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なぜ、釈迦はブッダと呼ばれるのでしょうか?

 仏教の開祖の釈迦を仏陀(ブッダ)という言い方があり、「ブッダ」とは「目覚めた人」という意味だ、という言い方を何度か聞いたことがあります。  ウィキペディアでも、仏教を《一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え、また自ら仏陀に成るための教えであるとされる。》と、説明しています。  この場合の「目覚めた人」というのは、人のどのような状態を指しているのでしょうか。  「目覚める」とは、どういう状態から、どういう状態になることを指しているのでしょうか。  ネットサーフィンして少し頑張ってみたつもりですが、仏教関係の教義や真理は、調べれば調べただけ広がってしまい、良い帰結を得ることができません.  一つの帰結を見るには、この、ブッダについて明確に知ることが必要と思われましたので、質問させていただきます。  よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.15

今紙数を全部使って書いたばかりの回答が「不具合の発生」ということで全部消えてしまいました^^。疲れていますので笑いごとじゃないですが、ここはめげていられないところです。再度書かせていただきます。 仏教を信じる者の一人からの回答だからです。 じつは、生業の設備業は大変忙しく、昨晩も突貫工事、けだし、だからこそ、今日は普段よりも早く帰宅でき(一時間ほどですが)やっと、こちらの回答を書き始めることが出来たという形なのです。(以前から書きたい気持ちでいっぱいだったのです) この回答の情熱はご理解ください。 宜しくお願いいたします。 》仏教関係の教義や真理は、調べれば調べただけ広がってしまい、良い帰結を得ることができません.《 とありますが、そのへんは、仏教思想の歴史を考えれば当然のこととも言えます。 以下のあたりは、すでにネットサーフィンにて知っておられるかもしれませんが、まずこのへんを再度考察されてみてください。 ブッダの死後、100年後から記述が始まり、それからさらに数百年後までの間の仏教思想を「「原始仏教」」として、その後その原始仏教の解釈の世界に異議を唱える「「大乗仏教」」が「ブッダの根本思想はかくなるもの」と思想展開を始めた という大きな「「2つの流れ」」があり、 「原始仏教」≪大乗仏教からは「小乗仏教」と皮肉られている》は、スリランカに伝わり、それがミャンマー、カンボジアなどのインドネシア半島へと伝わって行った形になっていて、 一方の「大乗仏教」の方は、中国西方のガンダーラ地方、さらには昔は桃源郷で今は戦争の嵐に巻き込まれてしまったバーミヤンのあたりにまで伝えられ、そこからシルクロードを一気に韓国、そして日本へと伝わってきたのが、いわゆる「仏教伝来」の歴史の形となっている というのが仏教思想の大雑把な歴史の世界の全体像なのですが、 このうちの「原始仏教」の方が、最初に記述された思想ですので、もともとのブッダの言動をより正確に記述されているとも考えられるわけですが、、記述の面でも必ずしもそうとは言えず、こちらの記述の世界は、厳格ではありつつも、どんどん書き換えられてもいった記述世界だったことが、今では(明治以後の文献学などの発達による歴史認識の深まりから)解ってきているとされています。 一方、500年も経ってから、今までの記録や口述をまとめなおして、「ブッダはこのように弟子に語られた」という形式の、その場に居合わした者の記述の形に創作した思想史?が後の「大乗仏教」だといっても、こちらの方はその原始仏教」の漢訳にしても、それらのもともとの創作思想の世界にしても、そのまま現代まで伝わっているということも、解ってきていて、 要は、どちらも、ブッダご自身の言動そのものとは言えない記述世界となってしまっているわけです。 そうすると、では 「本当は、ブッダとは、どのような人だったのか」ということも「本当のブッダの思想はなんだったのか」ということも、 その全貌を見渡せる現代にいたっても、その中身の《解釈の深み》を追いかけてみるしかほかに、その推論すら成り立たないことが解ってきてしまっているということになるかと思うのです。 簡単には言えないところでもあるのですが、 こうして、ただ調べるだけでは、 》調べれば調べただけ広がってしまい、良い帰結を得ることができません.《 となってしまうのは、当たり前の世界でもあったわけです。 そこで、私の方からの回答としては、まず、両方の流の仏教思想にもなっている「縁起の思想」がどうなっているのか、あるいはそのへん分別智と「無分別智」をかざして、双方が論戦し合い争っていたりするのですが、そのへんはどうなっているのか、 また「煩悩」や[煩悩を滅する道」はどのように説かれていたりするのか、煩悩を滅する方法論としての「八正道」は、その後大乗仏教ではどんなふうな思想展開へと進んで行ったのか、 また双方にとっても根本的思索の流れを生んだ「慈悲」の思想は、どういう帰結になっているというのか そのすべてが、最初から《解釈の深み》を追いかけようとして生まれ、そしてふくらみ、展開されていったわけですから、その堕落も発展もすべて、 仏教の歴史の全貌が明らかになっている今こそ、さらなる《解釈の深み》を追いかけんとする情熱と気迫とで、昔の人の叡智をすらこえようとしてみるしか、もはや、 》ブッダについて明確に知ること《 も出来ず、求める「良い帰結」は得られないということになるかと思うのです。 