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女子大生殺害事件の控訴審判決について
- 2009年に千葉県松戸市で女子大学生を殺害したとして、控訴審で無期懲役判決が言い渡されました。
- 一審の死刑判決が取り消された理由は、殺害行為に計画性がないことが指摘されたことです。
- 被害者の母親は判決に納得していません。
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> 死刑好きな日本人に反発されないのだろうか。 反発はされるでしょうね。 日本人が死刑好きかどうかは別として、注目された残虐な事件などで死刑判決が下らないと、確かに「わだかまり」みたいなモノは存在しますね。 私自身は消極的な死刑存置派なのですが、その立場を忘れ、そういう感情が一番に顔を出すのが、偽らざるところです。 ただ、その原因を自己分析すると、結局は「死刑制度があるから」に尽きますよ。 即ち、「死刑好き」と言うよりは、「制度があるのに、なぜその制度を適用,運用しない(出来ない)のか?」「今回は適用しないことが妥当なのか?」と言う疑問に発端し、被害者や遺族側の心情に寄り添えば・・・と言う話しです。 あるいは「最高刑を適用すべきか?」と言う議論において、我が国ではそれが死刑であると言うだけのことではないか?と思うのですが・・。 一方、被害者側の心情に寄り添うなどの「感情論」は排除し、客観的,中立,冷静に考えれば、法律は「線引き」と考えており、酌量の余地は無いものの、法律や判例に従えば、「無期懲役も充分妥当な範囲」となってしまいます。 > 無期懲役より重たい刑を、なぜ日本は設けないのか 各種,諸説ありますが。 まず、刑罰と言うのは需要,重大な国家権であって、余りコロコロ変えるものでは無いと言う点が挙げられます。 極論ですが、「去年は死刑は無いが、今年は死刑があり、また来年には死刑は廃止される」なんてことですと、大混乱になりかねませんので・・。 またそれは、国内問題だけでは無く、外国人にも影響します。 「社会契約説」に基づけば、日本人は生まれながらに、外国人は日本に渡航時に、暗黙ですが「日本で重大な犯罪を犯すと、あなたは死刑や無期懲役刑になる可能性がある」と言う、命や人生に係わる重要な契約を締結していると言うことですから。 現在、無期懲役は死刑に次ぐ重刑ですが、それより重い刑となると、大袈裟に言えば、国民や外国人は、そもそも「日本に起居するか?」と言う問題を悩まねばならない話しで、そう簡単にはいかないです。 あるいは、終身刑の設定となりますと、死刑の存廃論との兼ね合いの問題になりますね。 終身刑は、死刑廃止とのバーターになり得るモノですから。 モチロン経済性とかの問題もあるし、「終身刑は死刑より残酷」と考える説なども存在するし、日本の刑法は更生を旨とし、終身刑はその考え方にそぐわないなど、挙げればキリが無く、まあ簡単な話しでは無いです。 一方では、現在の無期懲役でも、運用次第で終身刑化も可能です。 実際、獄死なども多数存在していますが、「無期懲役でも20年未満の服役で仮釈放」なんてのは、一昔前の話しで、現在は無期懲役の仮釈放が認められるのは、30年前後になってますので、獄死は増加傾向です。 これが後10年くらい伸びれば、無期懲役は成人の大半にとって、終身刑にも等しくなります。 とは言え、高齢の無期懲役の受刑者の中は、高齢での社会復帰(仮釈放)を希望しない様な例も多いそうで・・。 国立の「無料老人ホーム」として、受刑者に利用されている様な感じもしませんか? 消極的死刑存置派としては、終身刑の法制化には、まんざら反対では無いのですが、そう言う話しを聞くと、死刑を廃止したところで、新たな問題に切り替わるだけかな?とも思います。
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- ゴルゴ 13(@golgo13--)
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永山判決の基準に照らし、1人殺害で死刑、はないでしょう
お礼
ここ一年では、岡山・岡山市で元同僚女性を強姦殺人、死体遺棄して、1審死刑、被告人が控訴をしなかった(取り下げた?)ことにより、死刑が確定しています。 死刑の良し悪しは別として、人殺しに無期懲役は、刑罰として不十分としか、私には思えません。 ご回答ありがとうございました。
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お礼
「死刑どっちでもいい派」の私が言うのもおこがましいのですが、(人間の生き死に)それ自体を語ったところで、ネズミ1匹出てきません。 あなたが回答者をやめた時、私は 「彼は飽きたのかな?」 「体力が持たなくなったのかな?」 などと思います。私の質問世界から、あなたが消える、ただそれだけのマイナス・ワンでしかありません。 ただ、自分自身の死というものは、マイナスにもプラスにもなりません。ただのゼロ、と言いますか(無)です。 殺された人は(無)ですから、取り立てて騒ぐほどでもありませんが、殺された側には(遺族)という(存在)が存在します。 殺した犯人を死刑にしても(無)だけが残るだけですし(無)は、そもそも存在しないので、死刑が執行された後に残る者は、ただ遺族のみとなります。遺族も死んでしまった世界で、初めてその一件が(無)に帰する、そのようなプラス・マイナスの価値観の中では、死刑は軽い刑罰と言えます。 自殺志願の殺人犯(秋葉原事件の奴だったかな)、あんなのを死刑にしても、犯人への罰としては、何の効力もありません。苦しみも少なく、犯人の願いをかなえてやるだけであり、被害者および被害者遺族には、メリット・ゼロです。 殺された場合、どのような罰を与えても被害者側に得が無い以上、無期懲役という形での、犯人の社会的存在の可能性は許されません。 何度も言うようですが、犯人と被害者とのプラマイ関係において、犯人を社会復帰させてはいけないのですよ。 (死)には(死)を、では足りません。必要なのは(倍返し)です。当然、分かりますよね、この算数。 ご回答ありがとうございました。
補足
>私自身は消極的な死刑存置派なのですが・・・ 日本人の認識が、まずそのあたりに到達する日が来るのを待つべきなのでしょう。