- 締切済み
大学のシステムを無くしたら世の中良くなるんじゃね?
就職の際、大学ブランドが有利に機能したりすると思いますが、貧困家庭等の経済格差問題や教育格差問題ってあると思います。 生まれながらにスタートラインに差があるの不公平は良くないと思うのは、皆さんも同じでしょうが。。。。 私は、ふと、大学の存在意義について考えたました。 就活戦争で勝ち残る為に大学が存在するのは、大学の役目としては違うのでしょう。 その役目を維持するかの様な社会構造にこそ、問題の焦点を当てるのが妥当し、そうであれば、問題は企業にある訳でです。 おそらく、企業が、求める人材は、”不器用にも努力して学習成績を残した者”よりも 、”即戦力になる者であり、会社で覚えるべき事について飲み込み早く覚えられる人”であると思います。 極論すると、会社は労働者の脳の思考回路に価値を見出してる訳であり、大学等のブランド性を求めたい訳では無いと思います。 結果として、大学という登竜門で労働者の審査にフィルターをかけてるのだと言えるのではないでしょうか。 で、あるならば、大学は、その存在価値自体を疑われます。 大学で学べる事は恐らく、図書館やインターネットを利用しても学べると思いますから、 極論すると大学の存在価値(経済的な視点において)は、大学内部で行われる研究内容とか、論文のデータベースに価値があるという事になると思います。 で、あるならば、大学の必要なそのカテゴリだけを抽出し、もはや大学を無くすという指針もありではないのかと思うに至る訳です。 前述した様に、企業が求める人材が、不器用にも努力して学習成績を残した者”よりも 、”即戦力になる者であり、会社で覚えるべき事について飲み込み早く覚えられる人”という人の思考回路に価値を見出すのであれば、 大学で学んで能力を身につけた凡人よりも、大学を経由せず独学で能力を身につけられる様な柔軟な脳を持った人が選ばれる筈であると思います。 そのフローが、経済社会上の効率が良いとすれば、大学の存在はいらなくなります。 大学に必要なのが、大学で行われる研究や論文データであるのなら、 大学への入学試験に合格した者は、大学に通う権利が得られるシステムではなく、 研究や論文データの情報にアクセスしたり、情報の編集に関与できるライセンスだけが得られる様になシステムにしてしまった方が、効率的ではないでしょうか。 現在、有名大学以外の定員は平均半分程割れてますので、既存の大学建造物を維持するのに、割に合わない社会的な経済コストが掛かってると思います。 それらは少子化の問題なので、大学のあり方について問題視するのは筋違いなのですが、結果的には国は投資効率の悪くなってる事に投資してる訳でして、 それはいわば、私たちの血税が非高率な投資に使われてる訳であり、政府を敬えないのです。 大学も政府も非効率を改善しなければならないが、そういう気配は見られません。 大卒ニートが増えてる現状ありますが、これは”不器用にも努力して学習成績を残した者”が大勢いるからだと思います。 大学に行かなければマトモな所に就職できないのだと親は思い、子供に、塾等に活かせたりして、努力を強制したりすると思います。 親は子供に 金を投資した感が強い故に、子供は将来、公務員とか、そこそこ良いとこに就職しなければいけないという義務感、あるいは強迫観念を得るかもしれないとすると、 現代社会では必然的に、勉強の得意でない子供へのプレッシャーが大きくなり、勉強が不得意な子供程、努力してしまうかもしれないです。 努力を他者より一歩先んじてやってしまう環境を提供するのが、タトエバ塾の存在ですが、それを多くの人間が利用してしまえば、社会上必要とされる成績の要求度が高くなると思います。 他者より成果を出したり、全体平均を超えなければ、俗に言う優良大学には合格できません。 多くの子供が平均越える為に努力し、皆が全体平均を越える為に頑張ってしまうと、その努力の量に応じて平均ラインは上がっていくと思いますので、社会が求める努力の要求度は、現代人、あるは後世の人ほど、大きくなる事が推測できる。 