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「ナイーブな」の意味とは?哲学用語とは異なる使い方もある
- 「ナイーブ」という単語は、人を形容しない使用例があります。哲学の領分では「単純な」「素朴な」「稚拙な」という意味として使われます。
- ナイーブなものとナイーブでないものの区別の感覚を掴むために、使い方と意味の例を紹介します。例には自己変革、群選択、素朴実在論などがあります。
- ただし、人を形容する場合には「素直な」「無邪気な」(プラスの意味)や「世間知らず」「鈍感」(マイナスの意味)といった用法もあります。また、名詞の場合は洗顔フォームのことを指すこともあります。
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例1についての私の感想です。 サイの場合もまた、イデオロギー(彼の持つ認識の拡張)に依存することから、”揺りかごの幼児”に等しいと考えられるため、それが、ナイーブな自己責任論と位置付けられたのではないでしょうか。このナイーブさは、すりこみを受けた、疑いを知らない幼児のような危うさを意味していると思います。 まるで、ある主義を捨てようとすれば、別の主義をつかんでしまうような、なにかにつかまらなければ生きていけない、そしてそれを正当化しなければ気が済まない、あわれともいうべき人間のどうしようもなく、変わりようのなさを示唆しているのだろうともとれます。とても人間的な作品ですね。
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そうです。人間に対して使われるほうが好きです。 人間ならやり直せるので。 もし地球がナイーブだと言われた日には、 セカンドインパクトを連想してしまいます。 取り返しがつかないので怖いです。
お礼
回答ありがとうございます。 人間以外を形容する場合として、地球を形容する場合を挙げていただきました。いわれてみますと、「地球がナイーブだ」アリだなと感じます。ただし、意味はわかりません。 意味を考えて見ます。 地球は物と人格の両方の感触があります。宇宙にぽっかり浮かんでいる地球がナイーブだと止める物が何もないので、ぐるぐる自転してどんどんナイーブになっていく。このときのナイーブは脆いという感じがします。物と性格両方が脆いという感じです。だから、地球がどんどん脆くなっていき、最終的に自重で自壊するということ。 という感じがします。 結果的にわかったことは、擬人化できる物をナイーブは形容できるということです。ですからこれは、人を形容する場合に分類いたします。
つづいて例2と、例3についての私の感想です。 還元的な、とか、原理的な、という意味合いだと思います。 私は、人間的なほうが好きなんですけどね。
お礼
回答ありがとうございます。 人間的なほうとは、「ナイーブな」の使用方法は人を形容する場合ということですね。
補足
還元:物事をもとの形・性質・状態などに戻すこと。 原理:哲学や数学において、学問的議論を展開する時に予め置かれるべき言明。 そうですね。そんな感触はありますね。 あと、人間的なほうって何ですか?
- enylle
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以前「ナイーブ」を「デリケート」という意味で使い誹謗中傷だと非難された無礼な年寄りがいましたね。笑 物にしても繊細だったり脆かったり。
お礼
回答ありがとうございます。 物に対して「ナイーブな」とを形容する例としては、 ・繊細という意味で、ナイーブな肌と言えると思います。そのとき、どんな風に繊細かという感触はなんとなく分かります。また、肌も人の一部なので、人の性格を形容するときの範囲がその人の肌に広がったものだと考えます。たぶん、洗顔フォームナイーブが広げたのではないでしょうか。 ・脆いという意味でナイーブを使う例は思い浮かびませんでした。黒板に文字を書くチョークは脆いですが、ナイーブなチョークとは言いたくありません。 私が興味があるのは、人以外を形容するときのナイーブの意味です。、回答No.1さんの言葉を使うと、現象を形容するときです。 「ナイーブな」がつく、人以外の名詞にどんなものがあるか?とそのときの「ナイーブな」が意味することは何か?に興味があり、質問いたしました。
- 雪中庵(@psytex)
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日本語で「ナイーブ」と言った場合の意味、神経質、感受性が 強いといったものは、英語では「センシティブ」と言い表される というのは有名です。 ナイーブは、原則的に悪い意味に使われます。 ストレスに対して無防備で、短絡的、弱々しいイメージです (人であれ現象であれ)。
お礼
回答ありがとうございます。 「ナイーブ」がもつ感受性が強いという意味はいいことだと思います。また、個人的にも、原則的に悪い意味で使用われると言う意見には同意できません。「素直な」という意味では肯定的に使用可能と考えます。 また、人を除いた現象において、「ナイーブな」と形容できる現象とできない現象があると思います。ナイーブなと形容できる現象を挙げていただきたい。
お礼
回答ありがとうございます。 自己責任: 反対の意味の語として「連帯責任」がある。自己の危険において為したことについては、他人に頼り、他人をあてにするのでなく、何よりもまず自分が責任を負う。個人は自己の過失ある行為についてのみ責任を負う。個人は自己の選択した全ての行為に対して、発生する責任を負う。 自己責任論: 自己責任の範囲を論じること。 例1 2004年4月8日、市民活動家の高遠菜穂子さんがイラク・ファルージャ近郊でイラク人武装グループに拘束された。解放条件に自衛隊撤退があり、これに応じることは国の責任となる。それよりは、自己責任として、救出しないとするべきという論。 例2 2013年6月21日ニュースキャスターの辛坊治郎さんと盲目のヨットマン岩本光弘さんがヨットで太平洋で横断中に船内に浸水、救助を要請しに無事救助された。救出のために税金4000万円が使用された。これは国が責任を取ったことになる。これに対して辛坊さんが4000万円を国に支払うべきという論。 いろいろな自己責任論があり、自己責任の範囲を論じています。ナイーブなと限定した自己責任論は自己責任の範囲が明示されていないと思います。 推定してみます。 イデオロギー:彼の持つ認識の拡張 世界観である。偏った考え方であり、何らかの先入観を含む。闘争的な観念である。理念の内容それ自体よりもその理念が拡大しようとしている立場やその理念の社会状況に対する評価の仕方によって判断される。政治理念と政治目的が何らかの形において結合したもの。 No.3さんの感想のナイーブに関連する部分を言い換えて見ます。 「イデオロギー(=彼の持つ認識の拡張、世界観、先入観)を持っていて(=すりこみを受けた)、かつ依存していることを含まない(=疑いを知らない幼児のような)範囲の自己責任を論じること」が「ナイーブな自己責任論」 となると思います。だから、「ナイーブ」の意味は、「彼の認識の拡張、世界観、先入観を持っていてそれらに依存していて、かつ持っていることも依存していることも知らない」ということです。 言い換えの工夫した点は、否定(含まない、知らない)で表記したことです。そうすると、○○でない範囲の自己責任を論じているときに、○○である範囲の自己責任を突きつけられたときを想像できるようになります。 ところで、人間的という形容は「とても」と強調できるようなものかわかりません。ひょっとすると、「人間的」という形容も私はわからないような気がします。 重ねてもうしあげます。回答ありがとうございました。