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「はい」よりも「いいえ」が期待される非対称性とは?
- 「いいえ」よりも「はい」が期待される非対称性は、質問文の字面だけではなく、質問者の主張や意図が関わっています。
- 「はい」「いいえ」を促す疑問文は、一般的には「はい」を誘導するものですが、必ずしもそうではありません。
- 会話1、2、3のように質問の表現を変えれば「はい」「いいえ」の期待度に差がなくなりますが、冗長な表現になる場合もあります。
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本題からそれるかもしれません。 子供に何か注意をする時、否定語の使用は好ましくない、というよりおそらく厳禁と思う。 例 廊下を走らないように・・・。 潜在意識に残るのは、「廊下」「走る」だけです、この言葉を並べ変えても、「走らない」に結びつきません。 会話1、「お前」「やった」 会話2、「安部晋太郎」「右翼」 会話3、「偏差値45」「(〇〇大学)受かる」 まず、この言葉に反応します 会話1 「お前はやらなかったのか」、印象に残るのは「お前」「やった」になるため、反応に大きな相違はないはずです。 「お前は見ていただけか」なら別の反応になる可能性は期待できます。
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- fxq11011
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というより、右脳(感覚、感情)と左脳(言語)による影響かも・・・・単なる空想です。 言語を左脳で認識しても、脳簗を通して瞬時に右脳の感覚で反応するのは、文章全体の意味ではなく、名詞、動詞の語幹部分の意味だけが伝わって反応するためではと思えば、私なりにはなるほどと思います。 廊下を走らないように → 右脳が瞬時に反応可能なのは、「廊下」「走る」 廊下は静かに歩きましょう → 同上 「廊下」「静か」「歩く」 >「おい、お前がやったのか?それともお前はやらなかったのか?」 お前がやったのか お前はやらなかったのか いずれの場合も、「お前」「やる(やった)」で感情的に反応するのではと思います。 聞かれた側の右脳の反応(受ける感情)を考えると。 やらなかったのか、ではなく具体的な、では「(どうだった)のか」と聞く必要があるように思います。
お礼
生理的な要因ですか。ワタシには正直難しいです。 皆さんから頂いた回答はいずれも国語の範囲を超えて、命題とか右脳左脳とか思ったより複雑な内容なので少々戸惑っています。 日本語の言葉の性質の中だけで解決するようなシンプルでちょっとしたことかと思っていたので。 ありがとうございました。
- ゆのじ(@u-jk49)
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単に「はい」という答えが正しいはずという想定での質問にすべきということ。つまり、「いいえ」という答えを返された場合、洞察力不足が露呈されたということ。各種の総会レベルを想定すれば、この種の案件は分かり易く、「いいえ」が多数を占めた時、その案件は否認されたわけ(廃案)ですから、改めて、総会上程議案説明書を作成して、即刻に、臨時総会の開催が必要になる。かように、全体の意見集約が不十分で、想定外の「いいえ」が多くなると、手間隙が余計にかかってしまう。で、たいていの総会議案は、一貫して「はい」になるべく作成される。否認されること(「いいえ」の意思表示が多数となること)は、執行役員としては失態。
お礼
回答ありがとうございます。 質問を変数とみた極値問題ですね。すると外的要因によって「はい」「いいえ」が要求される度合いが異なってくるということですか。総会の例はわかりやすいです。
- Piedpiping
- ベストアンサー率74% (513/687)
#1です。 >任意の命題Pに対してQ=「P かつ notP」とおくと、 >Qには真である可能性が全くありません。 >「Qですか?」を問いにすることはない、 >そういうのは問いとは言わないという意味でしょうか? 申し訳ないのですが、おっしゃっていることの意味が分かりません。 Qとは何でしょうか? 「P かつ notP」ということは集合でしょうか? そうであるならば、「P かつ notP」は空集合ですから、「P かつ notP」は真であるか、と問うことは無意味です。 (これに意味があったら、背理法がそもそも成り立ちませんね) 「おまえがやった、かつ、やっていない。」 「安倍晋太郎は右翼であり、かつ、右翼でない」 「○○大学に受かり、かつ、受からない」 これらの命題は真か、を問うというのは、この質問をしている話し手は何が知りたいんでしょうか? あり得ないに決まってるんだから。 「おい、お前がやったのか?それともお前はやらなかったのか?」 「安倍晋太郎は右翼か?それとも右翼ではないのか?」 「偏差値45なんですが○○大学受かりますか?それとも○○大学受かりませんか?」 これらの質問は 「P と ~Pのどちらが真であるか」 という問いですから、質問する意味はあります。 なお、これらの質問は 「「P または ~P」が真であるか」 という意味ではありません。 あくまで、選択疑問文です。 また、「P または ~P」は常に真ですから、「「P または ~P」が真であるか」もまたわざわざ尋ねるまでもないので、意図の分からない問いということになりますね。 聞かれた方は頭の中が「????」となることでしょう。
