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人はお金があるほど幸せですか?
イギリスのテレグラフ紙の過去の記事にお金はあればあるほど幸せという内容のものがあったのですが、これは正しいですか? 過去数十年で所得は何倍にも増えたけれど満足度にはほとんど変化が見られないというデータや、年収75000ドル以上になると幸福度は頭打ちになるというデータをよく見るのですが、これらは間違っているのですか? 教えて下さい。 http://www.telegraph.co.uk/finance/comment/9850842/The-fact-is-the-richer-you-are-the-happier-you-are.html
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お金は「幸せになる」道具ではなく、「不幸を回避する」道具だと思います。 ここを勘違いしないというか自分で弁えていれば、金の高≠幸福度ではないことが分かります。 ご質問内容に対しては、それぞれの意見であり絶対値ではない。 そもそも幸せというものを数値化する寸法が同じでは無いと思うので。 こういう話になると必ず健康の方が大事だとか愛があればだとか言われますが、 金=道具・物です。比較するベクトルが違います。 金で愛が買える場合が無いとは言い切れませんが、愛で空腹は満たされません。 金で健康そのものは買えませんが、金があれば高度な医療が受けられます。 子供に本人の希望する進路を選ばせられます。 少なくともカネがないという一点だけの問題で起こる不幸を回避出来ます。
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- xNekoNyanx
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『プレゼントの経済学』 この図書の項目「なぜビル・ゲイツは巨額の寄付をするのか?」を読んでみると良いかも知れません。 要点のみ述べると、お金は幸福感をもたらすが、「使い切れない」または「満足できるだけ以上」のお金は、持っていても幸福には繋がらない。 厳密には、幸福には繋がるかも知れないが、余剰部分についての「幸福度」は小さくなる。 この例えとして、バナナが用いられる。 お腹の空いた学生にバナナを1本与えると、喜んで食べる。もう1本与えても、まだ喜んで食べる。しかし、4~6本あたりになってくるとあまり喜ばなくなる。10本以上となると、チップを握らせてやらなければ食べてくれないだろう。 しかし、その10本目のバナナを他の学生にあげると、最初の学生が食べた1本目と同じくらいに喜んでくれる。 お金についても、これと同じことが起きるのだという。 つまり、幸福というグラフにすれば微上昇は続けるかも知れないが、ある一定のラインに近づくほど上昇率が下がる「漸近線」状態となる為に「頭打ち」という表現も妥当となってくるのではないかと。 しかし、これが通用するのはかなり限定的な富裕層のみですよね。だからデータに実感が伴わないのだと思います。 逆に「人はお金がないほど不幸せか?」のほうが、漸近線のラインが身近となってイメージしやすいかも知れません。
お礼
回答ありがとうございました。 早速、紹介して頂いた書籍を調べてみます。 お金がないことと不幸の関係という逆の発想はなかったので、これについても調べてみたいと思います。 どうもありがとうございました。
- クリスティーナ 呆れるわ(@misdemean0r)
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今日は。 英語読めないですよ^^まぁいいですけど、一生の内に使えるお金なんて知れていますよね、贅沢の限りを尽くすにも限度があると思いますね。 よく欲しい物より必要な物と言いますね、ハリウッドスターが店に買い物に行ってここからここまでの服をちょうだいみたいな買い方をするなんて話を聞きますが馬鹿じゃないのと思いますね。 いい生活はしたいと思いますが使う手段が無いお金なんて必要無いですね、これが欲しいと思って努力することも無く無条件で手に入ると退屈でしょうね、幸福度が頭打ちになるのは判る気がしますね。
お礼
回答ありがとうございました。 貴重な意見を聞くことが出来て大変参考になりました。 どうもありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございました。 不幸を回避する道具という意見は説得力があり、とても勉強になりました。 どうもありがとうございました。