上記の説自体、簡単には言えないところでもあるわけですが、 概略、そのような帰結を仮定した上で、まず、双方の流れの根本思想の理解のために、わたしなりに考えた「自我論」を展開させておいていただこうと思います。 そうでないと、「縁起」の思想をさらに深めたと言われている「空」の思想などは、まさに雲をつかむような「空」理空論となってしまいかねないのです。 抽象的な言葉は、そのまま、雲の上からの大きな視野と力強さを持っている時も無きにしも非ず、具体的な生活の上に落とし込もうとしてみると、かなりぼやけた大雑把な言葉ともなってしまっているところがあり、こここそ、私達の生活体験の中から血と汗と苦悩の奥底をくぐっての《解釈の深み》の探求を経ずしては、解りえないところがあるわけです。 私の方からの「自我論」は、一通り日本語を理解された中学生なら誰でもわかる説明の仕方で、出来る限り解りやすくかつ具体的に、深淵なるその「こころの世界」をひも解いていってみたいと思います。 (なお、私の方からの回答は、何度かに分けないと、紙数の都合でとても書き切れません。今回はまず、その「自我論」の基礎のあたりまでです。 どうかそのへん、この情熱に免じて、ご理解ご了承お願いいたします。よろしくお願いします) 私は、私の考えた「自我論」を《「◎書いてチョン チョン」方式の自我論》と呼んでいます^^。 シンプル・イズ・ベストのそのベストを一応目指したものと考えてください(笑)。 まず、「卵の殻」に例えて、「自我の殻」の論理を展開するために、外側の殻の円と内側の黄身の質の円とを描いた「◎」なのだと憶えてみてください。 「自我」とは、自分の内側の論理展開と感性の世界であり、「社会」ということを思索するにしても「人への愛」ということを思索するにしても、あるいは感じるにしても、あくまでそれによって自分の安泰を考える範囲にとどまってしまうこころの世界だと思っておいてください。 すると、これは、論理脳での理解や、そこからの意志の世界だけでは、その自我の殻は、とうてい打ち破れない固さを持っていると仮定することが出来るのです。 ここが一番難しいところかと思いますが^^、 人とのことを考える思索にしても、本当にそれだけでは「「自分自身が「人のことを考えている」立派な人格の人間だ」」と思われたいから、というのが本心となってしまい、論理脳とその意志だけでは、その思索枠からは抜け出せないことを意味しています。 ここでは略しますが、このことは別な観点からも言えてしまうことであり、なかなか、人のこころに本音と建て前という分裂や偽善を生んでしまいかねない、難しいこころの原理となってしまっているところです。 まさに自我の殻は、さほどに固いのだと憶えておいてください。 このへんを仏教では「元本の無明」と呼ぶ時もあります。 根源的な心の闇、というふうな意味合いでです。 また「塵じゃ惑」といい、海の砂粒よりもなお多き惑いの世界といった表現も使われています。 また「◎」の この二つの円の図は、 中心に行くほどに、感性の学びが深まってゆく意味合いの図としても描いているのですが、内側の円の黄身は、 それが、単純に「満足や充足」の質に変化する境界線を意味しています。 内側に向かって自我の殻からは「欲望」の矢印線もエネルギーをおびて^^出ているわけですが、その矢印を「チョン」と仮に解りやすく中心まで描いておくのが「◎チョン^^」というわけですが、 それが黄身の内側の質にいたると、「欲望」自体、質的変化が起こり始めます。 今その辺の論議は置いておきますが、その矢印のエネルギーが黄身の中に入り込んでくると、 けだし、その黄身からは、もうひとつの「チョン」なるエネルギーが今度は外側に向かって放射され、 なんとなんと、あれほど固かった自我の殻は、その矢印によって^^、いとも簡単に突き抜けられてしまう「慈力線^^」とでもよぶべきエネルギーを生み出し始めるのです。 相身互いの上下意識の無い当たり前の人間性としての人への愛情の世界、もう嘘が混じりようのないその心のエネルギーの世界が少し筒、内側に行くにしたがって強いエネルギーとなり放射されることになるということなのです。 解りますでしょうか、当然、この黄身の中心、円全体の中心がブッダの真実、つまり「目覚めた」人のこころの状態となるわけです。 おっと、今回の紙数は終わりが近づいてきてしまいました^^。 ここまでが「自我論」の基礎ですが、どうでしょう、ここまででいったんとぎって、あとはご自分で考えられてみてください。 例えば「煩悩」や「渇愛」という状態は、「白身^^」であるわけです。 2回目を書く予定でしたが、再質問があれば再回答する形に一応させていただきますね。 以上、仏旅の旅路、頑張ってください^^。

