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《宇宙は 自己の補完である》とはどういう意味か?
(1) たとえば《地球家族》という言葉を 耳にしました。 これは 表題の意味内容とかかわっているのでしょうか? (2) 《宇宙は 自己の補完である》とは どういう意味でしょうか? (3) 質問者には 次のような意味のほかは 分かりません。 (あ) ヒトは 宇宙の中に存在する。 (い) その人という存在があたかも小宇宙と呼ばれるような宇宙の縮図を成している〔という主観想像的な見方が出来るかも知れない〕。 (う) その存在という存在は 相対的なものであるから 互いに関係しあっている。 (4) すなわち 前項の(う)については そこからさらに次のように考えられます。 (え) ただしその相互の存在関係は 互いに依存しあう側面すらあっても ヒトの場合は――つまり社会的なあくまで関係性としてある存在であっても―― その自然本性として中核を成す自由意志が 一人ひとりに〔相対的な〕独立性を持って発揮されるからには その意味での《独立性》をも同時に持つ。と考えられる。 (仮りに複数の人間による共同でひとつの意志があるとしても それが発揮されるのは 個々の人間それぞれによってに限られる)。 (お) つまり そのとき 《補完》というのは そぐわない。と考えられる。 (か) すなわち ひとりの人間として《わたしがわたしである》ことは あたかも――あたかもです あたかも――《独り満ち足りている》かのごとくその相対的で関係性の内にありながらの独立性・自立性を持ち得る。 (5) それとも ここで《補完》という場合には 容易には知り得ないもっと深い意味があるのでしょうか? よろしくどうぞ。
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- 雪中庵(@psytex)
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noname#183015
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noname#194996
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noname#183015
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ぷしゅてくすさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 分からないからには 質問をかさねて行くしかありません。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ 「自我仮説(時間軸=時間の流れ=記憶=過去=超光速)」と 「時空仮説(空間軸=空間の広がり=予測=未来=光速下)」 は相補分化している、 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ (6) 《自我仮説》と《時空仮説》とのふたつで 《宇宙》つまりこの世界や特にヒトなる存在は成り立っているということですか? 宇宙には ほかにはないということですか? (7) もしふたつの仮説のほかには宇宙には何もないのだとしますと これらふたつのものが何故《相補分化》したのですか? (8) もとは宇宙としてひとつであったものが 相補分化した状態にある。ゆえに この自我仮説と時空仮説とは 互いに補完しあう。ということですか? 分かれ切ったわけではないということですか? (9) あるいはつまり この《相補分化》というのは むしろ――推測によってものをたずねますが――《分化》していないのではないですか? ただ認識の上で ふたつの仮説に分析的に分けて捉えているだけなのではないですか? (10) つまり要するに《自我仮説》と《時空仮説》とは 宇宙そのものとしてその全体としてひとつの存在の中に互いにじゅうぶん・つねにつながっているのではないですか? あるいはもっと言えば ふたつの仮説の内容は つねに一体であり けっきょく《ひとつ》なのではないですか? (11) あるいはつまり宇宙が つねにその要素として自我仮説と時空仮説とに 分析して捉えられるとしてもつねにそれらは一体であり分けられないと見るとした場合 そのことは取りも直さず ヒトにおいても当てはまるのであって 人間はそれぞれが つねに《自我仮説および時空仮説の一体となった中身をもった存在》であると言えませんか? (12) ★ ~~~~~~~~~~ 「自我仮説(時間軸=時間の流れ=記憶=過去=超光速)」と 「時空仮説(空間軸=空間の広がり=予測=未来=光速下)」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ たとえば《過去》と《未来》とは ワタシの生きるこの《現在》のうちに一体となって存在するのではないですか? (13) 《宇宙は自己の補完である》と表現した場合 それはむしろ ○ 《自我仮説および時空仮説の一体となったひとりの存在》である自己 つまり《わたし》と《宇宙》との関係を問うという視点 なのではないのですか? (14) あるいはつまり 《自我仮説》とは 人間にとって どういうコトですか? 