その際、頑張りすぎてしまう子供が生まれてしまうのであれば、将来、大学出て就職する頃には人生に疲れはててるのではないかと思います。 就活で失敗すると、才能ある人より、多くの努力をしている分、それが報われない不条理に絶望するとするなら、大卒ニートが多い原因について、私は納得できます。 多くの人より努力してきたからこそ、アルバイト等の低身分な職種で一生終わるのにはプライドの問題で妥協でないでいると、その社会的経済損失は大きなものではないだろうか。 塾を無くしたり、大学(芸術系やらは無くせないかも)を無くしたりしたら、経済社会的には効率的になるのではないだろうかと思うのです。 既存の大学システムを全を無くせ!とは言いません。 天然記念物として、有名な、東大、早稲田、慶応だけ、(芸術や農業の専門的な大学は実技があるのであってもよい)を残し、それ以外の平凡な大学は研究以外の分野を破壊して、活動範囲をスリム化した方が良いのではないでしょうか。 その際、大学内部に余る施設は、民間に開放して、商業施設にしてしまうとか、そこから大学側がマージンを得るとか得ないとか、したらいいのじゃないかと。そこから大学の維持費を捻出し、国は支援しなくて良いとすれば、私らへの負担はないでしょう。 大学が無くなって教育者は路頭に迷うという問題ありますが、学があるのだから、その学を別分野に活かせる事もできると思います。 あるいは国が大学を維持する必要が無くなるだろう経費から余剰として余だろう金を、リストラされた教師に与えて救済したり、職業訓練させる事もでしょうから、恐らく、なんとかなると思います。 このやり方について重大な問題性があったら教えてください。
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- staratras
- ベストアンサー率41% (1498/3648)
>既存の大学システムを全を無くせ!とは言いません。 天然記念物として、有名な、東大、早稲田、慶応だけ、(芸術や農業の専門的な大学は実技があるのであってもよい)を残し、それ以外の平凡な大学は研究以外の分野を破壊して、活動範囲をスリム化した方が良いのではないでしょうか。 極めて長文のご質問にはさまざまな内容が含まれていますので、最後の方にあるこの結論的な部分を検討して見ました。ご提案の問題点は現実の社会で大学が果たしている機能のごく一部しかカバーできないのではないかということです。 例えばご提案でも少なくとも小中学校は廃止しないのでしょうから、この先生が必要です。教員には子どもを扱う適切なノウハウを含む専門的な知識が必要で、現場での実習も必須なので専門的な教育が必要です。もちろんこれは必ずしも大学で行う必要はありませんが、図書館やインターネットなどだけで人と直接対面せずに学べる性質のものではないので、大学を廃止すれば昔の師範学校のような学校を新たに作り出す必要が生じます。医師・薬剤師なども同様で、戦前のように医専(医学専門学校)や薬専(薬学専門学校)を作ることになるでしょう。 医学・薬学や農学だけでなく一般に工学・理学など理系の分野は実験や実習が必要なので、インターネットなどバーチャルなものだけではすべてを学ぶことができません。また文系でも例えば歴史学で古文書を読もうとすれば現物の史料に直接あたる必要があり、そのノウハウを学ぶには現物を前にして先生から直接教えてもらうのがもっとも現実的かつ効率的です。つまり大学と呼ぶかどうかは別としても何らかの学校(のようなもの)は必要で、ご提案の(大多数の)大学廃止論は結果として学校の看板の掛け替え(○○大学工学部→○○工業専門学校など)に終わってしまうのではないかと思います。 また研究の分野を残すのであれば、大学院(のようなもの)は存続させる必要がありますが、高校までと大学院(のようなもの)からは学校があって、途中の大学部分だけ学校がなく、「図書館やインターネットを利用して独学でどうぞ」というのはどう考えても非効率的で不親切です。 現実の大学のあり方や大学への国の補助には無駄や非効率的な部分も少なくないことは事実だと考えますが、だからといって(大多数の)大学を廃止すれば、社会がより利益を受けるかといえば、そうとは言えないでしょう。
