それよりも、もっと根本的なことから理解するほうが早いでしょう。
人間というのは目的がはっきりしていないと集中できないものなのです。つまりいかに勉強しなくては、と思っても、その目的が曖昧だと実にはならないという事です。
もっと分かりやすくいうと、あるマラソンランナーが走っていたとして、ただひたすら走っているだけでは到底良い記録が出るはずもありません。ここで必要なのは、どこまで走るのか、どの程度のスピードを維持すれば良いのか、といった情報なのです。貴方は、ただ走って来いと言われてイーブンペースでどこまでも走れますか?絶対無理です。フルマラソンで言えば、距離は42.195km、時間は世界記録、もしくは2時間ちょっと辺りがターゲットになりますが、それらがはっきりしていて、初めて力が出せるのです。
話を戻すと、兎に角勉強しなくちゃ、というのは兎に角走らなきゃ、と言ってると同じです。
もう一つ例え話を。
貴方は円周率を見せられて、さあ覚えろ、と言われたとします。一方私は20行覚えたら100万円あげようと言われたとします。どっちが多く桁を覚えている可能性が高いと思いますか?貴方は覚えようと努力はするでしょう。でも私は20行だけそれこそ必死に覚えようとするでしょう。恐らく私のほうが結果は良いと思います。これも目的意識の有無の差なのです。
さて、勉強というのは評価をつける手段と見なすのが適当でしょう。(心底勉強が好きだという変人は別でしょうけど)手段は目的には成りえません。即ち、いくら手段に取り組もうと考えてもほぼ無駄というべきです。必要なのは目的です。
では貴方が勉強する目的はなんでしょうか?良い点とりたい?いい学校に行きたい?誰かに自慢したい?何かあれば上等ですが、問題はそれを達成しようとする意識の程度に掛かっているのです。先ほどの100万円の話と同じで、何が何でも達成してやるぞと思えば、どうやったら勉強が捗るか、などという間違った結論には至らない筈です。なぜなら勉強は手段なのですから。本当に目的への達成意識が高ければ、自然に集中力は高まります。そう、円周率20桁程度は完璧に暗記できる程度に。それが出来ないなら、それは寧ろ目的の方が弱いからなのです。
つまり、結論としてはまず、目的をしっかり定め、かつ本当に自分がやりたいという気持ちになれることが必要なのです。それ自体は何でもいいのです。
因みに私の場合はこの2ヶ月がんばれば大学であと4年働かずに遊べる、という一心で大学受験の勉強をしました。誰にも言ってないですがwこの時は気付いたら朝だったという日が結構ありましたね。それだけ集中していたということです。結果はいうまでもありません。