《時空仮説》とは どうなのでしょう? ふたつとも人間つまり《わたし》なる自己におさまるコトなのではないですか? いま・ここなるワタシの《階層現象表面的仮象》のうえにも 収斂して一体となっておさまっている。のではないですか? (15) 《補完》というのは すでにふたつの相異なる存在どうしが何らかの相互影響を与え合うということであって すでに《一体であるものの内で その部分要素が互いにその機能をおぎない合う》ということには用いないのではないですか? あるいは用いたとしてもここでの《宇宙は自己の補完である》の場合は 別々の存在どうしを言っていますから 当てはまらないと思われます。 ★ この「相補分化」において、物理の根源(超弦=量子定常波)である量子性=不確定性原理は可能になっているのです。 ☆ (16) このコトと 人間のワタシとは どういう関係にありますか? 存在にとっては関係ないのではないですか? つまりただそう認識するのみというコトなのではないですか? ★ ~~~~~~~~~~~~~ 即ち、 「位置(S)と運動量(St/エネルギー)、 時点(T)と質量(Ts/エネルギー) の2対のそれぞれが相補的不確定性を成す (一方を確定化しようとすると他方が無限不確定に発散 する(=無))」 という時の相補性は、 先に「相補分化」した 自我仮説(T)と時空仮説(S)の仮説的延長 (階層現象的な表面的定性化(経験的にいい加減に捉える)による非光速性 に依拠した) における直交基底において可能になっているのです。 ~~~~~~~~~~~~~~ ☆ (17) 《非光速性》が分からないのですが それでも この《可能になっている》コトは もともと《一体であった自我仮説および時空仮説としての宇宙》についてのひとつの説明である。ということではないのですか? (18) つまり《宇宙は自己の補完である》という命題については 何も説明していないのではないですか? つまりもともと 何か特別の補完関係にあるものが 自己と宇宙とのあいだにあるというのではなかった・このことが確認されているだけなのではないですか? ★ 超光速領域が過去化する ☆(19) というのではなく ワタシが生きるというとき そのワタシは時間的存在であると同時に空間的存在でもある(あるいはまた そのぎゃく)であることを言ったに過ぎないのではないですか? つまり人間は 時空間を生きているということを言ったに過ぎないのではないですか? ★ ・・・超光速領域が過去化する事で、光速限界=相対性理論も自ずと現れるのです。 ☆(20) いえ。たぶん やはりワタシが生きるとき そのワタシなる存在は 時空間としての存在であって その人間は互いに相対的な存在であるということを捉えているなら 相対性理論は 得られるということではないですか? 《理論が現われる》のではないでしょう。 ★ (*全ての存在は、量子的な不確定性=確率波動性に基づいており無限につめ込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。 ☆(21) この《無限につめ込むと》というコトは 経験的に実験できることですか? 推論の問題ですか? つまり推論のみによるとすれば 《存在が 無と等しくなる》ということは経験現象としてはないわけですか? ★ この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に認識体の仮定断面の運動を想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識するのです) ☆(22) つまりこの《絶対無=不確定性無限》というのは架空のものですね? (23) あるいは言いかえると この《不確定な存在》として 人間なら人間が すでに自我仮説および時空仮説の一体となった中身をもって生きている。ということであって 《宇宙と自己とのあいだに補完関係がある》というのは 言い過ぎなのではないですか? (24)★ 認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識するのです) ☆ ここで認識するという《自己の補完(相補的不確定性)》は・つまりそれ《としての宇宙》は もともと自我仮説および時空仮説の一体となったワタシなる存在の中身としてあったものではないですか? 《絶対無》を想定しそこからあらためて 過去と未来 あるいは 心と物といった双対をそれぞれ互いに補完関係にあると見直した。こう言っているのではないですか?