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震災遺構の保存と解体:心理学的な違いを考える
- 震災遺構を保存するか解体するかの意見が分かれています。一方で、保存派は後世のために遺構を残したいと考えています。解体派は辛い思い出との対話を避けたいという理由から解体を望んでいます。
- 遺構の保存には異なる心理が関わっています。一部の人たちは遺構を通じて失った人々との対話を求めており、それが心の癒しになっていると感じています。一方、他の人たちは遺構を見ることで辛い思い出がよみがえり、解体を望む理由となっています。
- 心理学的には、個人の経験や思い出の強さによって遺構の保存か解体かの意見が分かれることがあります。また、対話を通じて辛い思い出を乗り越える人もいれば、思い出を避けるために解体を望む人もいます。
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『原爆資料館』の問題などと同じでしょうね。一方には「もう戦後70年近くの時間が経過しているのだから今さら過去を呼び戻したりするための記憶の拠り所に意味があるだろうか」と問う向きもあれば、「今後二度と繰り返さないための拠り所として必要」との意見もあります。何れが正解とも答の出し難い問いかけでしょう。 御自身が一つの拠り所を喪失されたのであれば、相手を偲ぶよすがとして手許に遺しておきたいとのお気持ちも当然の感情でしょう。 それに対し傍から「いつまで感傷に浸っていても、喪った者は二度と戻ってくることもなく、むしろ去っていった相手の気持ちを本当に理解しているのか」と問われるやもしれません。確かに愛する者を喪ったことは途轍もなく辛い。共に過ごした日々を思い出しては涙に暮れてもしまう。 けれどもそうしてばかりでは、あの人がどう感じてしまうかと想像してみれば、自らのそうした姿を逆に悲しんでしまうかもしれない。となれば、本当に「あの人の気持ち」に応えようとするならば、それを思い出させるものを手放す以外にはないのかもしれない、と考える人もいるのではないでしょうか。精神病理の一つに「ペットロス症候群」と呼ばれる肉体的症状を伴う病症もありますが、それは依存症と密接な関係があるともされています。 元々は飼い主が唯一の拠り所としていた存在が突然に喪われたことで、本人にとっての「生きるための意味や目的」も同時に喪われ、それによって薬物やアルコールに依存せねばならなくなってしまうとの深刻な状態を意味し、その裏返しが「依存症」との話になります。他にも自身のあるべき姿を探し求めてボヘミアンのように彷徨する「青い鳥症候群」や「金妻症候群」などもそれに近いといえましょう。 「ペットロス症候群」は時として自死に至る場合から相手に対し法廷に訴えるなどの攻撃的な姿勢をとる場合まで幅も広くあります。前者は自らが相手に対し全責任を負うとの見かけは優しくもみえますが、もう一つの評価からすればその対象に対し優越的支配的な立場をとっているとも解釈されます。 一方の後者は、ペットを喪失した主因を相手に転嫁しその罪と賠償責任を法的に求めるなどのケースです。その基準をどこに置くかは医師の判断とガイドラインにもより、そのものズバリの形があるとは限りません。 理性と感情の間で揺れ動く人間のさだめかもしれませんね。
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- 雪中庵(@psytex)
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#8の者です。 >撤去して次に進もうとする人たちは、元気が残っているように見えます。 撤去は、役所が強制的に(自分たちが勝手に作った 線引きに基づいて)行っています。 私も住宅産業関係者として数度、被災地を調査し、 1度は自社の住宅商品の説明会を気仙沼で開催 しました。 真っ平らな荒野となった被災地に、自社の住宅だけが ポツンと残っているのを見た時には感動したものです。 被災地に5戸、ウチの住宅が残っていましたが、自分は 勤務中で助かったが家族は被災した方が多く、仮設 住宅に伺って話を聞いた中では、お年寄りは役所の 言うがままに、せっかく改修すれば使える状態で残った 家を取り壊して、新たにあてがわれた公営住宅に移る と言うのに対し、この画像の家のご主人は、家族の 思い出の家を残すと共に、この大震災の教訓として 記念館にしたい、と語られてましたが、結局、「年内に 壊すなら役所が金を出すが、その後は自費になる」 という考える余地を与えない強迫的な施策に負けて、 結局取り壊したと聞きました。
お礼
再回答ありがとうございます。 先のNHKのドキュメンタリーでは、住民が撤去派と非撤去派に分かれていて、撤去が住民の意思であるかのように報道されていました。行政に不満を抱かないようにするNHKの偏向報道の1つかも知れません。 >撤去は、役所が強制的に(自分たちが勝手に作った 線引きに基づいて)行っています。 とすると、ホームレスを公園から追い出すやり方と余り変わらないではありませんか! 行政は他の分野でも常に強権的でありますから、この問題に関してもそうであるということですね。 ま、心理の違いを質問したものでありますが、行政の実態が分かりありがとうございました。
- TANUHACHI
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No.4です。先の回答で「ペット・ロス」との指摘に憮然とされる可能性もありえますので、一言だけ補足します。 ここでの「~ロス症候群」とは日本語に適訳を求めるならば「喪失症候群」との読み替えも可能です。 自らにとって「かけがえのない存在」を喪失し、その結果「自らが生きる拠り所」を見失った状態と説明することも可能です。
お礼
お気遣いありがとうございます。 「ペットロス」とは言え、人間も含んでいるわけですね。
- bougainvillea
