- ベストアンサー
弁護士の使命と正義について
- 弁護士の使命とは、被疑者の無罪を立証することですか?
- 弁護士の内心と使命の関係はどうなっているのでしょうか?
- 弁護士の使命とは、正義を追求することなのでしょうか?
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
ご返答ありがとうございます。 あなたの考え方を否定するつもりは毛頭ありませんが、参考までに私個人の意見を述べさせてください。 まず、あくまでも積極的真実発見義務が無いだけで、嘘を言ったりすることは許されないという消極的真実義務は弁護人にはあります。ですので、嘘を述べるわけでなく、証拠不十分として公判において主張するのみです。 ですので、反倫理的という表現はあまりそぐわないと思います。 弁護士職務基本規定が制定される前までは、弁護士倫理なる規定が存在していました。その9条において「弁護士は、被疑者及び被告人の正当な利益と権利を擁護するため、常に最善の弁護活動に努める」と規定されていました。しかし、そのように言うと、弁護人は、被告人の依頼が「正当・不当」を判断しなければならないかのような誤解を生じかねないとして、弁護士職務基本規定46条において、「弁護士は、被疑者及び被告人の防御権が保障されていることにかんがみ、その権利及び利益を擁護するため、最善の弁護活動に努める」として、「正当」な利益という表現を改めています。 何が正当か不当かというのは、裁判所の判断することであって、このことから、「正当」という言葉が削除されたものと思われます。 その意味で、弁護士は被疑者及び被告人の利益のためにのみ活動すると思います。 社会的正義の実現が要請されているのはあなたの仰るとおり、検察官です。 なぜ積極的真実発見義務が弁護人には要請されないのか、それは被告人に黙秘権(憲法38条1項、刑事訴訟法311条1項)が保障して、真実義務を否定し、かつ、弁護人依頼権を保障した当事者主義(刑事訴訟法256条6項、同298条1項、同312条1項等、訴訟追行の主導権を当事者に委ねるという建前のこと)の下では、弁護人に積極的真実発見義務を負わせれば、弁護人が付いた被告人が弁護人がいないときよりも不利になり、背理ですので、弁護人に積極的真実発見義務はないとされています。 少し砕けた表現をすれば、当事者主義が原則である刑事訴訟においては、被告人は圧倒的に不利であり、そのため弁護人がいるのですから、検察官と一緒に被告人を糾問するような裁判をすればかえって、弁護人がいないほうが良かったなどのことがありえるからです。 弁護士の任務として弁護人の司法に対する協力義務が説かれることがあります。しかし、弁護人が被告人に対する任務を全うすることが、結果的に刑事裁判の目的に適い、公的意義を有するのであって、被告人に対する任務を離れて弁護人の公的義務がある訳ではありません。 弁護人は誰からも見捨てられた(見捨てられてきた)被告人を、たとえ世界中の人々から「悪魔の代理人」と非難されようとも、断固として護る者、それが弁護人だと思います。 ご参考までに。
その他の回答 (1)
弁護人(士)の任務は、被告人の自己弁護権(防御権)を実効的なものにすること、被告人の利益を擁護することであり、それに尽きます。 あなたがおそらく言いたいのは、裁判所や検察官の真実発見に協力する義務という、「積極的真実義務」があるかどうかについて聞いているのであると推察いたします。 このことを前提にすれば、回答は「いいえ」です。 なぜなら、弁護人に積極的真実を負わせれば、弁護人がついた被告人が弁護人がいないときよりも不利になり、背理だからです。 又、日本弁護士協会の弁護士職務基本規定82条において、「5条(真実尊重義務)の解釈適用に当たって、刑事弁護においては、被疑者及び被告人の防御並びに弁護人の弁護権を侵害することのないように留意しなければならない」と規定し、弁護人に積極的真実義務がないことが明文化されています。 例を挙げると、被告人が弁護人に犯行を告白し、弁護人も被告人が犯人であると確信している場合、被告人が無罪となるような弁護活動の可否が問題となりますが、争いあるも(色々な説がありますが)、学者の多数説は、弁護人も被告人が犯人であると確信する場合であっても、刑事訴訟においては法定の手続において証拠能力ある証拠(刑事訴訟法317条、333条1項)により、合理的な疑いを超える程度に被告人の罪が証明されて初めて有罪とされるのだから、そのような証拠が公判廷に提出されていない場合、証拠不十分による無罪を主張することは、なお正当な弁護権の範囲に属するとして、無罪主張肯定説が主流です。 私も概ねこの考えが正しいと思います。 過去、弁護人を降りたことについては、良くわかりませんのでご勘弁ください。 参考になればと思い書かせていただきました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 参考になりました。 添付頂いた弁護士職務基本規定のなかで、「弁護士は基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする」とありますが、挙げて頂いた例の場合ですと、被告人の人権が社会正義より優先することが主流の考えということでしょうか? そうであれば、弁護士という仕事は構造的に反倫理的な側面を持っているように思えます。 場合によっては殺人者を庇って無罪にすることを使命として求められ、またそれが手柄や報酬につながるということですよね。それでは、強い正義感を持った人にはかえって不向きな職業のように思えます。むしろ能動的に公訴を行う検察官の方が社会正義を実践しうる立場に思えます。 立場変われば言う事も変わるのは、サラリーマンの世界も同じですし、だからどうということでもないのですが、弁護士という職業が高い社会的尊敬を受けていることには違和感を感じます。
お礼
ご回答ありがとうございます。よく分かりました。 弁護士という職業はそれ自体で自己完結しているものではなく、司法のシステム全体の中の役割として理解しないといけないということですね。 弁護士の方に失礼な表現をしてしまったことを反省しています。 それでもmikichi07さんの識見に甘えて、感想を書かせて下さい。 弁護士には積極的真実発見義務がないということですが、実際は裁判の調査を通じて、事件について詳細な情報を得る訳で、場合によっては被疑者から本人しか知らない告白を受けることもあるわけですよね。 また、情緒的な書き方をすれば、悲しみに暮れ、不幸に貶められていく被害者や遺族の実態も目の当たりにしなければならないですよね。 勿論、だからといって被疑者を糾弾するのが弁護士として正しい姿勢でないことはご回答でよく理解できました。 でも弁護士の方には、せめて裁判所の外では、被疑者に対して罪を認めることを説得する立場であってもらいたいと思います。 弁護士は高度な法律的知識や論証技術を持っているのは間違いないでしょうが、それを必ずしも自分の信念や、信じるもののために行使できるとは限らないところに、職業的な悲しさがあるように思いました。