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同期は何を思っているのでしょうか?
同業他社に転職して4ヶ月です。 現在、1週間泊まりの研修にきています。 入社教育でお世話になった先生が、泊まりの研修に参加するということでメールが来たので、「良かったらお話しましょう」と返信したらOKをもらいました。 同期にその話をしたら「何の話をするの?どこでするの?」と動揺してました。 私は夕食後に、多忙な先生が3時間も色々お話をしてくれて有意義な時間を過ごせました。 滅多に会えない方なので、同期にも先生とお話するのを勧めて、同期が先生にメールしたら忙しいと断られてしまったそうです。 同期は、大人しく、どちらかというとネガティブです。 お世話になった先生と話すだけで、動揺するのがわかりません。 客観的にどう思いますか?
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シンプルに言います。 若い人には優等生型と呼ぶのが適切なものがいます。 このひとたちは試験に強くて、学校時代はどんなものにも「正解」を記入できて成績がいい。 このひとたちの勉強は、問題と正解が書いてある問題集のようなものを繰りかえし、慣れること。覚えること。 悪いことではありません。 だけど、ちょっとした思い込みがある。 正解が必ずあると思う人は、それを教えてくれる人を絶対の先生だと思うわけですね。 その人がいうことはすべて正しくて間違うわけがない。 だったらこちらが意見を言ったりするようなことは恐れ多いし、そんなことをしてはいけない。 同じ身分ではないので、極力へりくだり、同じ床の上に並ぶのももったいない。 ここから多少問題点が発生します。 この生徒は、自分で考えていないのです。 正解を覚えようとしているだけです。センセイがいうのがそれが絶対正しいと思おうとする。 先生は人生で間違いなんかひとつもないだろうと思いたがる。 人生のいろいろな場面では、うまくいく場合もあれば、ダメになる場合もあります。 あるいていたら何かにつまずいたり水たまりに足を突っ込んだりするのと同じことで、普通のことです。 先生が絶対だと思う人は、ダメになったとき立ち直りにくい。 なぜかというと、正しいことをやっているのにダメになるわけがない、自分は最大の努力をした、と思うからです。 ドブにおちないように努力をするのはいいですが、それでも落ちることはある。 そのときに努力したじゃないか、と一体誰に向かって文句を言うのでしょうか。 足を引っこ抜くのが先ではないか、と自分では思わない。 ドロがしみてくる、ああ冷たい気持ち悪い、ということを味わおうとする。そして嘆くことを楽しむ。 こんなに細心に努力したのになぜこういう目に会わなければならないんだろう、と愚痴る。 そもそも、人生は、カタチのある問題が出題されて、それに対応した唯一無二の正解を出すなんていうことはありません。 ある局面で、どうしようかいろいろ悩んで結論が出しきれず、えいや、とバクチをうつようなことがあります。 教えてくれた先生役の人と話をしたい、というのは、あなたと同じ土俵でこれから自分も相撲をとりますということです。 横綱だって転ぶこともありますが、前頭が横綱と一緒にごはんを食べたいと思うのです。 いつかこの横綱を押し出してみたい、と思ったりしてもいいです。 白鳳だって日馬富士だって、貴乃花を見てそう思わなかったら、出世はしません。 そういう発想がわくのが理想です。ですからあなたが人生の正解です。 同僚は、優等生なのでしょう。 あの与沢翼さんが経営破たんしました。 彼のやり口は私は共感できませんでしたけど、社員を何百人もかかえてこうなったことは気の毒です。 クレジット会社が破裂したのは致命的でした。 どうなると思いますか。 おそらく自殺することもないだろうし、また復活しますよ。 なぜかというと、彼が起業したのは勤務していた職場での経営者上司同僚に対する恨みと「見返して踏んづけてやろう」というマイナスのエネルギーからだったからです。 一度ドブから上がってきた人です。自分自身の覚悟がまず違う。 そういう人は湖に落ちても上がってきますが、手を差し伸べる人間がいる。 おそらく彼を先生と呼んでいた世代のうちの幾人かが助けるはずです。 そうしないで彼をあざ笑う人たちはセンセイとごはんを食べるなんていうことを発想しなかった人でしょうし、ノウハウコレクターでしかありません。 名前を隠すほどではないですが、元ライブドアの社長をやっていた人、解任されて、逮捕されて懲役までくらいましたが、刑務所の中でも稼いでいましたし、出たら何人も助ける人が現れました。 自分の人生は自分で選ぶものですから、同僚も否定しないでください。 あなたが選んだ道と違う道を歩いているだけです。 おそらくこれから時間を経て人生が分かれていきます。
お礼
ありがとうございます。