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メンデルは不正をしたから遺伝の法則を示せたのか
グレゴール・メンデルが遺伝の法則を発表した論文では、 明らかにデータが不正に操作されているそうですが、 メンデルがデータを不正操作して論文を書かなければ、 遺伝の法則を示すことは不可能だったのでしょうか。 遺伝の法則が「メンデルの法則」と言われるためには、 データの不正操作が必要だったのでしょうか。 もしメンデルがデータを正直に論文にのせていたら、 遺伝の法則は示せなかったのでしょうか。 メンデルは不正をしたから名前を残すことが出来たのでしょうか。
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ご質問者さんは,お若いのでしょうね。現在は,世界的に生物学史など教えない時代になってしまいましたから… 1865年の初めの論文は,統計処理的に,連鎖など知られていなかった時代ですから,7対の対立形質だけでなく多くの対立形質に注目したのですが,不都合なデーターは排除しました。このメンデルの優れた統計処理方法は,決して批判されるべきものではないと思います。むしろ他の研究者よりも優れていたのではないかと思います。不正操作ではないですね。 メンデルの論文については,1865年の論文とそれ以降の論文では,全く意味合いが違います。その理由は,メンデルは,メンデルの3法則を発見し,ドイツの高名な植物学者等に評価をお願いしたのですが,彼は貴族階級ではありませんから,馬鹿にされ「セイヨウアレチノギク」等の遺伝材料としては不向きな実験材料で同じ結果を持ってくるように意地悪されたのです。 メンデルは,その後何十年も指示通りそれら不向きな実験材料で実験を続けましたが,まともな結果は得ることが出来ませんでした。無理矢理メンデルの法則を当てはめたような結果を発表したようですね。1865年以降の論文は,生物学史的には余り意味のないものと思います。ですから彼の晩年は不遇で,有名な墓碑に刻まれています「いつか俺の時代が来る」と妹に言い残して,この世を去ったのです。 1865年のメンデルの実験そのものは,ド・フリースがオオマツヨイグサで追試し,実験結果を1900年に発表して,メンデルの法則の再発見者の一人になっていますから,メンデルが遺伝法則を示せないといったことにはなりません。
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- Tacosan
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あなたのいう「不正操作」とは, 具体的にはどのような操作ですか?
お礼
>あなたのいう「不正操作」とは, 具体的にはどのような操作ですか? それを知らない人は、回答しないで下さい。
- ikuzecia
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データがきれいすぎると言う批判ですね? メンデルのデータが捏造などというのは事実に反します。 論文を読むと,メンデルがいかに周到な準備をし,細心の注意を払って実験を行ったかがわかります。 メンデルの時代は統計学がまだ十分広く理解される状況ではありませんでした。 そこで,メンデルは実験結果がずれたとき,本当は統計的に有意な範囲なのに 実験が失敗したと思いこんでしまった可能性があります。 データがずれた原因を「昆虫がついて色や形が変わってしまった」とか 「日照不足のため茎の長さが短くなってしまった」などと考えて破棄してしまった結果 このようなきれいすぎるデータになったと思われます。 不正や捏造とは違います。 現代においても明らかに実験失敗が疑われるデータは破棄して 統計処理することは有りまあす。 データが捏造かどうかは「再現性」があるかどうかで判断されます。
お礼
>データが捏造かどうかは「再現性」があるかどうかで判断されます。 「再現性」が無かった、と聞いています。 追試をしても、メンデルと同じ実験結果は得られなかったそうです。
補足
申し訳ありませんが、私の質問をよく読んで下さい。 私は、もしメンデルがデータを正直にそのまま論文にのせていたら、遺伝の法則を示すことは出来なかったのですか?と質問しているのです。 メンデルの行為が捏造と言えるかどうか、などとは質問していません。
お礼
回答をありがとうございました。