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家族と食卓を囲んで食べることは重要ですか?
- 家族と食卓を囲んで食べることをせずに育った子供はどうなると思いますか?
- 家族と食卓を囲んで食べることの必要性とは何でしょうか?
- 家族との食事中の会話を通じて、人との会話、コミュニケーションを学ぶことの重要性について考えてみましょう。
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質問者が選んだベストアンサー
家族と食卓を囲んで食べること に準ずるような、楽しくコミュニケーションをとる場面が、 日々の生活の中で、 なんらかとられることが必要というか、大切ってことかな? と、私は思います。 現在共働き家庭も多いですし、毎日家族そろって食卓を囲める家庭って、 むしろ少数派じゃないかと思ったりします。 うちも、毎日は無理です。 自分が幼い頃育った家庭を思い起こしても、毎日は無理でしたし そんなに、家族で囲む食卓が楽しくて楽しみってわけではなかったなと思います。 別に、家族で囲む食卓が楽しくなくてもいいなじゃないですかね。 部活で仲間と食べる弁当が楽しかった、とかでもいいんじゃないですかね。 なんか、親しい人と一緒になんかして楽しかった、とかいう 体験がなんかあれば、いいな、と思います。 で、現時点で、思い当たるのないなあ、と思えば、 これから、 気の会う仲間を捜せばいいのかな?と、思います。 人数が多い飲み会が苦手な人は多いですよ。 私もそうです。 5人くらいまでにしたいです。 でもそうはいかないのでつきあいでいきますが、それはそういうもので、 飲み会の場ですごく楽しそうに振る舞っている人も、実はすごくがんばってもりあげている場合もあります。 以外にみんな、がんばっているものですよ。 気のあう人がひとりふたり思いうかぶ程度に人間関係がきずけているのなら、 別にどんな家庭環境でそだっていようが、 関係ないって 思っていいんじゃないですかね。
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格家族化、共働きの時代になって久しいですから質問者様のような方は多いと思います。 朝食を食べない子供、孤食の時代が問題視されてるのも事実です。 家族団らんの時間はそれはかけがえのないものだと思います。 可能な限りそれを持つ努力は必要だと思いますね。 幼い時期のほんの一時でもそれがないとあったとでは違うと私は思います。 父親の帰りが遅い場合はせめて朝食を一緒にとる努力をと教育の専門家達は言います。 家族が同じお弁当を持って出かけるだけでも違うとも。 必要か?不要か?という合理性で割り切ろうとする考え方がそぐわない事なのだと思います。 家族で努力して団らんの機会を持とうと工夫する気持ちが大切なのだと思います。 たとえ週に一度でも良いから温かい食事を家族みんなで囲む。 それは「かけがえのない」と表現するしかないものかな、と思います。 <必要なら、何のために必要なのですか? それを知らない子供は、後々どんな影響があると思いますか? あえて言うなら将来、自分の家庭を持ち子供を育てて行くために貴重な体験となると思います。 その体験がなければ家庭や子供を持てないということはもちろんありません。 でも家族のあり方や意義を知る一番良い機会が食卓での団らんだと思います。 頭で理解するのでなく体や心で理解できるという意味です。 さらに「食育」にも大いに関係し、豊かな食生活を送る上でもぜひ体験しておきたいものです。 子供は愛情を食べて育つと思います。 食事には何らかの形で誰かの愛情がこもっている事が大切です。 必ずしも母親でなくても良いですが、母親が家族の体調や好みを気遣いながら工夫して作った料理、それが愛情そのものです。 できれば目の前でどんな顔をして食べるのか見届けられてこそ完璧になります。 食べ具合も体調や心の状態を知る重要な情報源ですから。 そして一緒に食べて「おいしいね」と共感することで心が満たされます。 子供は栄養を満たすと同時に心を満たして育ちます。 まとめると人間的な「豊かさ」とか「奥行き」とか、なかなか表現しがたい部分での人間性が違ってくると思うのです。 もちろん団らんの経験がないとコミュニケーション下手になりやすいデメリットも否定できないでしょう。 お腹を満たせばそれで良いなら動物と変わりなく、それでは人間の食事として不完全だと思います。 もしも食卓での団らんをできない避けられない事情があるなら、代理行為で補う努力を欠かせません。 社会の最小単位の集団としての家族の関係を充足させる事で大きな集団での生き方を学ぶのが人間です。
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ありがとうございました!
