- 締切済み
もし日本で仇討を復活させたら
日本人は死刑が大好きです。そして、死刑大賛成の理由として、遺族感情を挙げる人が多いです。 多くの日本人は 自分の大事な人を殺されたら 仇を取りたいと思うことでしょう。 しかし、現在の日本の死刑制度では 死刑の執行に立ち会うことさえ許されません。 それでは、いっそのこと 遺族に仇討の権利を与えらたらどうでしょうか? もちろん、権利ですので 義務ではありません。そうすると、どんな不都合が起きるでしょうか? 日本が国際非難を浴びるとか、前近代的という以外の理由でお願いします。
- みんなの回答 (10)
- 専門家の回答
みんなの回答
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
これは、国家権力がどう関与するかによります。 1,国家が一切関与しない場合 (1)まず、事実認定をどうするかが問題になります。 誰が犯人か、それは正当防衛では無かったのか 死刑にあたいするほど悪辣だったのか、 などの事実をどうやって調べたらよいのか。 遺族に正しく認定できるのか。 (2)犯人が暴力団の親分だったらどうでしょう。 仇討ちなど出来ません。 つまり、力のある人は、殺人やり放題になります。 (3)遺族がいない人間は、殺し放題、ということい なります。 2,国家が関与する場合 そういうことで、少なくとも国家が犯人を特定し 事実を正確に認定して、身柄を確保し、犯人が 抵抗できないようにする、その上 での仇討ち、ということになるでしょう。 遺族が仇討ちを放棄したら、国家が代わりに死刑に する、という方式です。 これなら、実害は発生しないだろうと思われます。 3,刑罰は、復讐の権利を国家が奪い取ったところから 始まった、と言われています。 国家は、社会秩序の維持という公益の為に死刑にするのです。 仇討ちでは、私益の為に死刑にすることになります。
- makocyan
- ベストアンサー率39% (1039/2623)
法的に権利を認められるって話であれば別に不都合はないのでは? 江戸期の仇討ちであっても決して一対一という作法があったわけではないし、特に討手側が女性や子どもである場合には助太刀が一般的だったようですから、力の差もあんまり気にしなくていいかも。 でも、敵討ちの許可が出るってことは司法が自ら間違いを認めることのような気がしますので、あんまり実現性は高くないかもしれません。 死刑執行のボタンを押す権利を遺族に認める、ってほうが現実的かもしれませんね。
お礼
回答ありがとうございます。 >江戸期の仇討ちであっても決して一対一という作法があったわけではないし、特に討手側が女性や子どもである場合には助太刀が一般的だったようですから、力の差もあんまり気にしなくていいかも。 いや、江戸時代に仇討を認められたのは 侍の男だけの特権で、しかも 兄、父、祖父、伯父などの 直系尊属の男の仇に限定されていたと思いますよ。 >死刑執行のボタンを押す権利を遺族に認める、ってほうが現実的かもしれませんね。 それについてはすでに質問を出しました。 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7952261.html
- key00001
- ベストアンサー率34% (2878/8340)
> そうすると、どんな不都合が起きるでしょうか? 犯罪が増加したり、治安が悪化します。 私刑は現行法上は犯罪ですが、それを合法にすれば、基本的には「刑法の緩和」に他なりませんので。 法や罰則を緩めれば、緩めた範囲の法律違反者は減少しますが、巷間には「かつての犯罪行為者」も増加することになるし、全体としては、必ず犯罪者は増加傾向です。 薬物犯罪を例に挙げれば、仮に大麻だけを合法にすれば、合法の大麻使用者も増え、薬物依存者が増えれば、覚醒剤など他の違法薬物使用者も増加することになります。 あるいは、法律上で「正当攻撃」を許容すると言うことに他なりませんので、私刑で極刑を認めるならば、極刑以下の私刑についても、司法判断が転換されることになるでしょう。 即ち、正当な理由や根拠がある攻撃・反撃に関しても、情状酌量どころか無罪になる様な傾向です。 仇討のみでは無く、「仕返し」が横行する社会になるでしょうね。 かなり戦闘的・攻撃的な国家や民族になり、国際社会から非難どころか、孤立する可能性が大です。
お礼
回答ありがとうございます。 仇討は自分が負ければ相手を赦すルールですが、現代人にはそんな潔さを持った人は少ないでしょうね。恐らく、仇を討つ人が負けても、命拾いすれば、今度は闇討ちを企てるでしょう。 現代人のほとんどはそんな浅ましい人間ばかりでしょ。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
仇討は武士道が浸透している武士階級では成立しますが、農民や商人にも仇討を認めてしまっては、社会が混乱を極めるでしょう。 加えて、男女条件の社会で仇討はダメです。 あくまで男性社会でないと仇討は機能しないと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 死刑賛成派の人の中で、よく昔は 日本でも仇討が認められていたことを引き合いに出す人もおりますが、どれだけ 仇討の精神を理解しているでしょうかね。
