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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:公共水域での漁業権の与え方は適当か?)

公共水域での漁業権の与え方は適当か?

このQ&Aのポイント
  • 公共水域での漁業権の与え方について疑問があります。海や川や湖沼で一般の人が魚貝類を取ることができない理由は、漁業権があるからです。
  • 一部の人に利権を与えて一般の人を排除するのは不公平ではないかと思います。生息数を減らさないためには保護策を取るべきで、漁業で生計を立てる人たちだけに利権を与えることは間違っていると考えます。
  • 多くの河川や湖沼で釣りをする際には、民間の漁業組合などに支払いが必要となることがあります。この費用が環境保全のためであれば問題ありませんが、実際の利権に関しては疑問を抱いています。公共の自然では捕獲は団体だけに許されるべきではないと考えます。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

 漁業権については余り詳しくないので、大雑把な話です。  漁業権は、「漁業権」という言葉ができる以前から、どこまで遡れるかは知りませんが、いわば太古の昔から存在しています。海、川、湖それそれに漁場があり、そこで漁ができることが、その地域に住む人々の死活問題であった時代には、そこで漁ができる人の範囲を決めることが、言葉通り、生き死にを賭けた戦いであったわけです。その中で、時には流血の惨事を起こしながら、時には部落同士の話合いを経て、どこの部落はどこの漁場で漁ができるということが、決まっていったという歴史があります。この時代には、政治や行政のシステムが今のように整備されていませんでしたから、時にはお殿様の裁定もあったでしょうが、日常的には、住民自身が、自発的に自らの権利を守る行動に出る必要があったわけです。  このような長年の慣習に基づいて、それを法律化したものが、現在の漁業法の基本的な仕組みになっていて、このような慣習に対しては、「共同漁業権」という名前の権利が法律により与えられることになったわけです。このように、漁業には、旧来の慣習が色濃く引き継がれてきていますので、ぱっと見には不合理とも思われる制度が残っていることになります。(その他に、新しい漁業権も作られています。)  現代の共同漁業権は、個人に与えられているものではなく、その権利主体は、漁業協同組合です。漁協は、漁業権を有し、組合員に自らのルールに従った漁業を営むことを認め、漁場と漁業資源を管理するという役割を担っています。組合員以外の者が漁業を行った場合は、その漁業権の侵害になりますので、これを排除することができることになります。  「捕獲は生計を営む団体のみに許される区域が各所にあるというのは基本的に間違っていて改善すべきと思」うということですが、なぜそう思いますか?。公海上での漁業による乱獲で漁業資源が危機に瀕していることからも分かるように、また、それよりも解散資源の成育場所が限られる沿岸漁業において、漁業資源は厳しく管理されないと、漁業者の生計自体が維持されない結果となることを、どのように防止しますか?。  もちろん、それを政府や非営利団体が管理するというのも、制度設計のひとつではあるでしょう。しかし、漁業権に関しては、長い歴史を通じて(法律というものができる以前から)、漁業者の団体が、自主的に管理を行ってきて、そのシステムが、今なお機能しているという状況にあります。これを「基本的に誤っている」と評価するのは、現状では、そちらの方が誤りといわなければならないと思います。  漁業者による自主管理では、公的コストは0です。現在では、いろいろの問題がありますので、補助金とか、いろいろの公的資金が投入されているでしょうが、それでも、基本的なシステムの維持に、公的資金の投入は入らないシステムになっています。また、漁業者による自主管理では下手な管理は自らの首を絞めることになりますから、経済原理に従った合理的な管理が期待できます。  ともあれ、法律の仕組みはそういうことです。  例えば、九十九里浜に、親子連れが来て、蛤3個を持ち帰ったとします。それだけを見れば、地元の漁協が、それに目くじらを立てることはおかしいと思われるかもしれません。でも、その親子連れが1万組であったら、あるいは2万組であったらどうでしょうか。そのような一般市民の行動によって、漁業資源が減少し、漁業者の生活が成り立たなくなる危険が生じることを、誰が、どのようにして規制すればいいのでしょうか。  それを公的団体が担うとなれば、むしろ、漁業者を保護し、その生活を維持させるために公的資金が投入されることになります。また、規制のやり方としても、自由に取らせておいて、危なくなったら止めるというやり方(事後規制的なやり方)は、この場合には、リスクの大きい方法で、コスト的にも決して安いとはいえない(誰が何をいくら取ったかを常に監視して、その総量を見積もらなければならず、そのためにコストがかかる。)と考えられます。  公的団体が規制するとしても、やはり漁業を行うことを一律に禁止し、漁業資源に危険が及ばず、漁業者の生計が維持される範囲で、他の者にも漁業を行うことを認めるという事前規制的なやり方の方が合理的で、コストも低く抑えられると考えられます。  質問の中には、入漁料が私的な収入になるのがけしからんという趣旨も含まれていますが、それは、本来漁業者が取得できる利益を他人に譲り渡しているので、仕方のないことと思いますし、漁業者自身が資源を管理する仕組みになっている以上、その管理のためのコストを賄う金をどうやって稼ぐか(組合費として組合員から徴収するか、入漁者から徴収するか)は、自由ではないかと思われます。  確かに、近年は、漁協の組合員が自らは漁を行わず(高齢化社会ですし、漁業の生産性は低いですからね。)、もっぱら入漁料で稼いでいる漁協もあるのでしょうが、法律的に見れば、そっちが例外で、例外には例外で対応すればいいことだと思います。