noname#212854
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。  17番目の回答も、合わせ読んでから、返事いたしますので、少し時間をください。 よろしくお願いします。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.14

No.4/11です。 再々にうるさくてすみません。 『覚醒』と言う言葉にこだわる必要はありません。 沢山の言葉は表せない言外の言を表すために、次々と増えていった果てのものです。 そもそも言葉は真理を指してはいません。 一つ例えてみるならば、目的地まで描かれた『見る』俯瞰地図を口頭で『聞く』様なものです。 見ればいいと思うかもしれませんが、視覚が無ければ見えません。(それが『無明』です) 言葉に惑わされてはいけません。 言葉を超えるのです。

noname#212854
質問者

お礼

 何度も、何度も、ありがとうございます。  4、11の回答も含めて、僕なりに、考えてみたのですが.「言葉を超える」という言葉は、このような言葉でのやり取りをするサイトには、相応しくないと思います。  正直に言って、4、11、の回答だけでも、僕には非常に分かりやすく良い回答でした。  ただ、完璧ではない、様な気がする、程度のことです、  本当にありがとうございました。

回答No.13

 目覚めた人の心は情的には“穏やかな海”のような状態ではないでしょうか。  理的には理路整然となっていると思います。  情的にも理的にも迷いがない状態を「目覚めた」と形容したんだと思います。  

noname#212854
質問者

お礼

 「穏やかな海」「理路整然」「迷いが無い状態」などの例えや形容は、立派な見識だと思いました。  「荒れ狂う海」「論理破綻」「迷いの最中」が常人の状態だとすれば、確かに一歩上の状態です。  人はこれら2種類の境地の間を、行き来するのでしょうか、それとも上がれば上がったきりなのでしょうか。  などなどの疑問が湧いてきます。  それは、これらの言葉が、「目覚めた」よりも、相対的だからではないでしょうか。  「目覚めた」には、それらの言葉よりも絶対的なひびきがあると思うのです。  如何でしょうか。  ともあれ、何度もありがとうございました。