なんだ、こまけえことはとりあえずほっといて、殺し合いの螺旋と、そもそも返り討ちばっかりで仇討てねえだろたぶん。
お礼
回答ありがとうございます。 結局、命を命で償うという考え自体が間違っているのかもしれませんね。
- konata508
- ベストアンサー率26% (514/1954)
実際の「仇討」のシステムでも何年も相手を探して疲弊し、やっとあえても返り討ちに合う場合もあったようです。やらないと周りの目(メンツ)があって仕方なくやって旅先で旅費も尽きるが帰ることもできないなんてことでは大変でしょう 参考資料:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B5%E8%A8%8E
お礼
回答ありがとうございます。
- Epsilon03
- ベストアンサー率24% (868/3495)
仮に仇討ちが復活したとしたならと言う架空の事についてと判断します。 まず、仇討ちですから、その相手が何処にいるのかについては仇討ちを許可された者が探す事となるでしょう。 警察は二次犯罪が起きない様に仇討ち相手の身辺を監視するかも知れませんが、情報は一切表には出さないし仇討ちを行う側にも提供しない。 その為に仇討ちを行う側は探偵を雇ったり懸賞金を出したりして情報を得ようとするでしょうから、それだけでも多額の費用を必用とするでしょうね。 運良く仇討ちの相手を見つけたとして、今度はその相手と仇討ちの為の交渉を行う必用があり、裁判所を仲介して返り討ちになったとしても異を唱えないと言う契約を結び、警察や検察、裁判官立ち会いの下で仇討ちが行われる。 仇討ちですから、成就出来ようが返り討ちになろうが罪にはならない。 と言うリスクを背負う事になるでしょうね。 制度としては裁判所に申請する事から始まり、その際に仇討ち相手となる者の仇討ち申請となるまでの証拠についても申請者が全て揃えて提出しなければならない。 また、通常の捜査から逮捕、裁判までを望むか仇討ちを望むかについては、キッカケとなった事件から一定期間内に申請しないとならない等の様な制約も出て来るでしょう。 国内での手続きは簡単にこの様な感じでしょうね。 結局は仇討ちとなるまでのハードルが高すぎて、そこまで持って行けるのは余程財力と権力のある人間ぐらいでしょう。 一般人には縁遠くて意味の無い物にはなるでしょうが。
お礼
回答ありがとうございます。 昔の仇討も 最大の意義は復讐心を満たすことではありませんでしたかね。仇討するにもそれなりの仁義はあったし、現代人に臥薪嘗胆の心意気と、自分が負けた時に相手を赦す潔さが果たしてあるでしょうかね?
- go3776
- ベストアンサー率35% (229/643)
あくまでも仮定ですが。 それはそれでありかもしれませんね。 もし、私が大事な家族を殺されて、死刑はないけど仇討ありとなれば、刑務所から出てきた相手を仇討でしょうね。 ただし、やはり礼儀正しく、仇討の作法を守り1対1ででしょうし、相手も死にもの狂いでしょうから、それなりに苦戦を強いられるとは思います。真剣勝負ともなれば、事前に剣道なりそれなりの心得を身に着けなければならないので、時間も多少必要でしょうし。返り討ちに会う覚悟も必要です。 街の格闘技系道場、ジムなどが活況を呈するやもしれません。不都合というより、緊張感のある生活と、犯罪の多少の抑止効果にはつながるのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 >ただし、やはり礼儀正しく、仇討の作法を守り1対1ででしょうし、相手も死にもの狂いでしょうから、それなりに苦戦を強いられるとは思います。 今の日本人で昔の武士道的な精神を持ちわせている人は少数でしょうね。
死刑囚は出てきませんので「仇討」できません。 重大犯罪でも死刑にならず懲役刑の場合、国が死刑を宣告しなかったのに私刑に処すのは「行き過ぎ」でしょう。 でも、個人的には「今日の仮釈放、釈放者一覧」を朝刊にでも掲載してもらいたいですね。
お礼
回答ありがとうございます。 仇討を復活させるには 法律の枠組み自体を変える必要がありますが、死刑を原則廃止し、 現行法で死刑になるようなケースを終身刑にして、遺族に仇討の権利を与える形になりますかね。
憲法違反です。
お礼
回答ありがとうございます。 ここでは国家が関与する前提で話を進めます。 >そういうことで、少なくとも国家が犯人を特定し 事実を正確に認定して、身柄を確保し、犯人が 抵抗できないようにする、その上 での仇討ち、ということになるでしょう。 遺族が仇討ちを放棄したら、国家が代わりに死刑に する、という方式です。 これでは仇討の美学が感じられませんね。それに仇討の意義も半減します。仇討というのは自分も返り討ちに遭う覚悟で、文字通り命がけで真剣なんですよ。しかし、こういう発想は よく言えば 穏当ですが、悪く言えば 卑怯で陰険で浅ましい考えですね。仇討の理念は どんな悪人だろうと助かる可能性を与えるという“赦し”の概念が含まれている思います。hekiyuさんには 鬼のような凶暴さもないれど、鬼よりも薄情で冷血な面を感じます。言うなれば、“大人しくて臆病な悪魔”とでも形容しましょうか。失礼なこと、すみません。