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キリスト教 仏教 神道
キリスト教→基本的には高い倫理観、真理と愛の宗教。 仏教→万人が長く生きれるようにと共生の宗教。 神道→先輩に気を遣え。 ですよね?
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質問者が選んだベストアンサー
#1ですが、補足を。 メチャクチャと言われては立つ瀬がないので(笑) キリスト教は、絶対的な神との契約がベースにあるので規律によって教義を守りますから、当然高い倫理観や真理がうたわれます。 仏教は基本的には諸行無常、輪廻転生にあるように自然の形を中心に置き、物事に執着する心を無くすことによって仏になることを目指します。物事への執着をなくすことに重きを置いている点ではあなたのいう共生の宗教とも言えるように思えます。 神道は教義や経典はありません。日本に古来から続く道徳観が教えになります。その中に先輩に気を使えという伝統も確かにあるので間違いとも思いませんね。 当然、各宗教とも人が生きるためのものですが、あなたの分類も特徴を表していて面白いと思います。 以上の理由から、#1で、そうですと答えました。
その他の回答 (6)
「先輩に気を遣えは、儒教」という回答がありますが、ニュアンスが少し違うかもしれません。 儒教の源は、孔子です。この孔子の教えを弟子が書籍にまとめたものが儒教の最初です。 孔子は自分がお世話になった親そして祖先に感謝をと教えました。 それを秦の始皇帝が、「親、祖先を目上の者いわゆる権力者」に置き換えて民を従わせたのです。 その後、朝鮮半島から日本へ儒教が伝授される中でいろんな人間が自分に都合よく解釈して教えとしたのです。 ですから、「先輩に気を遣え」と解釈してきた人がいても驚きません。 孔子の元々の教えは「親や祖先を敬え」です。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
キリスト教 ↓ 人間は特別の存在。 人間以外のモノは総て、人間の為にあるのだ。 ・高い倫理性というのは間違いです。 アフリカから黒人を奴隷として輸出して大儲け しました。 彼らは、当時、黒人は人間で無い、と考えていたのです。 だから、何をしても許される、ということになります。 ・真理は西洋哲学であって、キリスト教とは、一応 無関係です。 ・愛ですが、人間は特別な存在として神に愛されている はずだ、ということです。 仏教 ↓ 人間は、何故苦しむのだろうか、ということで 人間を苦悩から救おうとするのが仏教です。 長く生きる、というのは中国の道教であって、 仏教にはそんな教えはありません。 神道 ↓ 自然に対する畏れと、先祖を想う、というのが神道です。 先輩にきをつかえ、というのは儒教です。
お礼
>・高い倫理性というのは間違いです。 アフリカから黒人を奴隷として輸出して大儲け しました。 彼らは、当時、黒人は人間で無い、と考えていたのです。 だから、何をしても許される、ということになります。 これは黒人が価値の低い人間だったから迫害したんですよ。キリスト教ではこういう行為は認められています。神の名をもって。
- vansancan
- ベストアンサー率23% (341/1422)
違います。 儒教→先輩に気を遣え。 です。
そこまで言い切るほどの違いが明確にあるとは思えませんが。 私の家族や親戚は仏教の影響が大きいです。私の場合は学校がプロテスタント、そして今は神社の総代をやっています。そういった中で感じるのは宗教の基本はほとんど同じだということです。 その基本は人々の幸せですね。 人生には様々な苦難と喜びがありますが、宗教は人生の苦難に苦しむ人々を救い、さらに人生を楽しく生きようとする要素が大きいと思います。 宗教や宗派によって違いがあるのは、教えの違いというよりもむしろ宗教人の権力争いによって生じていることが多いと思っています。
- mibuna
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ええ?どこで誰からそんな教えを聞きました? めちゃくちゃにもほどがあるw ・キリスト教はユダヤ教の間違っている部分を正そうとした教え。 (めちゃアバウトなのでキリスト教の人が別の回答をしてくれるので待っててね) ・仏教は「仏(如来)の説いた教え」と「仏になるための教え」です。 (インドから他国に伝播するときに土着の宗教と習合して色々形は変わってますけどね) ・神道は「随神(かんながら)の道」です。 (日本では明治維新まで1000年以上神仏習合でしたけどね)
- nobu1717
- ベストアンサー率17% (218/1217)
そうです。
お礼
回答ありがとうございます。 まあ補足すると キリスト教:少し矛盾もあり、迫害行為に及ぶ事がある 仏教 :戦争、殺し合いはありえない 神道 :してもらった人そういう人は全部神様。例。親、お客様、その他社会の人、税金という形で。