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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:根拠がないほうが信憑性が高い…!?)

根拠がないほうが信憑性が高い!?友達の主張について考える

このQ&Aのポイント
  • 友達が言う「根拠がないほうが信憑性が高い」という主張について、理論的な証明よりも根拠のない考えの方が信じやすいとする意見が示されています。
  • 科学の証明ではなく、都合の良い解釈ができる根拠のない考えが人々に強く信じられることを指摘しています。
  • 一方で、根拠のない考えが科学的に証明可能な要素を含んでいる可能性もあると主張しています。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.3

「科学で証明できる」という表現は間違っています。 定義された要素のロジカルな展開で導く(=証明)事を 科学というのであって、ロジカルに「証明できる事が科学」 なのです。 そうしたロジカルな“正しさ”とは別に、「分からないけど、 そう考えた方が心が落ち着く」「そうした方が社会がうまくいく」 といった、実用的な“正しさ”があります。 「根拠のない考えの方が限りなく信憑性が高くなると考える」 というより、キリスト教が地動説や進化論を徐々に受け入れて 来たように、科学的なものに対立すると「信憑性」が失われる ので、常に「根拠のない」エリアに逃げ込んでいるのです。

その他の回答 (5)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.6

こんばんは。 >「理論的に証明されてるというスタンスより、根拠がないほうが信憑性が高いと思う」 ふーん

gotou522
質問者

補足

感想を聞いているわけではないので

  • alphaXXX
  • ベストアンサー率40% (108/264)
回答No.5

正直この文面はだいぶ支離滅裂です。 おそらくいろいろと言葉を省略しているように思います。 書いた時の精神状態が特殊だったのかもしれません。 科学カテのほうでも書きましたがこのご友人自体は根拠がないから信憑性が高いとは思ってないと思います。 恐らく根拠のない思い込みのほうが主観的には信憑性が高いように感じられる、ということではないかなと思います。 俺は頭がいい。と思っている人がいるとして、根拠なく「何が何でも俺は頭が良い!」と思い込んでいる人と「テストで100点を取ったから頭が良い」と考えている人であれば後者はテストで1回でもミスをすればこの思いは崩れます。でも前者はどんな出来事にも自分が頭がいい、という思い込みは崩れません。 客観的に見てその人が頭が良いか悪いかは無関係に。

回答No.4

 こんにちは。  やはり定義をして共通の土俵に上がるか あるいは 同じようなことですが 議論をすすめるにあたって或る種の仕方で互いに共有し得る交通法規を持つかする必要があると考えます。  たとえば 科学は経験合理性にもとづく推論によってすすめられます。そのとき 可知・不可知のことまでをこの論理で認識し仕分けしますが それよりほかの《非知》なることがらについては そのチカラがおよびません。(及ぶか及ばないが分かりません)。  すなわち  ○ 《非知》ということ ~~~~~~~~   経験事象     可知       既知       未知     不可知(知り得ないと知った)   非経験の場     非知(知り得るか知り得ないかが知り得ない)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  そこで  ▲ 根拠がない  ☆ とは どういうことか? 《根拠がない》ということまでは 科学として知り得たのか? つまり《不可知》のことか?  それとも 根拠を知り得るか知り得ないが分からないナゾなる《非知》なのか?  このとき 《非知》については けっきょく経験世界を超えている《非経験の場》〔と想定するナゾ〕なのですから じっさいには《信憑性があるか無いか》 このこともいっさい人間には分かりません。  ただし 信教の自由は 公理として(つまり科学的な根拠を説明しえなくてもみとめられることがらとして) 認められていますから この《非知なるナゾ》を――つまりは 神を――心に受け容れるというかたちで信じることは 自由です。  ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~  科学は人が証明で間違いを起こしていたり、その事柄が突然変異しない限り  真実の事象だから  人が行きついた答えという  壁になると思う  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 読み解きにくい文章ですが たぶんこれはマチガイです。科学によって得た認識としての真実は 《既知》という仕分けになるのであって そのほかに《未知》もあれば《不可知》なる項目もあります。《壁になる》わけではありません。  あるいはつまり 《既知》なる事柄が それを認識したあとで 必ずしも世界事実をまちがいなく示していたわけではないと分かる場合もあります。  なお  ▲ 無意識  ☆ は ふたとおりに扱っておくことができます。  精神分析が説く《無意識》は けっきょく証明されていません。つまり 無意識という独自の細胞組織があって 例のトラウマなどにかかわった独自のはたらきをしているという説 これは 明証がないとされています。  あとは ただ単に《あのときは意識していなかった》と振り返ったりするときの無意識です。単に意識下と意志上とで 無理なくふつうに自然にそのモノゴトがわたり合ったりする問題です。  まとめとして  ▲ 根拠のない考えの方が限りなく信憑性が高くなると考える  ☆ というふうに 《無根拠》を《考え》として捉えているからには おそらく《不可知》の領域に限定されると思われます。つまり ただの経験事象であって その事象があらわれたなら すでに《信憑性》の問題は消えますし もともとその不可知なる事象としての信憑性は 問題にならないはずです。  つまり数学の問題などとして 《証明し得ないということが証明された》というような事柄について 不可知は言っているはずです。そこで《信憑性》がどうのこうのという問題は 発生しないでしょう。証明が出来たか出来ていないかだけだと考えられます。

  • maho_m
  • ベストアンサー率6% (7/115)
回答No.2

病院へ行けと伝えて下さい。

回答No.1

パラドクスでしょうか。 根拠の無い考えが正しいと証明されると信憑性が低下し、証明されない方が信じられるらしい。 「無意識が関わってるのではないかという根拠のない考え」は根拠がないから信じており、つきつめると証明できることだとも考えてはいるが、その考えも根拠がないから信じている。  しかし、これが証明されると証明されたこと自体が信じがたいことになるパラドクス。 ま、その友達がなにを信じようが関係ないことでしょう、あなたには・・

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