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動物に自我はあるか
動物は「種」として生きているので「私」というものがない、と聞いたことがありますが、実際どうなのでしょう 魚の群れなどを見るとそうも思えますが、知人の飼っている犬を見ていると例えば: 2匹飼っているのですが、うち1匹がまだ幼くて、トイレでないところでおしっこをしちゃったりすると、もう1匹があわててトイレ(むろん犬用の)に駆け込んでおしっこをしたりします これは「自分はちゃんとできるよ」と主張しているとしか思えません こんな姿を見ると自我がないとは思えないのですが、「自我」という言葉の認識が曖昧なのでしょうか
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自我とは自分を自分として認識する。昔の哲学者が言った『我思う、ゆえに我あり』でしょうね。動物が自分とは何か、どう生きていくべきかを問答するでしょうか。 動物にも感情や自我のようなものがあることはわかりますが、人間とその他全ての動物とは決定的に違うと思います。 感情の面で言うと『笑う』のは人間のみ。チンパンジーも赤ちゃんのときに笑うような表情をすることが発見されましたが、おかしくて笑うのとは違う気がします。 あとは物事を創造したり、文化を持たない。死を悼まない。衛生観念がない。などなど。 要は本能で生きている部分が人間に比べ圧倒的に強いのだと思います。本能を制御できるかどうか、善悪の概念(道徳・倫理)をつくって、本能に反してもそれに従おうとすること。 書いていくときりがありませんが、人間はやはり特別な存在でしょうね。(中には動物以下の人間もいますが)
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ご指摘のような状態が猫にはあります。 「エサとって来い」と命じれば.ねずみやコイを取って来たりしますし.1匹だけ良い今宵子すれば残りが集団で家出しますし.逆に1匹だけいじめれば1匹だけ家出しますし。 戸を開けてほしい時は私の体で爪研ぎをしますし.ねずみを取ってくれは.見せにきますし。 ただ.コレラ行動が.自己の意識でしているのか.条件付けで行っているのかがわからないのです。
お礼
> 自己の意識でしているのか.条件付けで行っているのか 後天的に獲得したもの(個)と先天的な本能(種、生物)のバランスが、動物と人間でなにか決定的に違うか、そのへんが私は知りたかったようです やっぱり生物学かな
- liar_adan
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動物は種として生きているという見方は今では違います。 渡り鳥の群れなど、多数がひとかたまりになって生きている感がありますが、 あれは個々の鳥が、流体力学的に楽な方法で飛びたいと思うと、 ああするのが都合がいいからやっているのです。 魚の群れも同様です。 つまり、エゴを発揮した結果、全体で見るとまとまっているように見えるだけです。 自分のためには、子殺しや兄弟殺しをすることも、 珍しいことではありません。 個個体は、それなりの知能を使って、 自分の都合を考えながら生きています。 それを「自我」と呼ぶかどうかは言語学の領域になってしまうので、 よくわかりません。
お礼
人間が端から見るほど「集団生活」ではないのですね 国家の形成は、動物が「群れる」の人間版かなと思いました
動物には自我がないと言われていたのはもう随分昔の話です。 動物にもちゃんと自我はありますよ。(もちろん自我の定義の仕方にもよるんですけど) ただ、人間と比べてちょっとばかし脳が原始的ですし、人間とはまるで違う倫理観を持っているので、『行動が理に適っていない』→『何も考えてないに違いない』という発想を人間が勝手に浮かべてしまうだけです。 そもそも動物は、アンドロイドのような記憶機能付き演算処理装置とは訳が違うのですから、自我がないと『経験則による先読み』はできないのです。
お礼
> (もちろん自我の定義の仕方にもよるんですけど) 心理学やってる方が自我をどう定義してくるか、聞きたかったところではあります > 自我がないと『経験則による先読み』はできない なるほどです そうすると「言葉」が自我の形成にどう関わってくるか、動物と人間の自我にどう違いをもたらすか気にかかるところですが、これは言語学の領域ですね
- comb
