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神道、仏教における人間って何ですか?
キリスト教において 人間は神が神に似せて創造したものだと知りました。 では、仏教および神道において 人間は何なんでしょうか?
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仏教でもゴータマシタッダの大元の教えが書いてあると定評があるパーリ語の仏法を学んでいます。 この仏典による生命の定義を僕なりに書いてみますね。 生命とは「五蘊」の要素が複雑に絡み合ったもの。 「五蘊」とは、物質的な働き(色蘊)感覚や認識や分別し何かしようと思うような(受・想・行・識蘊)、精神的心の働きですね。 これらが、因果法則にのっとって変化消滅し続けていると。 その起源を探っても原因が結果となり結果が原因となるこの法則を鑑みると、始まりは成り立たないという立場だと思います。 創造論は無理が有ると。「無始」の間、この心は回転し続けていると。 生きる上で来世が有る無いは問題にならないが(善い行いをしてこの世で利を得て、もしあったなら来世でも利を得るであろうから)、今世で肉体が壊れてもシステムを鑑みると心は消滅することは無いだろう、次ぎの生にうつるだろうと。そして以前も生がったのであろうと。 如実に知らない間は、このような柔軟な見解をもっても善いだろうと。 ちょっとまわりくどいかも知れませんね。 「ブッダは生命はいろいろな次元の生命に輪廻転生しているといわれています。そして始まりは成り立たないような過去から延々と繰り返しているのだと。そして無知ゆえに悩み苦しみ多く、煩悩に焼かれて、苦しいものを楽と言ってアベコベな思考によってさらに多く煩悩に焼かれて、また生を得てしまうんだと。その原因の心の錯覚・捏造(パパンチャ)を観るために、五蘊をちゃんと観なさいよ。ありのままに観れば苦しみは消滅しますよ。人間と言うのは生命の中でも、この苦を滅するための観察が出来る稀な生命です。その稀な生命の中でも論理的道徳的実証的に正しいものに納得することも稀なことです。その納得したことを実際に実証しようとすることも稀なことです。その方法はこのようなもの(八正道)です。こうすればこうなります。実証してみては如何でしょう。」と。 こんな感じです。 仏教では生命なら一括りで生命です。 人間がえらいとか言うことはありません。 条件としていろいろな差異が有るだけです。 参考になりましたでしょうか。 ~生きとし生けるものが幸せでありますように~
お礼
非常に丁寧な説明ありがとうございました。 海外の方にキリスト教の話を聞いたあとに、 「日本の仏教、神道はどのようなものですか」と聞かれて おどおどしてしまったので質問しました。 本当にありがとうございました。