回答No.12

 ★ ブッダについて明確に知ることが必要と思われましたので  ☆ というご希望にこたえ得るエピソードをお伝えします。  【Q:ブッダの美女マーガンディヤー事件】 ~~~~~~~~~~~~~  いま得られている資料をかかげます。ご見解をおしえてください。  ▲ 【資料1:求愛をことわる】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ・・・マーガンディヤーの父親が、たまたま釈迦に会い、その説法を聴聞すると父親は釈迦にほれ込んで、この男になら娘を嫁にやってもよいと思う。父親は釈迦に還俗して、婿入りすることをしきりにすすめる。  ある日、釈迦はマーガンディヤーの両親の家を訪問し、両親と娘の3人にむかって説法をはじめた。娘のマーガンディヤーには直接せずに、両親に説法をするのである。内容は次のようであった。    「われは〔昔、悟りを開く直前〕、渇愛と嫌悪と愛欲〔といった3人   の魔女〕を見ても、彼女らと交わりたいという欲望さえ起きなかった。   大小便の詰め込まれたこの女が、そもそも何になるというのだ。われは   この女の足にさえ触れようとは思わぬ」      (『スッタニパータ835』)  「大小便の詰め込まれた女」とは、ほかならぬマーガンディヤーのことである。  釈迦の真意は、娘を溺愛し、盲愛し、執着しすぎている両親をその苦から救うことにあった。いずれ死別はくる。両親が先か、万が一娘が先か、それはわからぬが。であるならば、娘に執着せずに手離しなさいとうのが釈迦の深い諭しである。この説法で両親は真意を悟り、出家を決意する。  しかし、救われないのは娘のマーガンディヤーである。目の前で「大小便の詰め込まれた女」と言われれば、傷つき「許せない」と思ったであろうことは容易に想像がつく。そして彼女は当然、釈迦を憎んだ。  その後、マーガンディヤーはコーサンビー国(* コーサンビーはヴァンサ国の都)の王と結婚し、王妃となる。釈迦がコーサンビ-国に布教に来たとき、彼女は屈辱的な過去を思い出すのである。そこで、釈迦に復讐するために、人々を扇動し、王妃の命令によって托鉢に歩く釈迦に石を投げさせ、罵詈讒謗を浴びせたのである。  このように誤解ゆえの迫害は、釈迦にもあったのである。  (『徒然草2001 法則編』     http://www.melma.com/backnumber_31267_1625651/ )  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆【資料2:その後の悲劇】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  瀬戸内寂聴『釈迦と女とこの世の苦』によると。マーガンディヤーが ヴァンサ国王の第三夫人となったあと すでにブッダに帰依していた第二夫人のサーマーワ゛ティーに敵愾心を燃やす。しかも その遠因には かつてブッダに冷たくあしらわれたという過去があずかった。とうとう サーマーワ゛ティーの館を全部 火を放って焼き尽くし 中の侍女たちもろともを焼き殺したと言う。  《このサーマーワ゛ティーのむごたらしい最期は とてもショック無しでは聞けないし うなづけない。世の中は 必ずしもいい人がいい死に恵まれるとは限らないし 悪業を犯した人間が案外この世で栄えていたりするものだ。そういう人の世の不条理を 私たちはどう受けとめたらいいのか》というのは 寂聴の記すところ。  僧たちも ブッダに問うたところ ブッダの答えはこうだったとやはり寂聴が伝える。    僧たちよ 今度の事件で動揺した心を静めよ。この世でたとえいくら   生きても 放逸でわがまま勝手で 道を需(もと)めない人間は すで   に死んでいるのと同じで 生きていても価値がない。それにくらべ い   つでも熱心に道を需め 正しいことをしようと願い 慈悲の心の燃えて   いる者には 永遠の命がさづけられている。現実に肉体の死はあっても   魂の死はない。マーガンディヤーたちは 生きながら死んだも同然で   何の生命もなかった。サーマーワ゛ティーは どんな死に方をしても   永遠に生きつづける。彼女たちは死の瞬間に精神を統一し 祈ったから   すでに聖者の位を得て死を迎えている。    (寂聴:前掲書《第7章 悪女 聖女を焼き殺す》 p.158)  さらに結語として。    人間とはそういう残酷なことの出来るものだということを 今の私は   考える。善業の報い 悪業の報いというのも この世という短い時間で    はかってはならないのだろう。     (同上 p.159)  わたし(=質問者)の考えですが ブッダあやまてり ではないでしょうか。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ◆ 【資料3:ブッダに好意的な議論】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  【とびらの言葉】その第3回です。  http://www5a.biglobe.ne.jp/~houon/tobira-bk01.htm  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

noname#212854
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。  ご紹介いただいたHPも含めて、興味深く面白い回答です。  しかし、大事な所を、正邪などの相対的な概念の言葉で語られてしまうと、急に白けてしまうのです.  あなたの言葉でなく、引用された文章の言葉が、結局は過去の観念を上塗りするものだからでしょう。  だから、僕の疑問に対する回答は、こちらの方面の記述には無いと思います。  一つの教養として、記憶させていただきます.  ありがとうございました。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.11

No.4です。 期待に答えて補足です。 『惑わなくなる・苦しみと共に~』について。 迷い・苦しみは無くなりません。 しがらみを捨て、幾つかの苦しみの元から離れる事は可能です。(これが出家) しかし何処まで行っても腹は減るし、転べば痛いし、何時訪れるか判らない死の恐怖。 つまり本質的に苦しみからは逃れられず、生きる事が苦しみそのものだという事なのです そして実は悟りも常に心の中にあります。 何処かから来るものではありません、初めから苦しみと共にあるのです。 その事に『気付く』事が『開眼』で、真理に到達した瞬間を『大悟』と呼びます。 文章を読み『覚える』事ではありません、『気付く』事です。 ここが口では説明出来ません。 ですので『覚えた』人間が間違いを流布して来た為、迷いが『消える』との誤解が広まってしまっています。

noname#212854
質問者

お礼

再答ありがとうございます なるほど、「気付く」ことならば、理解できます. しかし、気付く(だけの)ことならば、シッダルダに対して「覚醒した」という表現は使わなかったような気がします. また、気付くで本当に正しいならば、これまでなぜ、「覚醒した」よいう言い方をして来たのでしょうか. 新たな疑問が湧きますが、取りあえず、分かったような気がします. 感謝申し上げます。 ありがとうございました。