AloneH
質問者

お礼

長いご説明有難うございます。実は、この質問にはどうも反感的な回答しかなかったのでもう締切にしようと思っていたのですが、これまでの回答者に対して私のお礼とコメントを送ったので、それに対して反論の機会も必要と思い1日か2日待ってみることにしていたのです。その間あなたの回答が来ました。 上記は別にして、あなたの回答は、内容は私に同感していただけないようですが、反感的でない書き方であり、ご説明も(失礼な言い方ですが他の回答者に比べて)まともな感じでした。 ただ、ざっと読むと筋が通っている感じですが、やはり私にはそのまま同意できるとはいえませんでした。あなたの考えが間違っているということではなく、そのような見方も出来るまたはそのような一面もあるという感じです。 各々の細部についてどうこうは言いませんが、参考として少々コメントをしてみたいと思います。 九十九里浜の例では、多くの人がハマグリをとったら、漁業権の侵害になるから、一人でもとっていけないことにするのが正当であるようなご説明ですよね?しかし、すでに書いたように、九十九里の浜のハマグリは自然に生育しているものではないですか?また、何か保全作業をしているとしても、しなくてもハマグリは自然に生育できるような場所と思います。一般の人が獲ると減ってしまうので、その行楽を排除して、ハマグリを売って商売にしている漁業組合だけがとっていいというのは、私には妥当と思えません。一般の人は特別の用具など使わないし、海の深い所まではいかないし、結構な人数が来ても、極端に減ってしまうことはないと思います。貝は、波打ち際よりも水深があるところの方に多く生育しています。ある海水浴場で他の客がとっているのを見て私も何度か貝をとったことがあるので分かりました。また、貝はその種類の貝が生息しやすい条件の区間区域に多くいることも分かりました。 また私は行ったことはありませんが、神奈川県のある海岸では無料で潮干狩りが出来る浜がありますよね。毎年多くの人が楽しんでとっているようですが、あそこは漁業権なんてないですよね?一方、金をとって潮干狩りをさせて、さらにとった貝も1kgいくらで買わせているところは、漁業権があって、それを利権とする人たちの商売になっているのですが、金をとる理屈としては、稚貝を育てたりしているから権利があるということなのでしょうが、本来稚貝など入れなくても自然に生育する条件があるところで、稚貝を入れたから貝がとれるという理屈は適正でないと思います。また、その場所は本来私有地でなく、公共の国民の土地(海域)で本来なら(危険などで規制されていない限り)一般の人が入れるところですよね。それがおそらく(時期によるのかもしれませんが)入場料を払わないと入れないのではないでしょうか?政府の土地というより国民の土地ですよね。彼らは政府に対して広大な区域を占有するのに使用料金は払っていないのではないかと思います。私は、やはり、一般の人がアクセスしやすい所を、特定の業者に利権を与えて一般人を排除してしまうというのは、やはり基本的に妥当と思えません。