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日本の皇統が断絶しなかった理由は?

諸外国では幾度となく王家が滅びそしてまた別の王家が登場したりしています しかし日本は2500年に渡って皇統が途絶える事無く続いています 諸外国でよくあるクーデターで天皇の失脚による御家断絶も暗殺もありません(暗殺は1度ありましたが皇統は途絶えませんでした) その理由は何でしょうか??

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noname#224207
noname#224207
回答No.12

位についた個々の天皇の繋がりだけから考えると判り難くなるかと思います。 血統が繋がっていない、繋がっている、財力がどうの、権力がどうのという議論に突入してしまいます。 皇室というか天皇を頂点とした組織をなぜ必要としたのか、と考えると比較的判り易くなるかと思います。 とくに、藤原氏が勃興してきた平安中期以降と平安時代末期に勃興してきた武家勢力の政治的価値判断が大きな要因となっています。 藤原一族にせよ、武家勢力にせよ、なぜ天皇一族を排斥しなかったのかということです。 これは、統治権の正統性を誰がどのような形で認めるのかという論拠の問題です。 日本の政変では、政敵の一族を子孫まで含めて完全に抹殺してしまうという手法は取られませんでした。 ヨーロッパや中国などユーラシア大陸での統治権の争奪戦は、常に言語習慣の異なる異民族どうしの抗争が主体でした。 文字通り完全に支配するか支配されてしまうかという闘争です。 言語が全く違う上に、生活習慣まで違う相手を理解するというのは至難の業です。 更に地理的条件から、いつでもどこにでも生存空間がありますから、一度不信感を持った相手は抹殺しない限り安心できません。 ということで、相手を抹殺することによって支配権を獲得するという習慣が出来上がってしまいました。 誰かの承認など必要としません。 狭い日本列島内では、これとは全く逆の現象が生じました。 藤原一族が天皇一族を排斥すると、その支配権の正統性を保証する人も機関も存在しなくなります。 万が一天皇一族の子孫が正統性を主張すると非常に厄介なことになってしまいます。 まして、狭い京都の町でゴタゴタやったら到底収拾がつかなくなります。 この為に、排斥するのではなく利用するほうが遥かに政治的エネルギーは節約できます。 つまり皇室の存在は政治的に非常に便利で有益なものでした。 武家というのは、平氏であれ源氏であれ、その初代である人間は天皇の子供でした。 つまり天皇に直結した一族ということになります。 この一族が天皇一族を排斥するというのは自己矛盾が生じます。 さらに、平氏、源氏と二つの系統が存在したために、どちらかが支配権を獲得しても、皇室による承認を得ることが必要となります。 万が一相手が皇室の承認を獲得してしまうと、自分達の支配権が正統性を失います。 武家にとっても、藤原氏同様に皇室は便利で重宝な存在でした。 信長も支配権がほぼ手中に入り始めた段階で平氏を名乗りました。 家康も初めは藤原氏を名乗り後に源氏を名乗りました。 江戸時代にも、徳川氏は元より各大名も朝廷の序列身分でる四位上だの五位だのという称号を得ていました。 天皇の正統な臣下であるという証明です。 明治維新の際にもこの政治的習慣が作用して、錦の御旗を掲げた官軍なる形態がとられました。 薩長の行動の正当性を皇室が認めたという形をとりました。 昭和初期に苦しくなった軍部が自己正当化のために皇室を徹底的に利用しました。 ついには神にまで祀り上げてしまいました。 占領軍である米国もこの機関の有用性を理解して、皇室を抹消しませんでした。 現在でも、形式的であるにせよ、内閣の任務に就く人間は総理大臣以下皇居で認証式というものを執り行います。 外国の外交官も着任すると、着任の挨拶、親書の提出という形で天皇に面会します。 すなわち皇室という機関を設けることによって少ない政治エネルギーで、正統性が保証されることになります。 真に便利な機関です。 ということで1000年でも2000年でも続くでしょう。

azuki-7
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回答No.9

皇室には権威しか無いからです 日本は 権威=皇室・公家 権力=武家 財力(不動産を含む)=庶民 が握っておりました 明治維新で変わったのは 権威=皇室 権力=公家 財力=庶民 無産=武家 戦後は 権威=皇室 権力=庶民 財力=庶民 無産=公家・武家 海外だと 権威=教会 権力=王室 財力=王室と貴族 武力=騎士 無産=庶民 動産=奴隷 です 現在は 権威=ない 権力=議会 財力=成功した王侯貴族と資本家 武力=軍隊 無産=庶民、没落貴族、騎士、元奴隷 動産並の人生=移民

azuki-7
質問者

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3lt@s4b@x@ejr

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  • nacam
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回答No.8

