• 締切済み

よい訳を教えてください。

以下の文章の訳を教えてください。and以下がよくわかりませんでした。 The "closed country" (sakoku) of the Tokugawa Period was anything but static, and the ferment and excitement that were evident in so much of that period were never more obvious than in the early eighteenth century when Baigan lived. よろしくお願いします!

みんなの回答

noname#202629
noname#202629
回答No.7

NO4です。貴兄のいう通りです。「~とは程遠い」と訳しておれば文章は成り立つ。 徳川時代の鎖国は静寂とは程遠いものであった。そして江戸時代の多くのものに見られた不安、動揺、興奮が、梅岩が生きた十八世紀初頭ほど顕著だったことはありません。 と繋がるべきでした。 失礼をしました。

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質問者

お礼

こちらこそお礼が遅くなってしまって大変失礼しました。ありがとうございました。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.6

    #1です。補足です。 >>「静止という状態以外のなにものでもありませんでした」は、「静止であった」の強調だと思われ、少々混乱しております。     混乱なさることはありません。抄訳は間違いです。

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質問者

お礼

ありがとうございます。お礼が遅れてしまってすみません。

  • oignies
  • ベストアンサー率20% (673/3354)
回答No.5

補足 anything but staticの部分は、なにであったにせよ、static意外のなにか、というのが直訳ですので、抄訳がまちがっているかとおもいます。 このstaticは静的と訳すか、平穏と訳すか微妙ですがそのあたりかとおもいます。興奮なのか熱狂なのかその辺の内容につしてはもっと前後関係だとか、石田梅岩だとかについてしらべてから確定したほうがよいとおもいます。

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質問者

お礼

ありがとうございます。お礼が大変遅れてしまって申し訳ありません。

noname#202629
noname#202629
回答No.4

このstaticの捉え方と思う。 一般的に静寂・静止状態のような意味が知られているが、非難・批判という意味があるよです。 文章の後にもagainst what it thought were overly critical thinkers と言っているようにこの批判として使っているようです。 excitementもfermentの同意語として使っているために、普通の興奮ではなくどちらかと言えば混乱・動乱に近い言葉となる。 徳川時代の鎖国は非難の対象以外何者でもない、梅岩(1744年没)が活躍をした18世紀初頭の50年間を除いた残りの時代{1639-1854年(江戸幕府が日本人の海外交通を禁止し、外交・貿易を制限した年から徳川家康が日米和親条約締結までをいう)}は、(鎖国によって生じた)混乱・動揺は決して明らかにされなかった。 と言う事だと思う。

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質問者

お礼

ありがとうございます! staticにそのような意味があるとは知りませんでした。勉強になりました。 ただ、No1.さんのお礼欄を見ていただけるとありがたいのですが、主催者による抄訳によると(これが正しいとするなら)、ここのstaticは静寂・静止状態のほうの意味のようです。

  • oignies
  • ベストアンサー率20% (673/3354)
回答No.3

徳川時代の鎖国は、静態的とはほどとおく、この時代のほとんどについてあきらかな熱狂は、梅岩のいきた18世紀にとりわけ顕著であった。 というようなことではないでしょうか。徳川時代は、戦争などはほとんどなかったので、ferment and excitementの意味は動乱というような意味ではないようなきがします。時代が熱気をおびていたかどうかという話ではないでしょうか。

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質問者

お礼

とてもわかりやすい訳をありがとうございます! No.1さんのお礼欄にも書いたのですが、主催者の抄訳らしいものが見つかり、そこに「不安、動揺、興奮」とありました。それが正しいとするなら、fermentは動乱でないにしろ、negativeな感情ではあるみたいです。

  • marbleshit
  • ベストアンサー率49% (5033/10253)
回答No.2

徳川幕府時代の『鎖国』とは、とても平穏無事どころではなく、 政治的な動乱・紛争が顕著であり、徳川時代を通じてこれほどまでに その気運が高じたのは、(石田)梅岩の生きた18世紀初頭以来のことであった。

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質問者

お礼

ありがとうございます! No.1さんのお礼欄に書いたコメントを見ていただけるとありがたいのですが、どう思われますか?

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.1

    徳川時代の「閉じられた国」(鎖国)は、静的どころか、バイガンが生きていた初期の18世紀ほど、この時代を特徴づける、(静かに見える表面下で)醸し出される興奮が鮮明に認められる時代はなかった。

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質問者

お礼

ありがとうございます! 「静的どころか」ということは、anything but staticは、「静的ではなかった」ということですよね? 自分でも「static(変化のない静かな時代)ではなかった」と理解していたのですが、質問文投稿後、自分なりにいろいろ検索しておりましたところ、この講演の主催者による抄訳と思われる日本語を発見し、そこに「徳川時代の鎖国は、要するに静止という状態以外のなにものでもありませんでした。そして江戸時代の多くのものに見られた不安、動揺、興奮が、梅岩が生きた十八世紀初頭ほど顕著だったことはありません。」とありました。 http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2000/00198/contents/033.htm 「静止という状態以外のなにものでもありませんでした」は、「静止であった」の強調だと思われ、少々混乱しております。

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