河川では入るのは排除していないでしょうが、上記と共通する問題がないですか? なお、さらに補足説明すると、九十九里ですが、詳細には覚えていないのですが、私が行った時は、ハマグリなんて考えていなくて、海を見ながら広い浜辺を散歩するために、あるところで途中まで車で入っていって、柵があったところから浜までは歩いて行ったのですが、周りには人がほとんどいない所で自然感がありました。波打ち際を歩いた時に少し掘ってみたら、何とハマグリがとれて、確か1個か2個だったと思いますが、そのまま持って歩きました。しかし、別の道がある所まで歩いた時から気づいたのですが、各所に看板があって、また浜へ出る道も柵のようなものがあって、この浜には漁業権があるので関係者以外は立ち入らないようにというようなことが書いてあったと記憶します。よく覚えていないのですが、そうかこの浜は散歩するのも入りにくいと思ったことを覚えています。確かに誰でも自由には入れれば、ハマグリをとる人も多くなるでしょう。しかし、それだから、広大な浜全体を漁業権で自分たちの土地のような状況にしているのは間違っていると思いました。浜に来る道の浜のかなり手前で柵を置いて、漁業権の看板を各所に立てて、威嚇している感じもしました。 それから、よくある漁業権に関する看板は、漁業組合などが自分たちで勝手な内容と思われる書き方をしていますが、本来政府の管理者が書くべきでしょう。政府管理者の許可を得ている内容と看板であることを明記していないものが大部分のようでその点でも問題と思います。 上記は、漁業権で適正でない点の一例の説明です。このような状況、私はどうも変と思うのですが、これまでの回答者に限ってはそう思わないようで、私としてはそれも変ではと思ってしまいます。 私は、各回答者が、あなたもそうだと思いますが、漁業権を与えないと一般の人が乱獲して魚貝を含む生態系へ重大な悪影響を与えると思い込み過ぎているように思えます。そして、大海原のように一般の人がアクセスできない又はしないような区域と一般の人が行楽や運動・スポーツでアクセスしやすい又はしたくなるような区域と混同している面があるように思えます。 さらに、各漁場などで縄張りや漁獲量の規制などが重要であるというような面は、それは、漁業者又は漁業組合間の利害の調整が必要ということで、それは国家間で行われることもあるでしょう。うまく管理しないと、生息数が激減して、自分たちの収入減に係る重大問題になるのです。それを一般の人たちが入ることで悪影響が出るというようなことにすり替えてしまっている面を感じます。確かに、一般の市民に対しても河川や海域での活動に規制や管理が必要な場合も少なくないのは確かですが、漁業関係者の利権争いの調整のために必要なことを、一般人の侵入に対して生態系や自然を保護保全するためのようにすり替えるのは感心しません。 まあ、物事は人によって、各種の見方があるものです。 今はまだ夜ですが、多分明朝には、この質問締め切らせていただきます。

その他の回答 (4)

