「1、2、3、たくさん」の「たくさん」と無限の違いは何かね?
「1、2、3、たくさん」の「たくさん」と無限の違いは何かね?
昔ね、本田勝一って人、朝日新聞の記者だったと思うんですがね、この人がニューギニアの高地に調査に行ってね、ニューギニア高地人の言葉や生活を調べたところ、数詞に関しては「1、2、3、たくさん」の四種類だってんだね。
小学生だったので、ニューギニア高地人に対して優越感を持ったね。
あいつら自分の指の数を「たくさん」って言うのか、なんて思った記憶が鮮明に残ってるんですよ。
翻って、現代の大工の世界ではね、
大工兄:「おーい、ちょっと、そこの釘、取ってくれないか」
大工弟:「あいよ。二三本で良いのかい?」
大工兄:「ああ。たくさんはいらねえ。」
なんだい、ニューギニア高地人と選ぶとこ無いじゃないか!
でもね、棟梁になるとちょっと違うよ。
金勘定ってものが付きまとうからね。
積算とか見積もりとかいう仕事ばかりになっちゃったらね、鑿や鉋のウデも鈍っちゃうんだけどね、誰かがやらにゃ、家は建たないからね。
棟梁の世界は、
「1、2、3、、、3000万円、金持ち」ってぐらいの分類だね。
棟梁の仕事はニューギニア高地人の1000万倍複雑だってことよ(笑)。
3000万円は例えでね、まあ、4000万円だっていう人がいるかもしれないけど、ここでドングリの背比べしようってんじゃないよ。
「3000万」と次の「金持ち」ってのの違いが重要なんだ。
普通の人が家を建てる場合は、予算が重要でしょう?
貯金叩いて、ローン借りて、返済計画なんか考えながらギリギリのところで家をたてて下さるんだからね。
予算3000万円まではそういう「予算制約の家」さね。
建築士はね、「岡の上の家」とか「朝日の当たる家」、「港の見える家」なんて、しゃれた名前を付けて建築雑誌に写真をのせたりするけどね、大工に言わせりゃ、みーんな「予算制約の家」って呼ぶよ。
ところがね、たまにね、最近は減っちゃったけどたまにね、予算の事を仰らない施主ってのがいるんだ。
出桁化粧入母屋造りでね、差し鴨居は4寸x12寸のケヤキを使い、土台は今じゃ珍しくなったクリを使う、とかね、、、。
こういう注文を頂くことがある。
当然3000万円じゃおさまらないよ。
でも、気にしない。
「金持ち」だからね。
予算なんか気にせず、とことん良いものを求めていらっしゃる。
大工は、こういう時にほんとの力量が試されるんだ。
でもね、ここで言う「金持ち」ったって、「無限」に金が有るわけじゃあねえ。
建築と言う目的から見れば十分な金があるので、金額を気にする必要がないってことだ。
ここからが本題だよ。
物理の方面で、たとえば「宇宙を記述する」ってう「物理学の仕事」のなかでね、無限ってのは出てくるんですかね?
「目的から見て、上限を考える必要が無いほど大きな数」じゃなくて、数学の無限ですよ。
別の表現をすると、
「いまの、この宇宙を記述するための物理量が、無限という値をとることがあるか?」と言えるかな。
もっと言い換えると、「数学の世界で整合性を持つ無限は、我々の自然界(いまの宇宙)の実現値として実際にあるか?」と言ってもよい。
同じ事を、物理学のカテゴリーで質問したところ、
「ブラックホールの中で物質密度が無限大になる。」そうです。
ここで、無限大というのは、「金持ち」の定義みたいに、目的から見て十分大きな有限の数値、ではなくて「数学で言う無限」の事だそうです。
いやー、無学の大工としては納得がゆかなくてね。
大工の前提:
1.この宇宙の総質量は有限である。
2.ブラックホールは宇宙の一部である。
3.密度の定義は、「密度=質量÷体積」である。
4.割り算で、分母=0は認められない。
ブラックホールで物質密度が、(数学的な)無限になるっていうと、上記の前提のどれかが覆ってしまうじゃないですか。
もともと(過去)有限の密度を持っていた物質がブラックホールに吸い寄せられて、結果、(現在)無限の密度を持っているとすると、(途中で)加速度=無限で密度が増加しないとならない。
少なくとも一回は「アインシュタインのスピード制限」を超えたって事になっちゃうでしょう?
概念としての数学はいざ知らず、物理的な自然界は「アインシュタインのスピード制限」を守ることになっているのだから「そんなバカな!」と思っちゃうんですよね。
多分、個別の物理現象を正確に理解するためには、理論物理学ってのをちゃんと勉強しないといけないのでしょうけど、こっちの寿命はそれほど残っていないので、無限の概念を扱う事が得意な数学の先生からヒントをいただけると有難いんですがね。
質問:
概念上の「無限」が現実の世界(=物質・エネルギーの世界、われわれの宇宙)に現れることがありますか?