平和作文の訂正をお願いします
毎年、夏になると8月6日の広島への原爆投下、
9日長崎への原爆投下、15日の終戦記念日等により、
テレビや新聞等でよく平和や戦争について取り上げられる。
そんなテレビを見ていると、飛行場の周りに咲いているある花の事を思い出す。
その花の名前は、天人菊、別名「特攻花。」という花だ。その花は主に赤色で花びらの先が黄色く赤ちゃんの手位の小さい花だ。
特攻花というのはその名の通りあの神風特攻隊と深い関係のある花だ。
僕が住んでいる喜界島は、きれいな海を持つ隆起サンゴ礁で出来た島で人口は八千人ほどの穏やかな島だ。
何故この小さい島が特攻隊と深い関係があるのか…。
それは喜界島が本土と沖縄を結ぶ重要な中継基地だったからである。
喜界島は沖縄と鹿児島のちょうど真ん中に位置している。そのため本土から飛び立った兵隊達は喜界島へ立ち寄り、再び激戦地沖縄へ向かって行っていた。
その際に、女学生から贈られた花を「花も一緒に沖縄の海に散って行くのは申し訳ない…。」という思いからか、滑走路の隅に置いて旅立った、との事だ。
その花が戦後67年過ぎた今でも滑走路周辺に咲いている。
この花を島の人々は「特攻花」と名付け、僕達の世代まで語り継がれてきた。
僕はその特攻花の歴史を知って以来、テレビや新聞等で特攻隊の事が取り上げられると、他人事ではない、何か親近感に似た感情を持って観ていた。
選は恐い、絶対に起こしてはならない。
そんな事は分かっていた。しかし、花の存在を知った当時、まだ小学生だった僕は、
もし戦時中に生きていたとしても、疎開すれば爆弾で命を落とす事はないだろうし、
特攻隊にならなくても済むから大丈夫だろう…。と、心の何処かで、自分には起こり得ない、歴史上の出来事に過ぎないと思っていた。
だが、今年で僕は17歳になった。17歳という年齢は、特攻隊の中で最年少の隊員の年齢だ。
自分と同じ17歳で、国の為に命を落として行った人がいるのか…。
産まれた時代が少し違うだけで、
もし僕が戦時中、17歳を迎えていたら…。
そんな事を改めて考えていると、今までの気持ちとは打って変わり、全身に鳥肌が立ち、呼吸が少し速まり、じんわりと汗をかいていた。
もし明日、自分に出撃命令が出たら
死に行く飛行機に乗り込む事ができるだろうか…。
僕には到底無理な話である。
しかし、彼らはやらざるを得なかったのだ。
平和な時代に行きたいと思っていながらも、夢半ばで、お国の為、平和な未来をつくる為に散って逝った方々の死を無駄にしてはいけない。
平和な今を生きる僕達に出来ること。
それは、戦争の歴史を風化させず、次へ語り継いでいくことではないか。
戦争を体験したことのない僕が言うと軽い意見になるかもしれない。
しかし、これから先は戦争体験者がいなくなる時代がやって来る。
その時が来るまで、本当の戦争を知っている方から直接お話を聞き、戦争を歴史上の出来事にするのではなく、
生の声でリアルな体験談で語り継いでいく事が大切だと思う。
特攻隊の方が、僕達に残してくれた
平和を願う花「特攻花。」
これからもこの花とともに、平和や戦争について考え伝えていきたい。
END
読んで頂き有り難うございます。
アドレス等あれば何でもかまいませんので宜しくお願いします。
お礼
とても参考になるサイトですね。ありがとうございました。