  • a_hona
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回答No.10

貪瞋痴は三毒、定戒慧は三学といわれてるんやけど、詳しくは俺もわからん。力になれんですまん。 あさり、いかり、おろかさ、が三毒と思っとったらええんとちゃうかな。一方、三学は、心の安定、身に備わった戒律、智慧のことと思う。

noname#212854
質問者

お礼

再答ありがとうございます あなたの示してくれた、三毒、三学ともに、納得できません。三という数字の必然性を感じないのです. 霊数三によって、循環させようとする意図は、理解できますが、不出来と言っては失礼でしょうか. 何度もお出まし願っておいて、申し訳ありませんが、理解は深まりません。

回答No.9

「目覚める」とは、全くの混沌の手探りの状態から「人間にとって普遍的な土台とそこに立脚した軸とそこからの大筋をはずさない方向」が見えた状態になることで、そういう状態になった人を仏陀と呼ぶのだと思います。

noname#212854
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 初めて、納得できる回答を得たように思いました. しかし、「全くの混沌の手探りの状態」というものが、人の自然にはあり得ないように思います. どうも、ありがとうございました。

回答No.8

私は若い時に死のことについて悩み、それで鎌倉の禅寺で修行したことがあります。 仏陀とは「悟り」を啓いた人という意味だと思いますが、仏陀も菩提樹の下で座禅を組み修行した結果「悟り」を啓かれたのだと思います。 最初に「悟り」を啓かれた人ですから、それを仏教徒は尊敬の意味を込めて、「仏陀」と呼んでいるわけですね。 現代に禅の修業をしている人間は「仏陀」を手本に、「仏陀」と同じ体験をするために禅の修業をしているのだと思います。 では、禅において「悟り」とはどのような体験を意味するのか、私自身は悟りに行き着きませんでしたから、他の人の体験談ならずいぶん聞いたことがあります。 私の場合、中国の趙州禅師の「無字の公案」をいただき座禅で、その問題を解くべく格闘しました。 「無字の公案」とは、形のない文字を見てきなさいという問題です。 「公案」には、そのほかに日本の白隠禅師の考えた「隻手音声」という公案もあります。 「隻手音声」とは、二つの手を合わせて音を出すのでなく、片手で出す音を聞いてきなさいという問題です。 禅の公案というのは、たいてい無理難題です。 人間は無理難題を課せられると、それを知的に解決しようとします。 しかし、公案は知的に考えると解決できない問題です。 つまり、知ではなく、非・知が必要とされます。 あれか、これか、という分別知を乗り越えた時に初めて「悟り」が訪れます。 人間の生死もその分別知の典型です。 「悟り」が訪れると、分別知が破壊され、無分別知に到達します。 それが「悟り」です。 悟った人に聞くと、目の前がパアーと開け、全身が光に包まれ、全身に力が満ちてきて、歓喜に襲われるといいます。 死にたいする恐怖感が消えて、自分がこれまでとは別の世界に入ったことを感じるといいます。 それまでの人生観が180度転回し、全く新しい人生が開かれてくる、人生の見方がまるっきり変化するそうです。 宗教でよく言う「回心」の体験です。 「啓示」といっても良いかと思います。 悟りはきわめて個人的体験なので、他人にはその内容は云々できませんが、師家、つまり禅の指導者にはその内容が分るようです。 禅は必ず師家についてやらねばなりません。 私の場合、故・安谷白雲老師について座禅しました。 老師はながく大学教授をしておられた方で、定年退職後に鎌倉で大正時代から昭和にかけて活躍した原田祖学老師に師事し、その主催する座禅会を引き継いだ人でした。 当時は鈴木大拙の英文の禅の本が世界的にブームを起こしている最中で、私どもの座禅会にも外国からいっぱい修行者が来ていました。 キリスト教に飽き足らない人が日本の禅に惹かれて来ていました。 残念ながら私は半年間鎌倉に通っただけで、禅の修業に挫折しましたが、それでもそこから学んだことは今の私の宝になっています。

noname#212854
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 素敵なお話をありがとうございます。 しかし、キリスト教徒のくせに日本の神社で結婚式をする人よりも、あいかわらず、キリスト教徒ではないくせに欧米の教会で結婚する日本人の方が多いですね. 観念や理念と、現実では、現実の方が強いと思うのです. 悪しからず. ともかくも、回答ありがとうございました。

