る事がなかった、もうコリゴリだということから、武力を放棄したものだと思います。よって、個別自衛権ならどうだ、集団的自衛権ならどうだと言う以前に、防衛の基本姿勢を明確にした上で、個別、集団の概念もそこで整理すべいではないかと思うのです。 その意味で、解釈で憲法を変えるのではなく、抜本的な手続きから入るべき所、解釈で変えてしまった、これではいつまで経っても憲法解釈論議ばかりで、戦争に参加することと、防衛との区別も明確になりませんね。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.5

解釈には枠があります。 法律は言葉で書かれています。 言葉は不完全で曖昧なところがあります。 例えば、殺人罪における「人」についても 解釈があるのです。 ・まず、人には法人は含まれません。 ・胎児も含まれません。  では胎児と人とはどうやって区別するのでしょうか。  ここで解釈が登場してくる訳です。 ・同じように、死体は人ではありませんので、  死体に対して弾丸を撃ち込んでも殺人罪にはなりません。  では人間は何時死体になるのでしょうか。  ここにも解釈の必要が出て来ます。 憲法条文は抽象的ですので、この解釈の枠が非常に 曖昧になります。 しかし、曖昧でも枠はあります。 その枠内で、どんな解釈をするかは自由ですし、 憲法の変更にはなりません。 ”憲法の重要条項に関わるものを、正面から改憲動議せずに、  政府与党で解釈を変更するだけで憲法を変えることが出来るにですか?”      ↑ 重要でも、解釈の枠内であれば、それは解釈の 変更であって、憲法の変更ではありません。 これがおそらく、政府の理屈だと思われます。 ま、建前は以上の通りです。 常識的には、解釈の枠を超えているように みえますね。 しかし、憲法で明確に否定している軍隊でさえ 日本には存在します。 それを等閑視して、集団的自衛権の合憲性を 論じるのはおかしいと思いませんか。 滑稽にすら感じます。

issei4321
質問者

お礼

実は、戦時軍国少年で、あの戦争で逃げ回った高齢者です。 あの敗戦直後に色んな事実を知りました。資源問題から満州事変に突入、人間、生き延びるためには殺し合いも止むを得なかったとの論など、戦争肯定の意見も沢山読んだものです。 でも、いくら生存の為とは言え、武器を持って殺し合いまでせねば生存出来無いと言うそんな哲学はだめだ、そういう事から9条が、スキンシップ的にも新憲法の精神と言いますか、哲学の軸になったものと、今でもそう解釈しております。それが一気に、憲法などあっても無くても良いようなご時世になってビックリしている次第です。 昨今の解釈論は、ただ相手に武器使用できるかどうかの「解釋」で、憲法を解釈しているだけで、新憲法の真の精神論はどこに置かれていたのか、その本来的基本事項には、識者も誰も全く触れませんね。人類生存の基本はどこにあるのか、それを飛ばした解釈で果たして、一国なるものの形、秩序が保たれるものなのか、そこを熟慮するのが一国の政府と言うものなのに、その政府がただ軍事技術的分野だけで憲法解釈に繋げるとは、恐ろしい限りです。 私とほぼ同じような解釈行き過ぎ論をお持ちのようで、しかも予算規模では英仏に次ぐ軍隊を持ちながら、先ず基本のそこを整理せずして集団的自衛権に飛躍して行く姿は、正に、既に、解釈の行き過ぎを示しているものですね、既成事実の累積で憲法などあっても無くても良い存在になってしまいます。これが怖い所です。 回答、どうも有難うございました。

  • yonesan
  • ベストアンサー率25% (347/1368)
回答No.4

解釈で憲法は変えられません。 変えようとしているのは憲法の運用です。 例えば武器輸出は憲法で禁じられていません。 武器は単なる道具であり戦力ではないから。 「武器を売るだけなら戦争ではない」 「戦争に使う道具を売るのは、他国の戦争を助長するのと同じ」 解釈は異なりますが「国権の発動たる戦争」や「武力による威嚇」ではないので、どちらも違憲とまではいえません。 このような憲法改正しなくても出来る事を運用変更で先にやって実績を積み理想と現実の差を広げ、憲法改正も止む無しという方向に持って行きたいのでしょう。 もっとも自衛隊の海外活動強化は選挙公約なので、自民党に投票した人皆が結果に対し責任を負うべきことです。

issei4321
質問者

お礼

<このような憲法改正しなくても出来る事を運用変更で先にやって実績を積み理想と現実の差を広げ、憲法改正も止む無しという方向に持って行きたいのでしょう。> 私もそのように思います。国を守る第一義的な防衛を真剣に考えた上でのことではなく・・・第一、今どこに日本人じいちゃん、ばあちゃん、孫たちを救出してくれる米軍のような事態が、今どこにあるのでしょう、いや、先においても、そんな世界最強の米軍を攻撃する者が居るのか、海上において。 市街地戦では有りえても、巨大な米艦隊を。 要するに先に憲法改正から入ると、出来る話でなくなることを恐れた現政権と与党が、姑息な手段で憲法改正せざるを得ないような方向に持って行こうとしているにすぎないでしょう。 その為には早く戦争に参加して、実績を作りたいだけなのでしょう。

noname#203300
noname#203300
回答No.3

 実質的に出来ちゃうってことです。『平和憲法』なんて風前の灯でしょう。  『解釈改憲』ってやつで姑息なことですが、そんなことは分かっていて安倍自民とカルト教団政治部に過半数を有権者が与えてしまったのですから仕方がないでしょう。戦争でも始めなけりゃ、この国の国民は自分の首を絞めていることさえ分からない。何度か選挙のお手伝いにも行きましたが、もうどうしようもないと思ってます。却ってその方がこの国の有り様を変えるには早いのかも。戦後60年余りで戦争なんてスッカラカンと忘れる国民なんですから『いつか来た道』を歩むのも仕方ないのでしょう。愚かなことだと思っています。  還暦過ぎのオジサンはもう自分の家族(ったって娘一人ですが)だけ守るのに精一杯ですね。

  • jusimatsu
  • ベストアンサー率11% (171/1438)
回答No.2

憲法の条文は変えてません。 条文が何を指しているかの「読み方」を変えているだけです。

  • led_san
  • ベストアンサー率33% (25/75)
回答No.1

昨年の8月に内閣法制局長官を、事実上更迭して長官の人事を集団的自衛権の容認に前向きな人事異動したことや有識者懇談会の人選などを鑑みても、結論ありきの茶番劇のようにしか見えません。 戦後70年において、集団的自衛権が認められたことがない事実は、一内閣の閣議決定でこれを覆すことはあってはならないことだと個人的には思います。 参考までに、日弁連のリンクを貼っておきます。 http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/assembly_resolution/year/2013/2013_1.html

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