>なんと書けば良いか教えてください。
信念とかイデオロギーとかアイデンティティーとか言われると非常に困惑してしまう、と正直に書き始められては如何でしょうか。
日本人にとっては一番苦手な部分です。
キリスト教圏の人たちのように唯一絶対なるものの存在というものを日本人は受け入れてきていませんので、アイデンティティという言葉に相当する言葉を持ち合わせていません
まず最初にこのことをことわっておいたほうがよろしいかと思います。
キリスト教圏の教職者の方に向かってアイデンティティが無いというと誤解を受けますので注意して下さい。
欧米の教育では個の自立ということを非常に大切にします。
彼らにとっては、個の自立のためにはアイデンティティという概念は不可欠です。
つまり、アイデンティティあるいは信念が無いということは個が未熟であると受け取られてしまいます。
この辺の誤解を避けるためには、「和」というものを持ち出すのが一番安全かと思います。
アイデンティティに相当する言葉は持ち合わせていないが「和」という概念、言葉をもっているということを書かれてはいかがでしょうか。
「和」も本気で説明しようとすると相当に難しい概念です。
難しくは考えないで「仲良く」ぐらいの感覚で考えてまとめられては如何でしょうか。
「和」を達成するには当然没個性では不可能です。
単なる付和雷同になってしまい、それこそ無思想になってしまいます。
カナダではアメリカの野球は話題になってはいませんでしょうか。
ヤンキースに在籍していた松井選手のことは知られていますでしょうか。
彼が未だにニュヨーカーの間で人気があるのは「和」に徹していたことによります。
彼はホームランなどでヒーローインタビューを受けても必ず「チームが勝ってよかった、それに貢献できてうれしい」という言い方をして「オレのホームランで勝てた」とは絶対に言いませんでした。
ホームランよりも塁に出ることを最優先にしていました。
これも好感をもって受け入れられたようです。
ホームラン競争もできない低レベルの選手、というように位置づけられることはありませんでした。
サッカーでもこの辺のことはよく言われます。
日本人のプレーヤーは次の人がいかにシュートし易くなるかということを考えてパッスをすると言われています。
これに対して他の国の選手は、いかに自分がシュートするか、いかに目立つかを考えてプレーするといわれています。
体力で非力なナデシコジャパンの強さもこの点にあるとされています。
このたびの東北の地震でも、米軍の救援部隊の司令官が撤収に当たってお礼を言われた際に「お礼を言いたいのは我々の方だ、自分が被災者であるのにも関わらず、多くの人が我々の手助けをしてくれた、おかげで我々は任務をまっとうできた」と言っていました。
中国人がよく「個人であれば中国人は龍で日本人は豚だが、集団になると日本人は龍となり中国人は豚になる」と言います。
つまり、所属する集団の利益を最優先に考え、それにいかに貢献できるか、と考えるのが日本人特有のものの考え方のようです。
集団の利益を損なう言動すなわち「和」を蔑ろにする言動を日本人は本能的といっていいほど嫌います。
以上のように、文化というか発想の原点の違いを書かれては如何でしょうか。
これだけ「和」を強調すれば、それで立派にアイデンティティーを表明したことになるかと思います。
信念だのなんだのと、敢えて書こうとすると、年寄りが大好きな何やら儒教めいた右翼思想の塊のようなことになってしまいます。
注)
キリスト教では神と個人は1対1の契約関係にあります。
個々に神と契約した者同士が社会を構成していると考えます。
神との契約を間違いなく履行するためには個が充分に成熟している必要があります。