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《壁にぶつかるからムリ・・・》
●投稿15回目・・・・《5000時間仮説》と呼ばれる《仮説》があります・・・誰でも《5000時間》ひとつのことを練習すれば、そのことに《熟達する》考えです・・・けれど、この考えには疑問があります。例えば《ピアノ》・《スポーツ》・《英会話》を続けている人でも途中でやめてしまう人が多いからです。何故やめるのか、一概には言えないのですが・・・《壁》にぶつかる、《壁》にぶつかってしまうからやらなくなる、やらなくなるから《続けられない》・《5000時間仮説》は、難易度高くないですか?
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スポーツなどはある程度続けていれば 素人などよりは上手くなります。 筋肉の発達の度合いから考えれば だいたい三ヶ月で効果が出るのが 普通です。 そんで、直線上に進歩はしません。 あるレベルに達すると、進歩が止まって しまいます。 スランプの一種です。 色々やってその壁を乗り越えると、 再び進歩が始まります。 そしてあるレベルに達すると進歩が 止まります。 これが繰り返される訳です。 そして、あるレベルに達すると、それ以上は 何をやっても進歩しなくなります。 年齢も加わって、退化するようにさえなります。 この壁の原因は色々ありますが、一番は素質 でしょう。 素質がある人は、その最後の壁が遠い訳です。 素質が無い人は、最後の壁がすぐにやって来ます。 素質の他には、その人の練習の仕方、考え方 よいコーチに巡りあうことができたか、等々 がある訳です。 私の経験では、考えないで、ただ闇雲に練習を するだけ、てのはダメですね。 スポーツで言えば、5000時間も掛からないと 思います。 一日数時間の練習で2~3年もやれば、結果が出ます。 私は学生時代は運動部にいましたが、120人入部して 卒業まで残ったひとは4人だけでした。 これは進歩しないから面白くなくなった、というよりも もっと他に楽しいことがある、と考えた人が多かった からだと思っています。
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- kanto-i
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5000時間仮説は始めて聴きましたが、一万時間理論なら以前からよく聴いてました。 やめるとか難易度とか関係なく、真摯にやっていく中で自分が高められる過程だと思います。 好きなこととか、是が非でもやり抜きたいことなどは 人間として熟達するのに、そのくらいかかるものだよなと体感から理解できます。 人間の成長は、そのくらい時間をかけてゆっくり進んでいくもの。 本人が物にしたいものがあれば、そのくらいは打ち込めると思います。
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ご回答ありがとうございます!・・・実は、僕の知っている範囲だと、小さい頃から《ピアノ》を始めたのに《現在》は昔に比べてあまり練習しなくなった人を知っています・・・なぜ、《幼少》の頃から《ピアノ》を始めたのに途中で続けなくなるのか?・・・なぜ、《英語教材》を高額な料金で買ったのに途中で聴かなくなるのか?・・・疑問に思い《質問》する事にしました・・・
- kanakyu-
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時間を多くかけることは、必要条件だけど、十分条件ではないとは思います。 何故やめるかは、他にやることがあり、そちらに気がいってしまうからかな? 私は飽きっぽいし、しょっちゅうそんな感じです。 好奇心強いからあれこれ手を出しちゃうし。 器用貧乏系かなと思います。でも本人的には楽しいのでOKです。 しばらくしてから思い出して、また始める、そのくり返しです。
お礼
ご回答ありがとうございます!・・・『時間を多くかけることは、必要条件だけど、十分条件ではないとは思います。』・・・僕も同じような事を考えていました。不思議と時間を多くかけているのに、なかなか《上達》しない人もいます・・・
- ukiyotonbo
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何を続けるかですね。毎晩やって、一回1時間位でしょうが、女性の都合でできない週もあったりですから、20年で5000時間ですかね。 しかし、こういうことはテクニックを磨いたり、パートナーを変えていろいろな人と経験を積んでこそ熟達と言えると思いますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます!・・・《うきよとんぼさん》の『毎晩やって、一回一時間位』という意見は、やはりそのぐらいが、丁度いいのかもしれません・・・そして『パートナーを変えていろいろな人と経験を積んでこそ熟達と言えると思いますよ。』という意見は参考になります・・・
5000時間の仮説、私はなんとなく分かります。 私はピアノのセンスがなく、子供の頃は嫌々続けていました。 が、長く続けていると何かの拍子にやる気が出ることもあります。 そうすると積極的に練習したり、できないテクニックをどうすればできるようになるのか 自ら研究したりします。 なので波はあっても5000時間も一つのことに携われば熟達まではいかなくても その物の全体像が把握でき、その中で自分はこれができて、これは理屈では分かるがやるとできない、 など自分がその世界でどの程度できているかがわかるようになると思います。 また5000時間もやれば壁にぶつかり、それを何度も乗り越えているので、 「あ~また壁が出てきた、よし頑張って乗り越えよう」と自分の気持ちをコントロールできるようになる気がします。 ただ他の方もおっしゃるように最初から5000時間やれば熟達すると考えるのは愚かですね。 そうすると内容もなく、何も考えずに、ただ5000時間消化するおバカな人が出てきそう。 ある程度できるようになった→かかった時間を計算したら5000時間くらいかかったかな こっちが正解。
お礼
ご回答ありがとうございます!『5000時間も一つのことに携われば熟達まではいかなくてもその物の全体像が把握でき、その中で自分はこれができて、これは理屈では分かるがやるとできない、など自分がその世界でどの程度できているかがわかるようになる』という意見は、面白いと思います・・・続けている人にしか分からない部分は沢山あるのですね。
- airi_kashii
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哲学でも何でもないですな。第一、人間を5000時間継続していても熟練しているかどうかは 全く別問題だからです。また、5000時間という習熟のための時間のみに囚われるのは、 目的と手段を履き違える愚か者に、多い傾向なのです。
お礼
早速のご回答ありがとうございます!やはり《5000時間仮説》は信憑性はなさそうですね・・・
お礼
ご回答ありがとうございます!・・・『あるレベルに達すると、進歩が止まってしまいます』・・・この部分は、僕も同じ事を考えていました。《進歩が止まる》から《壁》にぶつかる人が多いと感じていました・・・『素質の他には、その人の練習の仕方、考え方』・・・《練習の仕方》や《考え方》でもやはり差がつくと思います。そして相手がやめてしまう理由は他にも色々あると思います。例えば・・・《相手と比べて自分の方が下手だった》等・・・