過去に何回も断絶しています。 断絶すると、遠縁の者を養子にしたりして、強引にだんぜつしていない事にしてきただけの話子です。 現在の天皇家をヨーロッパ的価値観で言いますと、130年程度の歴史しかありません。 これは、スペインのブルボン家やイギリスのウイナザー家よりもはるかに短い歴史の王朝といえます。 現在の天皇家は、後桃園天皇に女子しかいなかったため、7親等はなれた遠縁の光格天皇が養子にはいり継承したものです。 一般社会では、7親等はなれていれば、親戚付き合いはおこなっていません。 そうやって強引につなげてきたものにすぎません。

azuki-7
質問者

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まぁ東山天皇からの直系だし 断絶はしてないでしょ

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  • customar
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回答No.7

日本は特殊なんです。一番馬鹿は特殊なこの日本を諸外国の社会法則で再構築しようとする歴史議論です。たとえば私はある議論で天皇を日本の王と表現しましたら相手はスイッチ入って王とは何だと貴様朝鮮人かとなる。そんでその人は天皇は元首でなく象徴的存在であるべきだ、古来そういう心的な役割だったと主張するのです。これでは左も右も外国理論で全く日本人的ではない。私の方が外人にされるくらい右も左も狂っています。天皇が王なのです。天皇を王と呼ぶなは反中華思想という中華思想なのです。要するにいつの時代もそういうクズやゲスからのニーズがあるのです、天皇は。 神話は嘘としても、事実的に、日本は天皇支配に起因する国なのです。清和源氏という言葉が象徴的で、その手口が踏襲される限り皇統継続は安泰なのです。本籍地みたいな存在です。 幕末でさえそうですが権力や武力を持っている勢力が皇統支持者の中からしか生じない国なのです。それは日本の王である天皇にその力があるのではなくて日本の王は天皇であるに始まるズルズルのぎょう虫みたいな国家権力だからなのです。アメリカでさえ天皇を利用し現在も天皇利用は進行形です。国連左翼のハーバードユダヤチック小和田に至っては天皇一家になりました。わざと男系をはばんだなどという妄想をする必要はなく権力志向の人間は皇統存続に尽力するのです。 人的つながりしかない土民国家だから、というのが真相でしょう。

azuki-7
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  • hekiyu
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回答No.6

”日本は2500年に渡って皇統が途絶える事無く続いています”     ↑ 学術的に確認されているのは1500年ぐらい です。 ”日本の皇統が断絶しなかった理由は?”      ↑ 断絶したこともある、という説がありますが 断絶しなかった、ということで回答します。 1,天皇の祖先は神話にまで遡ります。  つまり、天皇は神と人民を結びつける存在で  宗教と深く結びついています。  更に言えば、日本人の祖先は総て天皇に行き着く  という神話があります。  だから、時の権力者も手を出さなかったのです。  昔の人は、迷信深かったですからね。 2,天皇は武力を有しなくなりましたが、これが  幸いしました。  武力を持たないから、あえて滅ぼす必要もなかった  ということです。 3,権力の正当性を形作るのに便利だった、という  ことも見逃せません。  西洋でも王権神授ということで、王様の地位は神  から譲られたものだ、だから従え、という物語を  作っていました。  これを王権神授説といいます。  天皇もこれと同じで、時の権力者は、その権力の  正当性を天皇に求めたのです。  徳川幕府の征夷大将軍という地位は、天皇に命じられた  という建前を採ったのは、これが理由です。 4,イラクやアフガンなどをみれば解ると思います。  ああいう国に、天皇のような存在があったらどんなに  便利なことか。  つまり、天皇をダシにして、国民を統合することが可能なのです。  幕末時、天皇がいなかったら、日本は列強の植民地  にされていたかも知れません。  明治維新直後の人間は、日本人という意識は  非常に薄いものでした。  薩摩藩人、会津藩人という意識の方が濃厚でした。  そこで、山県有朋と西周が相談して、天皇を利用  することにしました。  お前らは、薩摩藩人という以前に、天皇が治める  日本という国の国民である、つまり日本人である。  日本人の誕生です。  この国民国家化に、アジアで最初に成功したのが  日本でした。  中国などは、大正時代になっても、この意識が  殆ど無かったと言われています。   米国は、天皇の存在は17個師団に相当すると  分析していました。    天皇のような存在は、国民の統合に便利なのです。  時の権力者はそういう天皇の機能に着目して  滅ぼすよりも、積極的に利用しようとしたのです。

