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『生きる』こと
私は有料の老人ホームで働いているんですが、先日、入居しているお客様のところにご家族が面会に来られました。 帰り際お孫様が「ばーばは生きてる価値あんの?」とお母様にお尋ねになって、ギョッとしたのですがお母様はとても悲しそうなお顔をされていました。 皆様はどうお考えになりますか? *入居しているお客様は認知症がかなり進んでいる状態です。
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その子がいくつくらいか分かりませんが、そういう発言ができるというのであれば小学校以上でしょう。もし私なら、その子にこういうでしょうね。「ねえ、生きる価値がなくなったら、人は生きていてはいけないのかな?」って。 まあ、これは詭弁術のひとつではあるのですが、そういう質問を投げかけられると、私たちは得てしてその土俵に乗ってしまうんですね。今回のはどういう土俵なのかというと、その疑問が出る前提としての「人は価値がなければ生きる意味はない」というのを暗黙のうちに了解して答えを探してしまうのです。 でも、そもそもそれっておかしいですよね。人は価値がないと生きてはいけないのか。治らない病気にかかった人は生きる価値はないのか。じゃあ価値があるとかないって誰が決めるんだろうとかですよね。 私見ですが、私は「生きるとは、食うことだ」と思っています。だから自分で食えなくなったら、それは天命だと思っています。もちろん病気などで一時的に食べられない状態だから点滴などで一時的にしのぐ、というのはあると思います。しかし、末期がんだったり高齢者だったりでもう自分の力で食べることができなくなったら、それ以上無理をするのは天命に背いているのではないかと思っています。 だから私はもう介護のことも考えなければならない年代となった両親に、「病気やボケで、胃ろうが必要になったときは、胃ろうはやらないよ。そうなったらもう諦めてくれ」といっています。末期の老人が胃ろうを施したところでそこからまた元気にご飯を食べることになる可能性は限りなくゼロに近いですからね。
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- k-a-r-a-p-a-n-a
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わたしは 88と94の両親を 亡くなるまで 子どもも含めて 家族で介護していました 介護されていたいろいろな方の話を聞くと みなさん後悔が残るようでした それで 後悔はしないようにという話を 家族でいつも話していました 元気な時に 「面倒くさい」などと言って あとでやってあげればよかったなどと 後悔しないようにということです 結局この場合 本人の価値ではなく 残された人々たち、面倒をみた人々の 行きている価値がためされているんでしょう 家族だけではなく そこで働いている方達の 労働の価値でもあるわけでしょう 家族よりも 働いている方達のほうが 本人にとっては 行きている価値があるかもしれませんね そのお孫さんというのは まだ子どもなのかもしれませんが やはり それを看取る人達が ふだんから 生きる価値というものが 何なのかを話しておく必要が あるんでしょうね
お礼
回答ありがとうございます。 ご家族で看取って差し上げたんですね。ご両親はお幸せだったことと思います。 今はご家族皆で介護するというお宅は少なくなっているようですね。 私の施設でも看取りを行っていますが、労働の価値というのは考えつきませんでした。 看取りの時期に入ると、考えつく限りのケアやサービスを提供して出来るだけ穏やかに送って差し上げたいといつも思います。 お客様のご家族にとってはかけがえのない親であって、そこには価値があるだのないだの関係ないですよね。
- marbleshit
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残念なことにこの国の人間は、 人が人として生きることの意味を教える 宗教教育を蔑ろにして来た為に、 そういった人間としての根本を教育することが出来ませんでした。 無論それは入院されているお婆様の時代からのことです。 そうしたツケがそのお孫さんに そっくりそのまま跳ね返って来るのだという、 因果の法則を教えることこそが、 本当の教育の目的であるからです。 大変に気の毒な話ですが、 これがまごうかたなきこの国の現状です。 いつの時代も、社会全体の縮図がもっとも小さな命に顕現するのです。
お礼
ありがとうございます。 実際私自身どう答えられるだろうと考え込んでしまいました。 学生時代も突き詰めて教えて下さる大人もいなかったように思います。 介護士として働いていても未だ答えに辿り着けない状況です。
お礼
ありがとうございます。 同感です。他人に価値が決められるの?って思ってました。 私も自力で食事ができなくなったら寿命だと思っていますが、お客様のご家族からとにかく食べさせて!って言われるときもあり、正直もう無理だとは言えないわけで・・・。 命があるから生きているってことなんでしょうかね・・・。