回答No.4

 道路や山と同じことです。  道路は公共の場所。  通行するのは自由です。  でも道路沿いの動植物を採取したり、構造物を破壊したり、道交法に違反したりすることは許されません。  山も公共の場所。  国有林などは立ち入り自体が制限され、そこにある動植物は保護の対象ですが、営林署などによる森林の維持管理や、認可を受けた業者による伐採は認められています。  純粋に観光や登山目的の通行は認められていますが、営林署への事前連絡が求められています。  河川も、ただ立ち入ったり、船で通行したり、泳いだり、観察したりすることは自由です。  ですが、その管理権は国や地方自治体にあり、そこに生息する動植物も法で保護されています。  質問者さんは、この世の全てを自然に帰し、人間の手を加えるな、ということでしょうか?  海や河川や湖沼では、漁業を営んではいけない?  それはつまり魚貝類を口にしない、ということでしょうか?  ちょっと想像してみましょう。  漁業権が設定されていない、自然を保護するべしという河川があるとします。  そこの自然が守れるでしょうか?  答えは否です。  密猟者はあとを断たず、増殖に励むべき漁協もないのですから、個体数は回復しません。  数年で魚のいない死の川になるでしょう。  漁獲する以上に放流事業を国や自治体やNPOがすればいい、ということですが、では水域のいたるところで自由勝手に採補される水産資源の年間の漁獲量は、どうやって把握するのでしょう。  漁獲量が把握できなければ、それを上回る増産事業というのは不可能なのではないでしょうか?  制限され、監視されてはじめてある程度それをコントロール出来ているのではないでしょうか。  現在、日本の法律では、漁業権の設定がある水域では、漁業者は稚魚の放流などで水産資源の保護活動もあわせて行い、個体数が減っている場合は操業を制限したり、回復に努めるなどの努力をするべしと定められています。  漁業者は毎年金を払って組合員となり、この活動に参加しています。  かつて日本では、漁業関係の組合や寄り合いの制度が緩かったり、曖昧だったりして、多くの魚種が絶滅してきた経緯があります。  水域に汚染物質が撒き散らされたりしたこともあります。  ただ保護を叫ぶだけでは、こうした人間の悪意ある行動に対処し切れません。  ですから法を定めて、放流など増殖を行って増やしたと認められる分を漁獲する、というのが建前として定められているのです。  私はサラリーマンですが、幼少から釣りに親しみ、自然への思い入れもあるので、地元の河川の漁協から漁業券(年券)は毎年購入しています。  忙しいし、遠くに出張中でたまにしか釣りに行けませんので、到底元をとることなど不可能ですが、地元の自然を守れるのは彼ら漁協だけなのもまた事実ですので、協力金のつもりで購入しています。  自然のまま手を加えない、というのは、理想ではありますが、実現不可能な絵空事です。  現実に水産資源と向き合っている漁業者を通じてしか、水域の資源は守れなくなっているのが現状なのです。  普段漁業権に接することのない一般人が、こうした漁業権システムに疑問をもつのは理解できます。  私も20歳くらいまでは理解できませんでした。  でもこれがなければ、水辺は滅んでしまうのですよ。   

AloneH
質問者

お礼

ご丁寧なご説明有難うございます。でもあなたは私の説明を多少なりとも誤解している面があります。またあなたの主張はあくまであなたが正しいと思っている考えなので、相手の考えを頭から否定する書き方は感心しません。自分はそう思うのですがというのが妥当でしょう。私の書き方を再度みてくれれば分かると思いますが、私は自分はそう思うが他の方はどう思うでしょうかという感じになっていないでしょうか? 詳細は省略させていただきますが、参考例だけ書いてみましょう。 「漁業関係の組合や寄り合いの制度が緩かったり、曖昧だったりして、多くの魚種が絶滅してきた経緯があります。」、「水産資源と向き合っている漁業者を通じてしか、水域の資源は守れなくなっているのが現状」というのは、そういう面も一部であったかもしれませんが、多くの原因は他のことが原因です。例えば、メダカの絶滅・減少など河川での生態系が崩れてしまったのは、コンクリートなど人工構造物で水路化してしたしまったことが大きな原因です。漁業関係の組合が自然を守っているというような考えは全面否定はしませんが、適正な表現とは思いません。せいぜい「そういう面も多少はある」程度でいいのではないでしょうか? それからついでに、自然の植物などを一切採取していけないなんて法令は無いはずですよ。指定された保護区域及び保護すべきと指定された生態に関しては当然規則や規制がありますが、そのことと私が質問している漁業権の問題とは違う面ではないでしょうか? あなたは釣り好きで放流された魚を釣るのが好きなので、私の言うことに反発を感じたのでしょうね。