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あると思います。 自我=人格。心の座。・・・と解釈した上で・・・ ネコしかまともに飼ったことがないのでネコの事しかわかりませんが、ネコは飼い主が悲しくてうなだれていると、慰めにきます。ほんとハートに響く事をしてくれます。ネコにも自我があるなと思うのです。 我が家の猫の例で、 Sちゃんは超高飛車な子で、他の猫が可愛がられているとヘソを曲げてネコパンチをしに行くというエゴ丸出しなメス猫。 Hちゃんはナデナデして欲しくなったら足元に来て大きな音で爪とぎをはじめます。自己主張が激しいメス猫。 Iちゃんは我が家のボス猫に長年いじめられてイジケていたが、新入りの赤ちゃん猫がいじめのターゲットに変わった折、赤ちゃん猫を助ける為にボス猫の攻撃を身を挺して受けたりしてました。「私が助けないと!!」と思ってした行動に見えました。母性本能のあるメス猫。 猫ほど、私を可愛がって~っていう動物は他にいないんじゃないかというくらい自我剥き出しなのかと思っています。
お礼
「感情」があれば「心」と呼べますよね しかしネコちゃんはカワイイのですね~
- shima-2
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確かに「自我」の定義が難しいですね。 うちも猫がいますが、猫をひざの上に抱いて TVを見ていると、自分に話しかけないのが 気に障るらしく、下から手でアゴをグイグイ押して 「こっち見て」という仕草をします。 また、新しいものが大好きで、来たばかりのソファを 独り占めしていたと思ったら、1週間くらいであきて 今度は人間のトイレの隅っこがブームになり、 しばらくしたら、またソファーブームがきました。 色々好みがあるんだな~と感心していたんですけど、 果たしてこれは「自我」なんでしょうか。。。 人間に飼われている動物は人間を見て育つので、 自分を人間と同じと思い込んでいるふしがあるように 思います。 (うちの猫も、他の猫を見たら驚いている) 人間には「自我」が強くあり、動物も人間と暮らすと 自我が出てくるのではないでしょうか。 要するに、「感情の生き物」になるということでは。
お礼
「感情」はちょっとキーワードですね 自我から生ずるとしか思えない気がします
- ad-man
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論から少しそれるかもしれませんが…… 以前、ネコを数匹飼っていました。 Cというネコが生まれた後、家のどこでもネコがトイレをするようになり、私はその犯人(犯猫)が、Cだと思い込み、Cの尻を何度も叩いたことがあります。そういったことがあって、Cは人を見たらすぐに逃げるようになってしまいました。私と家の中で出くわしても、背中をかがめてすれ違うタイミングを影からうかがい、一気に逃げます。(トイレの犯猫は、Cの母猫が、Cを産んだために、それまで自分だけが享受していた愛情が分散してしまったストレスから行なっていたようです) そんな私を見たら一目散に逃げるCが、ある日の夕方、私が座っているイスの前に現れ、手をジーンズの膝のところに持ってきて爪を立て「来て来て」をするのです。そして、私を2階の部屋に導いたのです。2階に行ってみると、Cと一緒に生まれた兄弟のBが、ウ~ウ~言って苦しんでいたのです。直前までは元気にしていたBですが、目も見えないような状態に陥っていて、動物病院に連れて行きましたが、翌日死んでしまいました。 話は長くなりましたが、私を見ると一目散に逃げるCが、その時、とった行動(Bの異変を伝えに来た行動)には今でも考えさせられるものがあります。その後も、Cは死ぬまで、私を見ると一目散に逃げていました。 その事件以来、こいつらは、たまたま猫に生まれただけで、オレはたまたま人間に生まれただけで、こいつの瞳の奥(脳裏)にはオレが写っているのだなぁ、ということを強く考えるようになりました。 また、Dという成猫を去勢するために動物病院に連れて行った時の話です。 麻酔薬を打った後、Dの表情には急に襲ってきた睡魔と戦うものが感じ取れました。病院の先生も、「麻酔を打つと、ころっと麻酔にかかる猫もいれば、自分の体調の異変を感じ、それと戦おうとする猫もいるんだよ」と言ってました。 質問の回答にはなっていませんでしたが、なんとなく聞いてほしかった話なのです。
お礼
なんか絵本みたいな、ちょっとじんとくるお話ですね
お礼
ふんふん 「種」か「個」かと言ったら個で生きてるけど、それを自我とは言わないかもしれませんね 「私」という一人称の観念は持ち合わせない気がします 哲学だなぁ