日本の異常な刑事裁判の有罪率?
日本の第一審有罪率は99.9%(事実上世界一)であり、これは検察官により起訴された事件の1000件に1件しか無罪とならないということを意味します(掲載司法統計を参照)。もしこれが日本だけではなく先進諸国でも同様であればそれほど違和感はないことでしょう。ちなみに、米国連邦裁判所制度の下での有罪率は、1972年から1992年の間において約75%から約85%でした(Sara Sun Beale, Federalizing Crime:Assessing the Impact on the Federal Courts, 543, Annals of the American Academy of Political and Scoial Science)。特に、各州の有罪率は、テキサス州で84%、カリフォルニア州で82%、ニューヨーク州で72%、ノースカロライナ州で67%、フロリダ州で59%でした (Peter J. Coughlan(Jun.,2000) In Defense of Unanimous Jury Verdicts: Mistrials, Communication, and Strategy Voting, 94, The American Political Science Review, pp.375-393)。次に、英国国王裁判所での有罪率は、80%、中国約98%程度、旧ソ連ですら約90%超であり、日本の刑事裁判における有罪率99.9%は歴史的・統計的にも異常値であると言えます。なお、最近のパレスチナ人に対するイスラエル軍事法廷の有罪率は、99.74%であり、これですら日本の第一審有罪率には及びません(Donate, an independent journalist from Israel & Palestine on March 14, 2010)。具体的な数値は不明ですが、様々な情報を総合すると、ナチスドイツの刑事裁判における有罪率すらも99.9%にははるかに及ばないと推定されます(ナチスドイツの有罪率は99.5%と推定される。
この点、先進諸国の刑事法学者の多数も疑問を抱いています。また、時々報道されるように米国政府が自国兵士を日本の刑事司法に委ねることを躊躇する一因もこの点にあると思われます。ところで、以前に法科大学院に在籍していた時に、米国政府からも重用されている米国アメリカン大学ロースクールの教授Jeffery Lubbers氏にこの問題に関する質問したところ、苦笑して「99.9%の有罪率は旧ソ連の裁判所並みだろう・・・」とのご意見でした。
外国人のみならず日本人の多数もこの問題に疑問を持っています。「Yahoo!みんなの政治」に新党大地の代表・鈴木宗男氏の「検察が正義でなく、正義は国民が判断する」というコラムでこの点が触れられています。同氏は、「国民が気をつけなければならないのは、裁判所は「法の番人」でなければなりませんが、現実は裁判所は検察の言いなりになることがほとんどだということです。有罪率99.9%は、ほぼ100%ということですが、この数字が裁判所が検察の言いなりだということを証明しています。なぜ言いなりかというと、司法官僚同士の一体感というのはとても強く、「判検交流」といって、裁判所(司法)と検察(行政)の交流人事というのがあり、同じ村の仲間だからです。したがって、日本では、3権分立が成り立っているのかといえば、極めて疑問に思います。」と意見を述べておられます(http://seiji.yahoo.co.jp/giin/rev/detail/index.html?g=2009000469&s=0&d=3&r=42)(ちなみに、この見解に対する賛否は、賛成487件、反対35件で圧倒的に賛成が多い)。また、(http://news.goo.ne.jp/hatake/20090529/kiji3341.html?disp=all)のアンケートも参照してください。
確かに、日本は三権分立制を採っており、司法・行政・立法は相互に抑制・均衡することで各府の暴走を抑止し、適正な権力運営を図っています。したがって、第一審有罪率99.9%なのに検察の慎重な判断の積み重ね結果だから問題がないというのは事実上三権分立の実効的機能を無視するものです。逮捕状発付率、起訴猶予率及び第一審有罪率を総合的に考慮すれば、日本では事実上有罪無罪の判断を検察がしており、裁判所はその事後的承認機関と化していると言っても過言ではありません。司法と行政相互の抑制均衡機能が実効的に働き、司法の独立が維持されれば、検察と裁判所は相互に独立した判断をしている以上、第一審有罪率が99.9%になることなどあり得ません(法曹三者が一元的に司法研修所で教育を受け、法曹官僚として一枚岩であるからこそ高度の一体性と見解の一致を見るのです)。
この点に関し、ハーバードロースクールのJ. MARK RAMSEYER教授とインディアナ大学ビジネススクールのERIC RASMUSEN教授は、日本の裁判所の異常に高い有罪率に関し、共同論文「Why Is the Japanese Conviction Rate So High?」(英語論文)(http://ideas.repec.org/p/wpa/wuwple/9907001.html)の中で、「検察官が過度に人手不足であるので最も有罪になる可能性が高い事件のみを起訴し、裁判官は明白に有罪になる被告人のみを裁判していること」及び「裁判官は行政府により再任されるので無罪判決を出した裁判官はその後の出世において不利に扱われ、裁判官は事件を有罪にするように偏重した動機付けを与えられていること(特に国策起訴においてはこのことが顕著である)」の2つを挙げています。
上記ハーバードロースクールの論文が挙げる日本における有罪率99.9%の2つの原因のうちの1つである「検察官が過度に人手不足であるので最も有罪になる可能性が高い事件のみを起訴し、裁判官は明白に有罪になる被告人のみを裁判していること」は、日本政府も自ら認めている原因であり、日本政府は、むしろ有罪率99.9%を正当化する理由として当該原因を引用しています。すなわち、日本政府は、検察庁(行政府)が事実上刑事司法における有罪・無罪のスクリーニングを行っている点を認めていながら、司法府と行政府との間のチェック・アンド・バランスが十分に機能していると主張し、自己矛盾を生じている訳です。しかしながら、検察庁(行政府)が事実上刑事司法における有罪・無罪のスクリーニングを行っていれば、刑事司法における判断裁量は行政府(検察官)にあり、司法府と行政府との間のチェック・アンド・バランスが十分に機能しているとはいえず、三権分立が形骸化していると解するのが自然です。
ところで、司法府と行政府との間のチェック・アンド・バランスが現在の日本の状況と酷似し、裁判所の判断が行政の強力な影響下に置かれ、司法及び裁判官の独立が形骸化していた典型的な社会はナチスドイツ政権下において見られました。ナチスドイツ政権下の裁判所は、ほとんどヒトラー政権の傀儡裁判所と化していたのです。ナチスの例を考えれば、検察庁(行政府)が事実上刑事司法における有罪・無罪のスクリーニングを行い、刑事司法における判断裁量を握っていることの危険性を理解できるはずです。実際、最近では、過去の冤罪がかなり暴露されており、こうなると検察官の判断の慎重さも疑わしいところです。
お礼
それはないです。証拠のない事件も多いです。検事も裁判官もマスコミもお仲間という恐ろしい事実があるのです。