お礼
”おっしゃっていることの意味が分かりません。”とのことですが、あなたは1番で”ある命題が真か偽かを問うということは、その命題が真であるという可能性があるが、本当に真だと判断することができないので、聞き手に確認をするということです。”と書きました。 つまり「はい」の可能性があるときのみ問いを発することができるという意味にとらえたので可能性のないQの例を与えてそれを問うことはできないのかどうか尋ねた(お気づきかと思いますがこれも「はい」「いいえ」を期待する問いです)のです。 ”Qとは何でしょうか?”とのことですが、補足にかきました。 ”「P かつ notP」ということは集合でしょうか?”集合ではありません。命題です。 ”(これに意味があったら、背理法がそもそも成り立ちませんね)”・・・この部分がよくわかりませんでした。背理法とは「PならばQ」を証明したいときに「PかつQ」を仮定して「notP」を導き矛盾を示すことです。Pが真であるかどうかは背理法とは無関係です。 ”あり得ないに決まってるんだから。”そうですか?それはなぜでしょう?「Aですか?」と聞いて「はいそうです」という答えを引き出したあとに「(しめしめという顔で)Aのわけありませんよね」という問答はありえるのではないでしょうか。
補足
”背理法とは「PならばQ」を証明したいときに「PかつQ」を仮定して「notP」を導き矛盾を示すことです。”書き間違えたので修正です。 背理法とは「PならばQ」を証明したいときに「PかつnotQ」を仮定して「notP」を導き矛盾を示すことです。
- Piedpiping
- ベストアンサー率74% (513/687)
ある命題が真か偽かを問うということは、その命題が真であるという可能性があるが、本当に真だと判断することができないので、聞き手に確認をするということです。 会話1の場合。 取調官は「おまえがやった」という命題が真であるという根拠があるが、確証はないので、参考人に尋ねるという形式をとっています。 訪ねられた参考人は、犯人でないのであれば、「俺がやった」という可能性があるというだけで、当然反発します。 「はい」が期待されているというよりも、「はい」と答える可能性があると思われていることに腹を立てている状況です。 会話2の場合。 Bは「Aが安倍晋太郎は右翼だと信じていると判断し」ているわけではない。 Bは「Aが「安倍晋太郎は右翼だ」という命題が真である可能性があると考えている」という点に対して、「そんなわけないだろ、右翼の可能性なんてこれっぽっちもないよ」と言っています。 会話3の場合。 ○○大学に受かる可能性があると考えるだけで論外だということ。 つまり、「○○大学に受かる」という命題が真となり得ると考えること自体がばかげているということ。 質問するという行為がそういうことです。 したがって、冗長な言い方をしても同じことです。 「おい、お前がやったのか?それともお前はやらなかったのか?」 「安倍晋太郎は右翼か?それとも右翼ではないのか?」 「○○大学受かりますか?それとも○○大学受かりませんか?」 どれも、当該命題が真となり得る、真となる可能性がある、ということを前提としています。 相手が、「そんな可能性は全然全くない」と思っていれば、同じ反応を示すでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 任意の命題Pに対してQ=「P かつ notP ですか?」とおくと、Qには真である可能性が全くありません。 Qを問いにすることはない、そういうのは問いとは言わないという意味でしょうか? AがBに尋ねる場合、Aが「はい」か「いいえ」かどちらにも加担していない、BがAは「はい」か「いいえ」かどちらの色に染まっているのか判断できないような問いの方法は無いということでしょうか?
補足
”任意の命題Pに対してQ=「P かつ notP ですか?」とおくと、Qには真である可能性が全くありません。 Qを問いにすることはない、そういうのは問いとは言わないという意味でしょうか?”・・・少し変なので修正します。 任意の命題Pに対してQ=「P かつ notP」とおくと、Qには真である可能性が全くありません。 「Qですか?」を問いにすることはない、そういうのは問いとは言わないという意味でしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 質問された側は文全体をみずに特定のキーワードだけに反応する脊髄反射ということでしょうか。 文章よりも会話のほうがより偏る傾向が強いということですね?