他の方が書いてないことを加えれば、「国民の政治不信」と「国民の対中感情の悪化」もあると思います。
軍部の暴走というと二二六事件が有名ですが、これに先立って五一五事件というのがあったんです。海軍の青年将校らが宰相犬養毅を暗殺した事件です。現在五一五事件はほとんど検証されないのですが、実は歴史のターニングポイントになったのは二二六事件より五一五事件なんです。
平民宰相として首相になった犬養毅だったのですが、実は国民人気はえらく悪かったのです。期待されてた分失望もまた大きかったんですね。それで、国民の間に政治不信というのが強く発生していたのです。
期待されてた新政権が、大きな失望で終わる。民主党政権がそうでしたね。わたしゃ震災のとき、首相を辞めるといいながらしがみついてた当時の菅首相の顔をテレビで見ながら、正直「自衛隊がクーデターでもやってくんねーかなー」と思っちゃったのですが、もしあのとき自衛官が菅さんを暗殺したら、案外に国民はそれを強く非難しなかったんじゃないかって気がします。
それで、五一五事件てのは青年将校たちが義憤にかられて行動したものですから、その純粋さが日本人の琴線に触れてしまって、犬養首相が暗殺されて青年将校たちが裁判にかけられたとき、日本中で減刑運動の一大ブームが起きたんですね。全国から減刑を求める嘆願書が殺到、裁判ではさるご婦人が傍聴席から立ち上がり、「裁判長様、どうかご寛大なご判決を!」と叫んだというのですから。んで結局判決はずいぶんと甘いものになってしまったんです。国家の臣たる軍人が、宰相を暗殺したんですからとんでもない重罪のはずなんですけれどもね。これで「動機が純粋ならば、行動が乱暴でも許される」という道ができてしまったのです。
この五一五事件の結末があったから、二二六事件を起こした青年将校たちも「我々は国家を憂いての行動であるから、許されるはずだ」と思っちゃったんですね。だけど二二六事件は昭和天皇が激怒して「朕自ら兵を率いて逆賊を討たん」などと言い出しちゃったので失敗に終わったのですけれども。
五一五事件が現在も検証されないのは、これを検証しちゃうと「軍人の暴走を国民が支持して民主主義(大正デモクラシー)は終わった」となってしまうので、できないのです。
あともうひとつは、対中感情の悪化です。昭和初期の中国は表向きの政府は国民党政府だったのですが、これがもうグダグダもいいところで、実際は軍閥と呼ばれる地方豪族が公然と政府のように活動していて、さらに汚職がとんでもなかったんです。どんぐらい汚職がひどいって、今の中国政府が可愛く見えるほどです。だから日本軍がやってくると中国人は喜んだんですね。日本軍には賄賂は要らないから。
だけど中国国内が国民党と軍閥と共産党がぐちゃぐちゃになってるものだから、当然治安も安定しないわけで。当時の中国各地には日本人を始め多くの外国人が住んでいたわけですが、それって租界と呼ばれてるものだったんです。租界って難しい言葉ですが、まあ簡単にいえば植民地です。中国人からすると自分たちの国に植民地があって、そこでは自分たちの国(のはず)なのに「犬と中国人は入るべからず」なんて扱いをされる。当然中国人は腹が立ちますよね。それで当局の治安が不安定となれば、当然暴動が起きたり襲撃事件が起きるわけです。それで日本人を含めて外国人が多く殺されたんです。そう、何年か前の反日暴動みたいなものですよ。軍閥が裏で糸を引いてるあたりも反日暴動と同じですね。バスに乗って暴動にやってきた人たちもいたし、暴動に参加した人たちは日本が憎いというより日常の不満を反日暴動に便乗したところもありましたね。
そんなことがあったので、日本国内では対中感情がひどく悪くなったのです。当時の新聞の記事なんかは、最近のネット右翼の論調そのものですよ。「こっちが我慢して冷静に対応してやってるのに黙ってりゃあ調子にのりやがって、もう我慢ならねえ」って感じです。
この道は、いつか来た道。
お礼
回答ありがとうございました。ご意見は大変参考になりました。上海租界時代の「犬と中国人は入るべからず」の立て看板のお話で思い出しましたが、今の日本にはそれとそっくりの差別が全国で日常風景になっているのですが…すいません!話が脱線したのでやめときます!