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殺人なしの刑事ものはなぜあまり観たくないのでしょう
テレビの刑事ものが好きで、あれば必ず観ていますが、殺人が起こらないものというのはほとんどないと思います。話が類型的なことにはあまり違和感はないのですが、殺人が起こらない話というのはあってもあまり観たくないように思います。殺人というものはめったに起こらないからなのかもしれませんが、殺人が出てくると架空の話でも興味を持ってしまいます。心理学的にはどのような説明ができるものでしょうか。
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面白いとされる物語の形態にはいくつかの典型がありますが、そのうちの1つは因果応報です。 といっても道徳的なお話ではありません。人間がどういう話の流れに対してカタルシスを得るかということです 因果応報のタイプのドラマは、何かの事件の「原因」「結果」報い」で形成されます。 視聴者の感じるカタルシスはこの3つの要素にどれだけ感情移入できるかと、これらの要素がどれらけ綺麗にまとまるかできまります。 刑事ドラマなら大抵は結果(殺人など)がまず提示され、原因(犯人や動機、トリックなど)がじょじょに解き明かされ、報い(犯人の受ける報い)が描かれて終わります。 人間は綺麗にハマったパズルのピースなどをみると快感を感じます。原因、結果、報いにも同様です。 理屈重視の本格ミステリー系であれば原因(トリック)がどれだけ巧妙であるか、そしてそれを解き明かす探偵役(刑事ものなら当然刑事ですが)の調査や推理の理屈の見事さに視聴者は知的好奇心を刺激され、全てが解き明かされたときに難しい問題を解き明かした時のようなカタルシスを感じます。 また、人情系や情念系であれば感情に訴える原因(動機)や報い(犯人の生き様)などに感情移入するわけです。報いは時に犯人の受ける報いだけでなく、被害者自身の殺されたという結果が報いとなる二重構造を描きます。例えば実は被害者は犯人の奥さんを過去に殺しており、その復讐で犯人に殺されたという話であれば、被害者の殺されっぷり自体が結果であるとともに報いとなります。 これらもやはり原因、結果、報いがどれだけ綺麗に結び付くかがポイントです。こちらは理屈的なものよりも感情的なものですね。悪いことをした人は悲惨な報いが襲ってくることで悪を打倒したような満足感を受け、いいことをした人に悲惨な報いが襲ってくることで悲しみや切なさを感じる。時にマイナスな感情すらもドラマを見るにおいてはカタルシスとなりえます。 本格系で重要なのは事件の重大性です。重大な事件であればあるほどトリックはより難しく壮大なものとなるのは明らかでしょう。 殺人ともなれば非常に重大な事件です。自分の犯行をごまかそうとする犯人もあの手この手のトリックを駆使するはずです。当然、そこには刑事たちとの熱い知的な戦いが予想されることでしょう。それをみる視聴者たちも手に汗を握ることかと思います。 ただ、このタイプのドラマは政治的な陰謀だとか極めて高価な何かの盗難などがテーマになることもあり、視聴者に知的好奇心を感じさせるものであれば殺人以外の重大事件でも構わないのです。 ですが、殺人がこの手のドラマに適したテーマの1つであることは確かです。 では人情、情念主体のドラマではどうか。こちらでは殺人こそが至上のテーマでしょうね。なぜなら人間同士の関係の負の極めつけは殺人だからです。そして殺人は非日常的でありながら実際にもありうるという意味で適度に感情移入しやすい題材でもあります。 被害者はなぜ殺したのか、殺さないといけないほど苦しんでいたのか、殺した後にどれほどの苦悩をしたのか、その他関係者たちの精神的なショックはどれほどのものか。想像しづらいが想像できなくもない。適度なバランスです。 このように、殺人という題材はどういうテーマの刑事ドラマであれ、事件の重大性とそこからくるカタルシスが大きいと予想されます。 また、そういうドラマたくさんあれば、名作といえるものも多く生み出されます。そういう名作を何度も見続ければ「殺人ものなら外れはないだろう」という反射的な思考経路も視聴者には生まれやすいでしょうね。 なお、いわゆる刑事アクションもののようなタイプ(あぶないデカとかハリウッドの刑事アクションとか)はアクション要素による臨場感や暴力性、スピード感などのプリミティブな感覚に訴えるために因果応報タイプとは一致しないこともあります。実際、これらでは殺人自体よりは大規模犯罪が主要なテーマになっていることも多いですね。 最後にまとめますと, ・刑事ドラマというフォーマットでは殺人を扱った物語は視聴者に適度なインパクトと感情移入性を与える。 ・殺人を扱った刑事ドラマが多数作られ、それに親しんできた視聴者は反射的に殺人ものの刑事ドラマは面白いであろうという期待を持つようになる。 といったところでしょうか。 考察の一助になれば幸いです。 余談ですが、刑事コロンボシリーズは最初に結果(殺人)と原因(犯人とトリック)を提示し、報い(コロンボに追いつめられて苦しむ犯人の姿)を楽しませる構造になっていますが、実はコロンボの犯人はアメリカの実在のセレブなどの有名人のパロディキャラクターで、アメリカではどちらかというと差別されがちな人種のコロンボ(庶民の象徴)がセレブ(上流階級の象徴)を追いつめるという一般庶民に感情移入させやすい物語構造になっているんですよね。日本ではなかなか見られない構造なのが興味深く思われます。 日本の時代劇なんかだとコロンボに当たるキャラクターは徳川吉宗だったり水戸黄門だったりと犯人(悪徳代官など)より上の存在であることが多いですし。国民性の違いでしょうか。
お礼
ご教示を読ませていただいて、あたかも周到に作られたドラマを観終わったときと同じような満足感と作者に対する敬意を感じて、むしろ驚いております。今日も再放送のものを含めて観る予定ですが,ご教示の内容を思い出しながら楽しみたいと思います。