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震災後3年になろうとしているのに、未だ進まない復興。。 津波が襲った地域は今も更地のままで、 現在も27万人が避難生活を送り、仮設住宅には10万人が暮らしている。 まずはこの現実をなんとかするのが先ではないか? 仮設住宅に10万人…復旧の進み具合にばらつき 2013年12月3日03時08分 読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131202-OYT1T01527.htm 打ち上げれた漁船や1階が骨組みだけの市役所、一本松の保存に 何億円も使うよりもっと有意義な方法があるのでは。 私には本来は理性的な都市計画を基軸にすべき復興の議論が、 震災遺構というエモーショナルな議論にすり替えられているように感じる。
お礼
回答ありがとうございます。 貴方の主張には私も賛成しますし、復興をないがしろにしろと言うのでは勿論ありません。 ただここは、哲学カテですのでその問題はここでは相応しくないのです。
- 雪中庵(@psytex)
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1.人は受け止めきれない悲しみを、忘却する事で 次に進めるから、過去の痕跡を抹消したい。 2.受け止められる悲しみであれば、それを思い出 として抱えながら乗り越えて行く。 3.そうした感情的な可否とは別に、起きてしまった 悲劇をくり返さないための教訓として残す。
お礼
回答ありがとうございます。 要するに「受け止められるかどうか」で違いが出るということですね。 私からすると、これも逆に見えるのですが。 撤去して次に進もうとする人たちは、元気が残っているように見えます。 撤去せずに残してくれという人は、今にも倒れそうで悲しみに打ちひしがれているという感じでした。 勿論全部の人を見たわけではありませんが、そう感じました。
- 植松 一三(@jf2kgu)
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頭悪いので的確な答えか判りませんが 残したくない人間は、将来をシッカリ見て行こうとしているのでしょう 死んだ事は悲しく忘れる事は出来ないでしょうが、でもそれに執着していてもどうしようもなく前を見ようとしているのだと思います その過程で,遺構が残って居ると、どうしても人間ですから、悲しくなって、元に戻ってしまうと思っているのでしょう 残したい人は、 この惨劇を将来の人に残して教訓にしてほしいと考えているのでしょう 私は残したいけど、予算をその分被災者に分けてほしい、ですから解体もやむなしです ですからボランティアで桜の苗木を今回の津波到達点に植えて教訓にしようとする事をやって居る人がいますが、それには賛成です 何かの形で残さないと
お礼
回答ありがとうございます。 両者の違いの元になる因子は無いのでしょうか? ある筈ですが、見つけられないのですね。
- ga111
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それは、遺品、遺構(Aとする)に対するある特定個人(Bとする)の向き合い方やある特定個人の記憶、連想と関連すると思います。 (1)懐古的にそのAが故人を偲ぶことができるものであれば、BはAを保持するでしょう。 (2)そのAが故人もしくは自分たちを苦しめたというような連想を惹起するなら、BはAを破棄したいとするでしょう。 (3)この中間もありえると思います。総合的に、これは1と2のバランスになると思います。 (以上は、Bが故人に強い好意を抱いていた場合に限ります。)
お礼
回答ありがとうございます。 参考にさせて戴きます。
- kurinal
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こんばんは。 心理的な余裕(余力?)の有無と思います。 「見るのも辛い」という場合は、「懐古」には到底至らず、 それだけ、震災が脅威だった、ということかと思います。 「結果」をどれだけ受け入れられるか、ということで、 「遺品」への捉え方に違いが生じるのではないでしょうか。 (あれだけの震災を、自ら被災して、それでも 「思い出(記念??)に残そう」などと、 簡単に言えるものでしょうか?)
お礼
回答ありがとうございます。 >「見るのも辛い」という場合は、心理的な余裕がないということですか? 私からすると逆で、明けても暮れても、故人のことで心が占領されていて、生きていこうという前向きな気持ちが全く入り込めません。心に全く余力がありません。
- amaguappa
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もし広大な土地をお持ちだとして、仮に、奥様が運転中に交通事故で亡くなられた場合、その破損して歪んだ車を残したいとお考えになりますか、それとも、廃棄処分してほしいと願いますか。お聞かせ願えますか? そして、交通事故の起きた場所は、仮にダムの底に沈むよりも、その風景とともに残っていてほしいと願うのではありませんか? わたしももう少し考えてみます。
お礼
回答ありがとうございます。 歪んだ車でも残したいです。 事故死は、見た目の悲惨さに惑わされますが、実際は一番苦しまずに死ねる理想的な死に方だと思っていますので、妻も苦しまずに死ねて良かったと思います。
- globef
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>同じ経験をしているのに、何故違いが出るのでしょう? 価値観、考え方の違いでしょう 人が大勢居れば 全て同じ考え方になるなんてありえません 育った環境、体験した事 同じ体験をしても 違うに決ってるじゃん
お礼
回答ありがとうございます。 一般的なことではなく、詳細にどこがどう違うのかを知りたいのです。
お礼
娘に会える場所として遺構を残して欲しいと訴えた両親や私は、恐らく「ペットロス症候群」なのだろうと思います。 「こんな悲しむ姿は、故人も望まないからやめよう」とか「苦しみを乗り越えて生きよう」とか、そんな風には絶対に思えないのです。じゃあ、何を思うのかと言うと、自死なんですね。「ペットロス症候群」の現れ方の形態の1つとして「自死」があると書かれましたが、それなんですね。 故人の気持ちがたとえそうでも、明日に向かって生きていかねばならないと言われても、気持ちが一方向に頑固に向いていて決してプラス方向には向きません。 ということは、遺構を撤去して生きて行こうとする人より、 生きようとする力を完全に失くしてしまった人は症状が重く「ペットロス症候群」なのかも知れません。