- meredithmaranz
- ベストアンサー率32% (137/421)
家庭が円満で時間が合えば、家族は食卓を囲んで、 今日あったことや、何かについて楽しく話したりすることでしょう 何でもない日常ですが、家族の大切なコミュニケーションでしょうね うちはそうではありませんでした わたしも30歳位まで、そのせいで集団が苦手で、特に食事を一緒にとるのは、 食べるのが遅かったこともあり、大変緊張して楽しめませんでした 自分の今の家庭も夫はひとことも話しませんし、夜勤や日勤などでバラバラで、 子供と合わないことも多いです しかし子供達は部活で十分に人と交流し、自分達でも鍋パーティーなどをやり、 多くの友達と仲良く楽しんでいます わたしも最近やっと大勢で楽しむことが出来るようになりました それまでは本当に社交性が無く、とても苦労しました なのでやはり小さい頃から色々な人達と交流することが大切で、 その原点が家庭だと思います しかし現実問題、家庭に問題があるとそうは思っても叶いません その場合は趣味のサークルとか、職場とか、何でも良いので、 そんな中で場数を踏むことだと思います うちは子供達には意識して人の中に入れてきたので、 家庭での食卓は問題でしたが、10代から社交的です なので何か家庭に代わるものがあれば良いのかも知れません
お礼
ありがとうございました!
- u-lily
- ベストアンサー率41% (307/746)
小さい子供のうちは、必要なことであるようにも思います。 でも「全員一緒」でなくてはならない、という硬直したものではなくて、 たとえ母親と二人きりや、兄弟だけ、だとしても、その時間が温かいものであるならそれでいいのかな。 >このような家庭は異常だと思いますか?? 異常だとは思いません。最近の子供達は塾があったり共働きであったりと、一人で食べることが多いとのことですね。「孤食」の時代と言われています。 ただ、私は「ごはん」は家族の基本のように思っています。 世間でも「ご飯時間」が見直されていますね。子どもの成長に必要な「ごはん」は、単に食物の栄養だけではなく、「家族とのごはんの思い出」も心の栄養として大事なもの。逆に、それがしっかりしていると、何があっても「芯」の部分ではあたたかいものを持った人間に育つ。根っからの「悪人」にはなれない、と、思います。 私の親戚の子で一度グレかけた子がいますが、そこは大家族でいつもわいわい食事をとるお家でした。グレかけた際には加わらなかったものの、それでもちゃんと戻って今は普通に頑張っています。グレかけたときも、ちょっと粗暴になっただけで、非道なことをするようなぐれ方ではありませんでしたし、「人といる」ことの温かさをちゃんと知っている子なのです。「食事時間」とはそういう「栄養」をくれる時間であるように思います。 >それを知らない子供は、後々どんな影響があると思いますか? 必ずしも影響があるとは言えないと思いますし、一概には言えません。「家族」でなくても、「友人」でも「近所のおばさん」でも、温かいふれあいの時間が持てる場所はたくさんあります。 ただ知り合いの一例から「孤食」が影響しているかなぁと思われることは以下のようにいくつかあります。 ・他人と食事をするのが苦手 ・好き嫌いが多い ・食事の際の「暗黙のルール」がわからない。(大皿で食べるときの配分がわからない。食べたいものしか食べない。出されたものについて、ちゃんと食べるという意識が薄い。平気で残す、などなど。) ・食に対して‘楽しみ’という意識が薄い ・どこか、解消しきれない「寂しさ」を持っている などなど。毎日一緒にご飯を食べるようになって、少しずつそのあたりが変わっていっています。また、共に食事をしない家族とは関係が希薄になりがちです。毎日の食事ですら一緒にいられないくらいの場合、結局、他の時間でも共に過ごすことはないのではないでしょうか?質問者さんはコミュニケーションの問題を挙げていますが、それも本来は「食事時間」に限ったことではありません。でも「食事時間」すら顔を合わせない家族が別のことには揃って何かを一緒にする、とはあまり考えられません。本来一番「合わせやすい」ことなのではないかと思います。だからこその「基本」というか。 「子供の時には必要」と言いましたが、だからといって「取り返しがつかない」ことではないですよ。実際、上にあげた知り合いは、大人になった今、毎日一緒に食べていることで、意識が変わっていったと言います。 「食」は生命の基本です。この時間が「楽しい」なら、人生もずっと「楽しい」ことにあふれるように思います。 私見を長々と書いてしまい、申し訳ありません。 参考まで。
お礼
ありがとうございました!
