相手を責めているという表現からして、相手の考えを正そうとしているのだと想像します。
なぜ硬化するのかと言えば、他人がその人自身の大事にしている考えを変えようとしていることに、恐怖を感じているからだと思います。
そして責めるということは、その人の考えを無視してその人を変えようとする行為なので、自分自身を守るために人は硬化するのだと思います。
たとえばその人が「楽して生きたい」と深層心理で思っていたとします。
そして、紆余曲折を経てニートになってしまったとします。
誰かがそれに対して「ニートなんて恥ずかしい!非常識だ!働け!」と、その人を変えようとします。
そうなってくるとその人は硬化してしまうことは容易に想像できるでしょう。
なぜなら楽をして生きたいのに、誰かが提示する方法は働くこと。
「楽をしたい」を満たす言葉が無ければその人は拒絶するだけです。
すこし整理してみます。
その人の大事にしている考えをA
そこから引き起こされる行動をBとします。
上記の例でいえば
A(楽をしたい)
B(ニートになる)
Aの考えが元になってBという行動をするので
A→B
の関係です。
誰かがそのBの部分を一生懸命否定したってAを満たしていないのでその人は誰かの意見を聞く価値がないと認識し、受け入れなくなります。
かと言って短絡的にAを否定しても、もっと硬化するでしょう。
人って基本的に自分を変えたくないので。
でもそのA(楽をしたい)の考えが変わるかもしれない可能性があります。
その人にはそのAの元となる、もっと上流にある、もっとその人が大事にしている考えがあるはずです。
たとえば「人生を良いものとして生きていきたい」…など。仮にこの思考を「A’」とします。
その人の思考の道筋は
A'→A→B
となっているはずです。
人生を良いものにしていくことは、楽をすることだと思い込んでいる場合だとこうなります。
失敗することを恐れているとか、そんな人に多いのかなと思いますが、まあ余談ですね。
Aが変わるためには、A'を踏まえてAは間違っていると示してあげる必要があります。
たとえば…人生を良くしていくことは、一生懸命やりがいをもって働くことなんだ、ということをうまく説明できればAは変わるかもしれません。
これは相手が一番大事にしているA’に沿っているので、相手を変えようとしていることにはならず、むしろ相手の考えを尊重しているので、相手が自身を変えようとしているのではないと思うでしょう。
すると自分を硬化する必要がなくなり、軟化するでしょう。
…と、これが基本的な考え方ですが、実際はなかなかそうはならない。
なぜなら人の考えは単純にA'→A→Bのようなものだけではないからです。
もっと複雑に絡み合っていたり、自分で自分の思考を整理しきれていなかったりなどなど。
そして人は「誰かに自分が変えられようとしている」と感じるとほぼ例外なく自己防衛として硬化します。
だからこそ、相手に「共感」する力は絶対必要です。
できる限り相手の理解に努め、理解したらそれを認め、認めたらそれをうまく相手に伝えること。
それができてこそ共感です。
共感して初めて相手に受け入れられる意見を言う下準備が整うので、しっかり相手の話を聞き、できればここでおそらく本人も気づいていないであろうその人の深層心理を理解することも必要かなと思います。
質問者さんが「何気ない一言」とおっしゃるのは、相手への理解が不十分であったからこそ、何がその人の気に触れたのか分からないということの表れでしょうしね。
非常に難しいことは承知です。こんなこと完璧にできる人なんていないはずです。
だからある程度は事故です、事故!
運が悪かったと思って次回に活かしましょう。
また、もし一度相手が硬化してしまった場合。
一度距離と時間をおくか、それができないなら今から必死に相手の理解に努めて共感することかなと思います。
何にしても一度硬化した人を相手することは難しいでしょうから、そうなったらあきらめることも選択肢に入れてください。
泥沼議論になるだけですので。
以上、私の偏見理論&長文失礼しました。
お礼
結局、あまりその人の欲求など理解せずに浅い解釈でどうだとかいうから攻められているなどなるでしょうね。 よくわかります。 ご回答ありがとうございます。