  • goncici
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回答No.3

要は、 自分はハマグリを自由にとりたい。 川や湖沼では自由に釣りをしたい。 そのためには漁業権を主張する奴らが邪魔だ。 ていうことでしょ。 ご自分の主張のために、つぎはぎの理屈を無理矢理縫い合わせているように見えますが。 海での釣りなら船からでも磯からでも自由に釣れますよ。 ただ、ハマグリの稚貝を放流しているのは漁協じゃないのかな。 潮干狩りの入場料を取っている場合、稚貝の育成費用になっていると思います。 川や湖沼は流れが決まっていて、回遊してくるなんてことはありません。 漁業権を持っている漁協が稚魚を放流しています。 一般の人はお金を払って放流された魚を釣っているのです。 そのお金は稚魚を育てるのに使っているはずです。 放流しない普通の人が好き放題に取っていてはすぐ絶滅します。 利権利権と書いてますが、漁業権というのは言い換えれば「生存権」じゃないでしょうか。 生計のために放流し保護しているから利権ではなく「権利」が得られている、と私は理解しています。 私は漁業者でもなく漁協の職員でもありません。 漁師さんのおかげで新鮮でおいしい魚を食べられるという「利益」は受けています。

AloneH
質問者

お礼

回答有難うございます。この類の質問をすると、あなたのように反抗的というか、質問者がけしからんというような態度を示す方が多いですよね。まあ、私はそれでも回答していただくだけ有難くは思っていますが、日常生活で精神的に余裕のないタイプなのかもなんて、思ってしまいます。余計なこと言って申し訳ない。ただ思っただけで、それが正しいとは主張しません。 ところで、私は九十九里には以前一度行った時のことを思い出して例に出したのです。従って特にハマグリをとりたいとか思わないのですが、おそらく九十九里などは、入場者に有料で管理している潮干狩り場のようなところと違って、自然に生育している貝ではないでしょうか?そういう自然の浜を一般の人が散歩に入るのさえ遠慮しなくてはいけないようにしているのは変と言っているのです。 また、稚魚を放流しているからその川での利権が当然というのも、あなたのいう理屈は一般的なもので、ここでは議論しませんが、課題はあると思います。それから、私は釣りをしません。でももし釣りをするのなら、私としては、稚魚の放流などしない自然の生態のままの川で釣りたいと思います。生態に悪影響があるような河川等があれば、釣りなどの規制をすればいいと思っています。 また私は、漁業で生計を立てている人たちについて批判しているつもりはありません。ただ、自然の水域は公共のものであるべきと思っています。漁業権を全く認めないというつもりはないのですが、海でも川でも自然に生育している魚介類を、漁業権を持っている団体に属している人しか獲れないどころか、そこに入ってもいけないような場所もあり、感心しません。もちろん私にはそう感じるということです。あなたはそう感じることがけしからんと言うのですか?

  • trajaa
  • ベストアンサー率22% (2662/11921)
回答No.2

先祖代々漁労で生計を立てている人々を何か後ろめたい利権集団のように考えちゃイカン

AloneH
質問者

お礼

回答有難うございます。でもあなたも反発的な書き方ですね?私は漁業権が全てオカシイということではなく、適正と思えないケースが少なくないと感じているということです。

  • hideka0404
  • ベストアンサー率16% (819/5105)
回答No.1

水産資源の維持管理に、何の貢献もしていない釣り人に、何の権利があるのか? ただ無制限にゴミを増やしているだけです。 川でブラックバスなどの害魚を釣ったらリリースすないでキチンと食べるべきです。 マスあアユも全て人が管理しないと全滅します。 釣り人のはした金なんて、利権でもなんでもないです。

AloneH
質問者

お礼

回答有難うございます。文面から、何か漁業に係る方でしょうか?私は、釣りをしないし知識もないのですが、河川、湖沼、海域の生き物は、本来は自然に任せるのが望ましいと思っています。但し、生態系の保全のために人間の助力や管理は場合によって有効です。でも、釣り人のために痴女を放流し、そして彼らから料金を取る利権はちょっと違う問題のように思えます。釣り人のマナーの点も関連はあるでしょうが私の今回の視点とは違う課題と思います。