回答No.7

 目覚めた人の教えは、四諦八正道で表されました。  四諦八正道は、人間とは“こうした生き物です”と云っています。  そして、こうした生き物だからこうすればこうなる、と教えています。  昔、祥伝社から発売された新書(NONブック)「法句経」(松原泰道・著)は当時ベストセラーとなりましたが、私の座右の書の一冊でもあります。  すこし紹介します。  「この世はつねに燃えさかるを   何の笑い 何のよろこびぞ   おん身は   いま幽冥(やみ)につつまれたるに   何ぞ光を求めざる」  (そんなに苦しんでいるのになんで“光(仏の心)”を求めないのか、と言っているんだと思います)  「悪をふたたびなすなかれ   悪の中に楽しみを持つなかれ   悪の蓄積は堪えがたき苦痛となればなり」  「小悪を軽んずるなかれ   水の滴(したた)り微(び)なりともついによく   水瓶(かめ)をみたすべし」  (心は、良い心も悪い心も使うほどに育つ、と云う事を言っているんだと思います)  「わが愚かさを悲しむ人あり   この人 すでに愚者にあらず   自らを知らずして賢しと称するは   愚中の愚なり」  (自分をよく顧みる事の大切さを言っているんだと思います)  「他(ひと)の過ちを見るなかれ   他(ひと)の作(な)さざるを責むるなかれ   おのが 何を   いかになせしかを   自(みずか)らに問うべし」  (自身の落ち度には気づきにくいものですね)   ☆ 著者、松原泰道氏の訳も素敵です。

noname#212854
質問者

お礼

再答ありがとうございます。 松原氏の訳も、あなたの解釈も、素敵です. しかし、両氏の言葉共に、理解されて通りすぎてゆきます. 理解することが、橋頭堡を築くことになる様な回答を求めています. よろしくお願いします。

回答No.6

 こんにちは。  まづ ブッダという語が ふつうの言葉であるという点についてです。  サンスクリットと系統が同じであるロシア語にも ブーディーチ(-チは 英語の to 不定詞の to に当たります)という《目覚める》を意味する語があります。  で ブーディルニクと言うと 目覚まし時計のことを言うようです。これなどは それが鳴ると ブッダよブッダ! 起きろよブッダ! などと言っているように聞こえる感じがします。  その昔 当時の人びとにならってきびしい修行をしていたゴータマは 或る日或る時 たしかにさとりました。  何も難行苦行をするには及ばない。ただただ《この上無きさとりを得た。われは 目覚めたぞ》と宣言すれば足りるのだと。  では どうさとったのか。どのように・何に目覚めたのか?  それは 何もありません。むしろ何かがあっては いけないのです。ただただ われひとりは目覚めた者なりと宣言するということです。  その中身は何かと問われたときには 分からないのは まだ修行が足りんと言っておけばよいからです。  まぁ このオシエもせいぜい五百年ないし千年くらいかな 持つとしたら。とも考えたのでしょうね。  これで オシエの体系も中身(?)も ととのいました。  あとは この世は苦しみである。誰も自分の思うようには生きることが出来ない。という明知に達しなさい。目覚めなさいとおしえる。  なぜ苦しいのか。無知(無明)からであり 無知ゆえに何もかもが欲しいと思ってしまう。渇愛と言って モノにしがみつく。煩悩とも言う。だから そのありさまを知って明知にいたりなさいと。めざめなさいと。  めざめたなら どうなりますか? さとりを得る。苦しみが 思うようになるという楽に変わる。そのようにして 目覚めることだよ。と。  これを 世界史上まれにみるペテン師だと言わずして いやしくも人間として生きる者のかんばせはないと思われます。  この或る種のモヤモヤ・ワールドは 或る意味でムラカミハルキの描く世界にも似て たまねぎの皮むきのごとく芯がなく見つからないゆえに かえってそこでは居心地がよいのかどうなのか 二千年の余も経っても 消えて行きません。  つまり さとりは得られない。ゆえに 持っているようです。

noname#212854
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 言葉の説明ありがとうございます。 しかし、言葉の説明に過ぎないように思います. 僕の希望する回答ではありません。