今時はそういう家庭は多いと思います。 わたし自身は毎晩家族揃って 夕食を食べる家庭で育ちました。 何を話したかなど、特に覚えていませんが 子供の頃を思い出すと懐かしいです。 父は毎食後必ず母に 「ご馳走さん、美味かった」と言っていました。 そんな思い出があることは良かったと思います。 家族で食卓を囲むのが必要かどうか・・どうなんでしょう。 私の身近な人は家族バラバラの家庭で育っていますが、 食事マナーは問題ありません。 ただ、「いただきます」「ごちそうさま」などは言いません。 これは性格もありますし、 育った家庭の影響かどうか、 何とも言えないところだと思います。
お礼
ありがとうございました!
- rokometto
- ベストアンサー率14% (853/5988)
まずは言われてるとおりコミュニケーションができませんよね。 次に食事が適当だと食材=命という感覚が生まれず、命に感謝しない、命を大事にしない、道徳や倫理が育たない。 ということになるでしょう。
お礼
ありがとうございました!
- KoalaGold
- ベストアンサー率20% (2539/12475)
場所は食卓でなくともいいと思うのですが定期的に家族で時間と場所を共有し、一つの物事をするというのは、共同生活の基本だと思うのです。 砂場でトンネルを作るもよし、田植えをするもよし、ドミノを並べるでもいいのです。 勉強しろと言われるだけではコミュニケーションとは言い難いですが、毎日の報告や気持ちの確かめ合いなどを通じて相手を深く知り愛情と絆を深めます。 その経験を踏まえて外の友達とも恋人とも社会に出てからも人の気持ちを捉えた交友関係が作れるのだと思います。 ではそれがないとどうなるか。社会に出てから未経験の事態に遭遇して、そこで学ぶので痛い目に会いやすいです。
お礼
ありがとうございました!
- Ssddfree
- ベストアンサー率7% (53/756)
>家族との食事中の会話を通じて、人との会話、 >コミュニケーションというものを覚えていくんですよね? なんでもかんでも人のせいにしない。確かに家族との会話は大事ですが、あんただって27になるまでに学校だって通っただろう。 家族と会話できなくとも、学校で友達と会話する事は出来た筈だ。重要だが絶対必要じゃない。 要は本人次第。 弟が留年しているのは単に怠け者だから。
お礼
ありがとうございました!
私も母は病気で寝ていることが多く 父は昼から夜中にかけての仕事だったので 一人っ子だった私は幼稚園の頃から食事は一人でした。 中学生になり兄弟達が出来て、出産で母の病気が治り 父が定年退職して私が20代あたりから 家族そろって食事を取ることが多くなりました。 今は結婚して家を出ているので家族全員は無理ですが 家族一人一人と、外食で一緒に食事したりしています。 なので私はあまり影響は感じませんでした。 ただ・・・ご両親が不仲なのは影響あるかもしれませんね。 うちは食事はバラバラでしたが 結婚10年以上してから私に兄弟達が出来たくらい 両親の仲はずっとラブラブでした。 だから食事以外は家族一緒に過ごすことが多く 家族で何時間も話すのはしょっちゅうでした。
お礼
ありがとうございました!
- sakura-zaka
- ベストアンサー率26% (21/79)
食卓を囲む事で思いつく事を少々あげてみます。 箸の持ち方、茶碗の持ち方、食べ方の行儀の悪い部分を直す。 寄せ箸、ねぶり箸、犬食い、などなど・・・。 (最低限のテーブルマナーであり、必要な部分です) 会話の呼吸を学ばせる。 話の途中で割り込むという行為をたしなめ 相手の会話を聞く事と話しかけるタイミングを学ばせる。 空気を読む、的な感じでしょうか・・・? 今お兄ちゃんが喋ってるよね?終わってから話しかけようね?とか。 おかずの独占を止め、皆で分け合う事を覚えてもらう。 餃子12個を4人で食べたら一人いくつ?みたいな・・・。 それを意識しないでも気遣いできるようになってほしい。 食べ終えた後にそのままにせず 自分の食べたものはちゃんと片付けるようにしてもらう。 最後に後片付けをするお母さんに対して 一度に皆が食事をすれば片付け1回で済むという気遣いです。 ・・・こんなところでしょうか? 後は家庭団欒の温かみ? これは個人の受け止め方なので一概にそれです、とは言えませんが^^;
お礼
ありがとうございました!
- tit6644
- ベストアンサー率22% (77/340)
友達とご飯食べに行くのと同じ感覚だと思いますが・・・
お礼
ありがとうございました!
お礼
ありがとうございました!