azuki-7
質問者

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  • ssssan
  • ベストアンサー率18% (132/730)
回答No.5

現実には2.3回断絶してるんですけどね、天皇はだけど又天皇の血を受け継いでるのを天皇にして現代まで来てます。 天皇が入れ替わったのは東北地方が未だ抵抗してた時代で東北にアラハバキとかが勢力誇ってた時代に天皇が何回か変わってます、それを元の系統に戻す為に謀略駆使して別な天皇を落としてが3回は有った様です。 最近では皆さんご存知の様に明治天皇と幕末時の天皇は直接の血の繫がりは無いしで南朝.北朝が入れ替わった瞬間です謀略でだから幕末までと明治後の天皇は全くの別物と考えた方が良いんじゃないのかな。 長州一味の謀略で直接入れ替えを指揮したのは板垣タイスケの様ですね、お札の肖像画に成った人物。

azuki-7
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  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.4

 いろんな言い方ができるでしょうが、私は「権力欲、物欲がなかったから」と言うのが一番適切かな、と思っています。  諸外国の権力者というのは、王様はすべてを欲し、実際にすべてを手に入れました。生殺与奪の権力も、財産も、なんもかんも。宮殿なんて、すさまじく豪勢。そこに比べれば京都御所なんて庶民の館。  諸外国の王らは、自分の上には、物を言わない「神」とか「天」とかしか認めなかったのです。  そういう存在は、力を失って、彼を上回る力を持つ者が登場すれば滅びるしかない。  滅ぼした者は、また勝手に神・天の命令をデッチ上げた。  それに対して、天皇は、権力も物も要求しませんでした。もちろん人間である以上、食べたり着たりする必要があり、それには「お金」が必要ですが、そういう常識的な範囲を超えた権力や物を欲しなかった。  で、力でのし上がってきた存在にとって、全然邪魔にならないばかりか、他国における「神」や「天」に代わる存在として、自分に箔を付ける手助けをしてくれる、使い勝手の良い存在であり続けたわけです。  天皇が自分の言うことを聞いて行動してくれるかぎりは、天皇を神のごとく持ち上げておいて、なにかあったら「天皇陛下のご意思に反するつもりか」と言える状態にしておくのは、権力者にとってこの上なく便利なのです。  いるかいないかわからない神と違って、そこに天皇がいて、実際に「うん」と頷くんですから威力絶大。  神が権力者の権力を保障してくれたように、天皇が自分の権力を保障してくれるなら、神を滅ぼす(別な神にすげかえる)必要がなかったのと同じく天皇を滅ぼす必要がなかった。  それが、天皇制が長く続いた(続いたことにしようね、という合意が権力者の間で続いた)理由だと思っています。  

azuki-7
質問者

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  • dsdna
  • ベストアンサー率24% (308/1281)
回答No.2

 >その理由は何でしょうか??  ・バックアップがあったから。  ・敬意を払われていたから。  ・維持できるようなシステムを考案、実践したから。

azuki-7
質問者

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noname#188107
noname#188107
回答No.1

>その理由は何でしょうか?? 断固として断絶しなかった。 と強弁しているからかな。 http://seiwagenjisinjituryu.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-2ab9.html 日本には中国のような易姓革命といった概念が なぜかなかったから。なのか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%93%E5%A7%93%E9%9D%A9%E5%91%BD とにかく島国で他国から大っぴらに 侵略されて蹂躙され、支配者がころころかわる ことがなかった。というのがその背景にあることは 確かだと思いますが。

azuki-7
質問者

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