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昔の給食
母子家庭への給食費補助が始まったのは昭和何年頃でしょうか?
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- 川原 文月(@bungetsu)
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No1です。 肝心なことを書き忘れました。 当時の給食費は、 小学校・・・300円位(月) 中学校・・・500円位(月) でした。 あとの費用は国の補助金(?)と町が全て負担していたようです。 裕福な家庭も貧しい家庭も、毎月、給食費袋があり、全員、上記の金額を納めていました。 しかし、大人になってから分かったのですが、 貧しい家庭の子供も、一旦、学校に納めますが、1年の終わりの毎年3月に還付金として返されていたようです。 いわゆる、教室内で差別されていることをカモフラージュするためだったのだと思います。
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 学校給食法 (昭和二十九年六月三日法律第百六十号) http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S29/S29HO160.html 第四章 雑則 (国の補助) 第十二条 2 ここに、生活保護者の規定が載っていますが、おそらく、各自治体単位で拡大解釈をされ、母子家庭への助成なども行われたものと考えます。 従って、昭和29年頃からと考えます。 余談になりますが、 私の生まれ育った田舎の高校では、戦後すぐ(昭和22~23年頃)に父母が自分の畑で採れた野菜などを当番制で持ち寄って、昼食時に温かい味噌汁を支給しました。 これが、新聞などでも度々取り上げられ、教育熱心な町として有名になりました。 また、小学校も中学校も、「学校給食法」をいち早く実行に移し、昭和29年より土日を除いての完全給食を実施しました。 この頃、私は小学生でしたが(年齢が分かってしまう・・・)、毎日のように、全国各地からの視察団が教室の後に並んで、私たちの食べる給食を眺めていました。 これも、新聞で度々紹介されました。 その頃の給食の内容は、 コッペパン、マーガリン、(米軍から払い下げられた)脱脂粉乳のミルクが定番で、おかずとしては、野菜炒め、カレー、おでん、などと現代と全く変わりがありませんでした。 また、クリスマス・イブ(12月24日)には小さなケーキも出ました。それを持って帰ると次の日からは冬休みでした。 幸い、生活保護者や母子家庭はありませんでしたが、貧富の差はありました。 何かの都合で給食が休みの時もありました。また、土曜日は授業は半日でしたが、部活などで学校で弁当を食べる時もありました。 そんな時は、商店街の子供たちは、白いご飯、厚焼き玉子、ウインナー、など、(上の部類) 農村部の子供たちは、麦飯、薄い卵焼き、漬物など、(中の部類)・・・弁当を手で覆うようにして食べました。 農村部でも貧しい子供たちは、ふかしたサツマイモ2個位、(下の部類)・・・この子たちは、教室では食べず体育館の裏などへ行って食べていました。 面白いところでは、冬にストーブが入ると、弁当をストーブのそばに置いて温めて良いことになっていましたが、誰かが「たくわん漬」を持って来ると、もう、教室中~廊下にまで、その匂いがプンプン流れていました。 でも、子供たちも教師も誰も文句を言わず、授業を続けました。