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人生は何の為にあると思いますか?
人生は何の為にあると思いますか? 何が人間の幸せだと思いますか? 悟り、覚醒、などと呼ばれる状態は本当に存在するのでしょうか? その時、人生の仕組みを知ることが出来るのでしょうか? お時間のある時に、意見を書き込んで頂けたら嬉しいです。
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- 821165
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人生は恋をするためにあると思います。
- warumon3
- ベストアンサー率6% (46/726)
人生とは幸福な時を過ごすために存在する ものであると私は思いますね。 人間にとって心の中が幸福で満たされた状態を、人間は幸せだと思うのでしょう。
- tippingpoint785
- ベストアンサー率3% (20/546)
それは人それぞれで自分で決めるべきことでしょうね。 私は死ぬときぐらいに見つかれば。ぐらいに思っています。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 人生とは 自由であることです。 わが自由意志がもはや何ものにも妨げられずに実行し得てさらにはのぞむものごとが実現するという状態 この状態にあることが 自由です。 そのためには 他人の自由をまづ実現することが いちばんの近道です。社会的動物だからです。 他人がその自由意志による自由なふるまいを実現すること このことが わたしの存在とふるまいそのものによって呼び起こされるという境地 ここに到ることが まづ見通し得るめざす地点であると思います。 * ただしこれは 何のためにという《目的》ではありません。存在理由よりは 存在そのものが先行します。存在は 動態です。 《自由》は 人間存在そのことに内在します。そのように自然本性としてのウゴキ(エネルギー)をそなえて生まれて来ています。 そしてつまり むろんこの《自由》にさからう自由をも人間は持ち合わせています。自由意志という所以です。 * 幸せとは 仕合わせのことです。つまり この仕合わせという日本語ひとことにそのまま縁起共生という命題が込められています。 この思惟と行為との自由な関係錯綜が 構造的に織り成す世の中が われわれの自由の舞台です。 この自由――つまり わたしの自由およびあなたの自由またかれ・かのじょの自由――について 総じてものの見えたる境地に到るなら・つまり少しづつその到る過程と度合いをみづからのもとにみとめつつ歩むなら そのことが 仕合わせというものです。 * 《自由》ということには 何かとナゾがあります。それゆえ 昔の人間は 《さとり》だとか《人格の陶冶》だとかの理念のようなものを掲げました。 漠然とした内容を目標にかかげることによっても 努力のし甲斐があったのでしょう。 (反面では おれはさとりを得たと言い放つペテン師もあとを絶たなかった。中身が誰にも分からないから そして自由は得難いものだから むしろ人びとはこれら詐欺行為のはびこる余地を持たせていた)。 (つまり 支配欲によってみづからが支配されこれを満たすために 金儲けを兼ねて 互いに群れたがる このような或る種の自由のうごめくところに生まれる宗教 この宗教について いまではインチキだということが分かっているとするならば じんるいも思えば遠くへ来たものです)。 こうして ★ 人生の仕組みを知ることが出来るのでしょうか ☆ どうでしょうか。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
”人生は何の為にあると思いますか?” ↑ 客観的には何の為にもありません。 ただ人生があるだけです。 人間は他の生命と同じです。 人間の生、つまり人生に何か意味があると考えるのは 人間の自惚れです。 それでは面白く無い、という人が色々と理由をつけて いるだけです。 そういう人は、人生に意味を見いだそうとします。 あるいは意味を創り出そうとします。 人生は、その意味の為にあると信じたい、あるいは 本当に信じるようになります。 ”何が人間の幸せだと思いますか?” ↑ 自分の幸せを追い求めても幸せににはなれません。 大切な人を幸せにすれば幸せになれます。 ”悟り、覚醒、などと呼ばれる状態は本当に存在するのでしょうか?” ↑ 悟りの内容と言われているものをみてごらんなさい。 いずれも実現不可能なことばかりです。 不可能なことを悟りと定義しているのですから 悟りなど存在しない、ということになります。 存在するのは、悟った、という思い込みだけです。 ”その時、人生の仕組みを知ることが出来るのでしょうか?” ↑ 人間なんぞ、特別な存在ではない。 他の動植物と同じだ、ということは知ることが出来ると 思います。
- kuroneko0525
- ベストアンサー率16% (9/53)
私もそれについて考えようとしたことがあります。 それを探すのが人生なのかな?なんて今では思ってます。 何かいい答えが見つかるといいですね
- lucky_117
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人生は楽しむためにあると思います。 幸せは人それぞれ違うと思います。
- urigadai2013
- ベストアンサー率37% (92/244)
ニイチェがいったように人生そのものには何の意味もありません。 意味というものは自分が一人で作り出してゆくものです。 「何のために」という目的もありません。 人間は生きているから生きている、ただ、それだけです。 何のために生きているのだろうなんて考えるのは病気です。 人間の幸せとは自分で自分の人生の目的を定め、それを全うすることです。 私は以前、若いときに鎌倉で半年間禅の修行をしたことがあります。 それで分かったことは「悟り」や「覚醒」なんてないということです。 禅の問答集である「臨済録」は私のバイブルのようなものですが、そこで「仏があるか、ないか」を論じ、そんなものはないといっています。 ブッダは「悟り」を開いて仏になったといわれますが、そんなことはみんな嘘です。 道元は「只管打坐」といって、座ることが、すなわち仏である、悟りである、といっています。 そして、目が顔のヨコに、鼻が顔にタテについている、それを知ることが「悟り」である、といっています。 私たちの日常の起臥が、そのまま「悟り」であるということ。 なにか日常を離れて特別に「悟り」があるわけではありません。 そのことを知ったことが、半年間の修行の成果といえば成果です。
- goozozo
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悟りとか、覚醒は分かりませんが、楽しむためだと思います。
- フィ ガロ(@figaro344)
- ベストアンサー率4% (13/263)
動物である限り遺伝子を残すことでしょうね。