A ★ イギリス・スウェーデンのガンダーラ彫刻 ★
インドの「ガンダーラ彫刻」は、昔は辺境だったイギリスやスウェーデンでも見つかっているそうです。
「東北イングランドのノーサンバーランド(Northumberland)の旧ローマ城壁の内部に ガンダーラ彫刻がいくつか発見された(これは考古学者マーシャルの公の報告に出ている)。」 (中村元 『インドと西洋の思想交流』 p.239)
「1954年7月にストックホルムから約16キロの距離のところにあるメイラレン湖の東部のエケレー島で、青銅製の小さな仏像が発見された。そこの遺跡は5世紀から8世紀であるらしい。通高約10センチ・・・」 (同・思想交流 p.240)
「スウェーデンの仏教遺跡としては、ストックホルムに近い所にある孤島ヘルゴエ(Helgö)が知られている。ヘルゴエとは「神聖な島」という意味である。小さな島であるが、かつてはそこに住民の居住地があり、幾世紀にもわたってヨーロッパおよびイギリスの諸島と手びろく交易を行なっていたことが発掘によって知られている。・・・・ヘルゴエは4世紀から11世紀にわたる600年間に栄えていたらしい。発見された多くの物品は西紀400-800年にあいだのものである。・・・・そこで発見された仏像(6世紀)は・・・・ごく小さい。わずか8.4センチの高さで、蓮華の台座の上で結跏趺坐している。」 (同・思想交流 p.241)
http://members3.jcom.home.ne.jp/rotch/Alex/12_Shiryou.htm#BM12-1
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The island is perhaps best known for a major archaeological area. The old trading town on Helgö began to emerge around the year 200 AD, 500 years before Birka at Björkö. The first archaeological dig in 1954 uncovered the remains of the early settlement, including a workshop area which attracted international interest. The most notable finds included a small Buddha statuette from North India and a christening scoop from Egypt, both dating from the 6th century. The Indian Buddha statuette, the Irish crozier and the Egyptian scoop which were found on Helgö, are presently on display in the Swedish Museum of National Antiquities in Stockholm. [1][2]
Helgö
http://en.wikipedia.org/wiki/Helg%C3%B6
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The Buddha in Viking Sweden
http://www.strangehistory.net/2010/08/20/the-buddha-in-viking-sweden/
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これをどう考えればいいのかわかりませんが。
お礼
またお礼が遅くなり申し訳ありません。用事が重なったためこちらを見ることが出来ませんでした。皆さんの回答を全て見た上でこれを書いているのですが、すでに本質問も3ページ目へと移動して人目につきにくくなってしまいました。ですが丁寧な回答を多数頂いていますので、まだ回答が続くようであればこの質問はしばらく開いたまま継続したいと思います。 さて回答者様への返答ですが、 科学が西洋で生まれたと私が考える理由は、ギリシャ思想とキリスト教があったからこそです。 確かに古代のギリシャ思想と中世ヨーロッパの間には一度断絶があります。ギリシャの遺産を受け継いだのは西欧ではなくビザンツ帝国であり、そこからギリシャの著作がシリア等を経由してアラビアへ翻訳されてアラビア思想の基礎となり、ようやく12世紀になって翻訳運動が始まり西ヨーロッパに古代ギリシャ思想が数世紀ぶりに逆輸入されました。 いわゆる12世紀ルネサンスというものですね。ご指摘のとおり、偉大なアリストテレスやプトレマイオス、さらにはユークリッドの幾何学など人類の遺産とも言うべきものはほとんどが12世紀になってから西ヨーロッパに知らされており、それ以前の西欧は彼らの存在とは無縁でした。 ですが、その前提を踏まえたとしても、ヨーロッパで科学が誕生したのは、源流としてギリシャ哲学の存在を挙げるだけでなく、直接的な原因としても近代ヨーロッパの飛躍は12世紀ルネサンスで用意されたものの上に成り立っていると言えると思います。回答者様がルネサンスと言っているのはレオナルド・ダ・ヴィンチらのあの時代のことだと思いますが、科学に限っていうのであれば西欧の方向性を決定ずけたのは12世紀ルネサンスであって、イタリアルネサンスはその発展系に過ぎないと言えるかと思います。 科学にとって大いなる年と言うべき1543年、この年にコペルニクスは天球の回転についてを著し、ヴェサリウスはファブリカという医学書を書きました。しかしこの年にこういった出来事がおきたのは、全て12世紀ルネサンスに端を発する延長線上の出来事に過ぎません。 中世ヨーロッパの科学の発展とは、アリストテレスの思想の逆輸入に始まり、それがキリスト教と融合して、ついにはアリストテレスそのものを批判的に乗り越えることで達成されたと言えます。そのため西欧で科学が誕生した必要原因を二つ挙げるならアリストテレス(ギリシャ哲学)とキリスト教です。 これを具体的に説明するならば、トマス・アクィナスの存在がかかせません。ギリシャ哲学、特にアリストテレスがヨーロッパに逆輸入されたとき、キリスト教の思想と相容れない考えがあることが重要な問題となりました。中世哲学の最初の重要問題である普遍論争もアリストテレスの範疇論がきっかけとなりました。雑多な内容は省略しますが、最終的にトマス・アクィナスがその思想によってアリストテレスとキリスト教が融合されたことによって科学史上に一つの画期が訪れたと言えると思います。 これによって西欧のキリスト教徒たちはアリストテレスの論理学を学んでいくことになりました。 そしてこれが真の科学になる経緯とはまさに、一度トマス・アクィナスによって融合されたアリストテレス論理学とキリスト教思想が再び袂を分ちていく過程こそ「近代科学」の産声なんです。 ですから回答者様は古代ギリシャの直接の影響を否定されていますが、全ては12世紀ルネサンスにおきたアリストテレスと、アクィナスのキリスト教との融合によって端を発している以上、ギリシャとキリスト教がなければ科学は生まれなかったと言っていいと思います。