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南インド洋の命名経緯とは?
- マレーシア航空機の墜落現場とされるインド洋・南インド洋ですが、その命名の経緯について知りたいです。
- 南インド洋の命名理由は以下の可能性が考えられます:(1)当時の航海目的の名残り、(2)インド人の活躍による影響、(3)インド大陸との関連性、(4)国際的な命名機関による決定など。
- 詳しい命名の経緯や理由をご存知の方、教えていただけますか?
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>何故、赤道を越え遠くオーストラリア沖までがインド洋なのでしょうか・・・ 海域の名称といいますのは、現在のところ、国際水路機関 【 IHO 】 International Hydrographic Organization という国際機関での話し合いの上で決められています。 ちなみに、インド洋の範囲については次のようになっています。 北:アラビア海とラッカディブ海南限 - ベンガル湾南限 - 東インド諸島南限 - グレートオーストラリア湾 西:アガラス岬 -(東経20度線)- 南極大陸 東:タスマニア島のサウスイースト岬(英語版) -(東経146度55分線)- 南極大陸 南:南極大陸 東側の境界とされている東インド諸島といいますのは インドネシア(ニューギニア島を除く)、フィリピン、マレーシアのカリマンタン島部分、シンガポール、ブルネイ、東チモールに当たります。 この島々からオーストラリア大陸に沿ってタスマニア島の先端までとなり、そこから東経146度55分の経度に従って南極大陸までがインド洋の範囲となります。 ということで、記事の南インド洋というのは通称でインド洋の南の部分という程度の意味です。 どこから、どこまでだ、などという喧しい定義に基づいたものではありません。 東インド諸島があるのなら、西インド諸島はどこだということになりますが、実はカリブ海にあります。 これ等の名称は、コロブンスの時代に遡ります。 南アメリカとインドとはべつものだと気が付いて、あわてて、インドの東側の島々を東インド諸島と呼び、カリブ海一帯を西インド諸島と呼び直しました。 なんともいいかげんな話しです。(アフリカなんて眼中になかったんですかネ) インド周辺の地図を見ていただくと、インドの西側はアラビア海となっていて東側はベンガル湾となっています。 ヨーロッパ人がアフリカ大陸を回ってインドへ出入りするよりもず~と昔から、ペルシャの人達はこの海域を往復してインドと交易をしていました。 そういう意味ではアラビア洋でもペルシャ洋でもよかったのでしょう。 まぁ~十字軍の昔からアラブの人達と角を突き合わせていた、ヨーロッパ人からすれば、インド洋のほうが抵抗感がなかったのでしょう。 時を経て国際水路機関などというものを作って国際基準なるものを決めたのが西欧人ですから、インド洋で落ち着いたのでしょう。 以上がご質問の(1)~(5)までを纏めた説明です。 最近、この国際水路機関に韓国が噛みついてスッタモンダやっています。 韓国の言い分が通るようならば、インド洋もいずれ名称が変更される日が来るかもしれません。 オーストラリア洋になりますかね~、アフリカ洋でしょうかね~ 黒海もそのうちクリミヤ海になりますかね~
お礼
詳細にお教え願いありがとうございました。 それにしても、国際機関って、国連や国際司法裁判所等にも言えるが、かなり、いい加減な先願主義・大国の思惑で機能不全・言ったもん勝ちの部分と紛争時には調停能力や権能が弱いように思います。 ex、東海の併記問題・竹島や北方領土・民族独立(現在のウクライナ他)