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不起訴や無罪の場合、被疑者が犯人ではない可能性が高いということ
- 不起訴や無罪になったとき、被疑者が証拠不十分などで不起訴になったり裁判で無罪になった時、メディアは被害者の家族のインタヴューを流します。しかし、被疑者が犯人ではない可能性が高いということを考えると、被害者の家族の反応は被疑者が犯人だと決めつけているような反応が非常に多いと言えます。
- 被疑者が犯人ではない可能性が高いということを考えると、被害者の家族の反応は被疑者が犯人だと決めつけているような反応が非常に多いと言えます。被害者の家族にそこまで思い込ませるのは警察の説明や検察の態度、あるいはメディアがそういう反応を誘導しているからではないかと疑問が生じます。
- 裁判で被疑者を有罪にし、より厳しい判決を得るために、被害者の家族の強い怒りを裁判所に訴える作戦があるかもしれません。しかし、本来なら批判すべきなのは真犯人を逮捕できなかったり証拠を押えられなかった警察検察であり、被害者の家族からの批判が出てもおかしくはありません。
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被害者の家族にそこまで思い込ませるのは警察の説明でしょうか? あるいは検察の態度でしょうか? →被害者心情としては、はやく怒りの矛先をどこかに向けたい …そこで警察が捕まえたとしたら犯人と思い込むのは被害者心理として当然でしょう!極限の状態なのだから、ちょっとした一言で心情が左右されても仕方ない 警察は逮捕時は自信を持っているのだから、被害者に「容疑者逮捕しました」もうこの一言で被害者はすりこみでしょうね それともメディアがそういう反応を誘導しているのでしょうか? →先ずメディアを信用しすぎです!メディアは視聴率取れそうな所のみを放送するのです。特に現代メディアは…… 現代メディアで真実なんてごく一部だけです、真実知りたいなら直接被害者に聞くしかないのです 裁判で被疑者を有罪にし、より厳しい判決を得るために 被害者の家族の強い怒りを裁判所に訴える作戦もあるのでしょうか? →最近は被害者心情が大きく左右されるので、罪は重くなる傾向あります まあよく考えれば当たり前のことなんですが……
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- love_pet2
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よく、死刑賛成者は遺族感情を引き合いに出しますが、遺族感情が正義でないということを この事件は物語っていますね。顰蹙を覚悟で書かせて頂きますが、はっきり言って、日本人の大部分は下衆です。その下衆も幸せな時や満足している時は誰でも仏顔です。 でも、下衆どもは不幸や災難があった時に、本性が現れます。被害者だからといって、仁徳が高くなる人は非常に珍しいです。そして、関係の他人である下衆どもも うわべだけの同情をして自分も正義の味方ぶります。そして、その下衆の頂点に立つのがマスコミです。 下衆どもは愛する人を失った場合、今度は誰かを恨むことで 心に空いた大きな穴を埋めをしようとします。普通は、愛する人の命を直接奪った人間ですが、直接要因になる人間がいない場合、誰かのせいにして責任をなすりつけ、その人を恨みます。ご質問ケースでは 判決が出る前から そいつが殺したいほど憎い犯人だと決めつけているわけですから、どんなに確実な無実の証拠を突きつけられても、これを覆すということは到底耐えがたいものになります。そして、同時に心の穴埋めに殺したいほど憎むべき人間を失うわけですから、どうしても手放したくないわけです。 じゃあ、下衆どもが殺したいほど人間が死刑になるとどうなるか? 一瞬、スッキリしてケジメがついたように感じるのも束の間、今度は生きる張り合いを失うほどの空虚感に襲われます。それでも、真っ当な人間の心を持っているのなら、死刑になった人間の命の重さも背負って行くことになります。
お礼
ありがとうございます。 人間は弱いものなんですね。そういった人間の弱さを ますます掻き立てるようなことがなされていないでしょうか? なんだか最近の報道を見ていると、これでいいのかと思ってしまうんです。
- issaku
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証拠不十分など有罪認定のケースで遺族が不満を表明した、という場面は近年に記憶がありません。 逆転無罪のケースで「真犯人を一日も早く」といったコメントは覚えています。 その類の遺族のインタビューでは、有罪認定ではなく量刑に関するものが多かったのではないかと思いますがどうでしょう。 また、警察検察への批判があまり出ない理由もなんとなく理解できます。 遺族は担当の警察官とは顔見知りになるわけですし、警察検察は公判に遺族の協力を取り付けるため最大限の配慮をします。更に被害者家族の「味方」として長期にわたり一定の秘密を共有して付き合うのですから、信頼関係が生まれ、人情として「警察はよくやってくれている。結果は残念だったがやむを得ないのかも」という感じになってしまうこともあるだろうと思います。 >検察や警察のミスのような気がしてならないんですよね。 確かにミスはあるでしょうが、捜査に科学的理論に基づいた決定的手法があるわけでも無く、物理的に証拠が全く無いというケースもあるし、証拠隠滅が完全に成功することもあり、結果に100%は無い世界だと思います。 いかなる理由があろうと有罪にできないのは司直のミスである、という考え方は従来からマスコミ世論、ひいては警察や検察への評価として最も危惧されており、それゆえに自白強要や証拠捏造による冤罪が発生したというのも一面の事実かと思いますがいかが。
お礼
ありがとうございます。 ただ証拠不十分で無罪になった時や判決が軽かったときなど、 遺族の側が裁判の結果に不満を表明しているように見える報道は多いですよ。 具体的には言いませんが、、、今朝もそれに近い報道がありました。 それと警察はよくやってくれているという信頼は捜査上大切なことでしょうが それが被害者側の無罪に対する不満や重罪を期待するような発言に つながるようでは、本当の意味での公正な裁判にはつながらないような 気がします。
- apiapi_2006
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>その被疑者が犯人ではない可能性が高いということでしょう。 それもありますが、 有罪にできるだけの証拠が不足している場合も結構多いです。 状況からまず犯人だろうけど、決定的物証(証言)がなく、公判が維持できない、と思われた場合です。 怪しきは罰せず、という「黒」以外は相当なグレーでも「白」に分類される決まりです。
お礼
ありがとうございます。 黒であることを証明できないというのは 検察や警察のミスのような気がしてならないんですよね。
- melgitos
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メディアというのは往々にして視聴者が興味をもつように「おもしろく」報道します。 犯人じゃなかったよりも犯人だったほうが面白いですよね。 メディアにとって被疑者が犯人かどうかは大した問題ではありません。 犯人のような人がいればいいのです。 もちろんメディア以外にもそうなる要素はあると思います。
お礼
メディアって本当に無責任ですよね。 政治がらみの報道なんか呆れるのを通り越して感心することもありますよ。
お礼
ありがとうございます。 いろいろなご回答を拝見しています、被害者側のやりきれない思いが、 なぜ無罪だ、なぜ不起訴だといった気持ちにさせるというのが分ってきました。 特に誰が誘導するのでもなく、自然にそういう気持ちになるということなのでしょうね。 でも、それをわざわざ報道するというのは、なにか割り切れない気がします。 被害者側にしてみれば自然な気持ちを吐露しているだけなのに なにか報道側に意図があって流しているのか?と思ってしまいます。