- key00001
- ベストアンサー率34% (2878/8340)
結局、「で、あるならば」と言う仮定とか、「極論」などを元に、理論を押し進めているだけですね。 そもそも大学は、本来は学研の機能です。 その代替案らしきモノは示していますけど、それが大学以上に機能する点は一切担保されていませんよ。 即ち、大学の学研機能を否定するに足る論点は皆無です。 一方、大学が就職のフィルタ機能も果たしている点については、本来は副次的です。 現実的には社会の中で、その副次的機能が広範に利用されているだけです。 大学がその機能を果たしてはいけない理由には至ってませんし、そもそもそれは大学側の問題では無く、企業側の問題です。 即ち、企業側が「優秀な人材を確保したい」と思う限り、選別は無くなりません。 現在の選別制度を廃止したところで、別の制度が構築されるだけです。 逆にいえば、歴史的は各種の選別制度が存在した中で、現時点でそれなりに完成しているのが、現在の制度です。 仮に大学が無ければ、企業側が独自に大学入試並みの学力試験を導入するなどし、その結果、大学入試のための予備校が、就職のための予備校になるだけでは?と思われます。 あるいは、現在の国際化社会においては、日本のみ大学制度を廃止した場合、企業は現状より一層、海外の大卒者に目を向けるでしょうね。 因みに世界の潮流やニーズは、大卒どころかMBA,ダブルスクール,留学など、より高次に発展してますよ。 日本だけ、その「ハードルを下げよう!」みたいな発想は・・自殺行為では?と思います。 まあ「ゆとり教育」なんてのが批判され、見直されたのと同様、まあ受け入れられないでしょうね。 また各所に多くの矛盾がありますよ。 たとえば「大学出て就職する頃には人生に疲れはててるのではないか」なんてのは、笑い話です。 そんな人材は、体力やメンタル面で、企業はハナから不要で相手にしませんよ。 日本の大学制度くらい、悠々とクリアしてくるレベルの学生しか、世界どころか、国内の社会人としても、一流レベルじゃ通用しません。 社会人として活躍するより、大学入試の方がしんどいと言うなら判りますが・・。 社会とか、世界と渡り合うと言うことをナメてるとしか思えません。 要約すれば、一部の定員割れを起こしている大学を統廃合などすれば、問題解決するのでは?と思われますが・・・。 新たに優れた制度が発明されれば、大学そのものが自然淘汰されますが、それまでは存続します。 定員割れを起こす様な大学は、現在の制度の中でもニーズが無く、淘汰されつつあると言うだけのコトでしょう。
補足
指摘ありがとうございます。しかし度々申し訳ありません。再補足になります。 ★要約すれば、一部の定員割れを起こしている大学を統廃合などすれば、問題解決するのでは? ✩統廃合するとしたら、たとえば有名でない地方大学と有名でない地方の大学が合併する事になると思いますが、そうなると問題点として、一つの地域に人口が流入し、一方の人口減少するという事になると思います。 過疎化、過密化、その流れから沸き起こるだろう地域住民の不満の声を取りまとめる必要性、改善策が必要かと思いますが、現段階の私の能力では適切な対策が見つかりません。 何らかの不公平を是正する必要性があるのでしょうが・・・。 何か良いアイデアはありませんか? ★定員割れを起こす様な大学は、現在の制度の中でもニーズが無く、淘汰されつつあると言うだけのコトでしょう。 ✩私もそうだと思います。むしろ私としては定員割れを起こさない大学について問題性がある様に思います。 たとえば、http://okwave.jp/qa/q5483844.html 格差社会というが努力したものは大抵報われているように思えるのですが? を参考して頂けると私の脳内が伝わるかもしれません。 ★日本だけ、その「ハードルを下げよう!」みたいな発想は・・自殺行為では?と思います。 ✩申し訳ありません。NO5のGIANTOFGANYMEDEさんの補足を読んで貰えると判りますが、独学を肯定させる社会構造ですので学生に求められる能力のハードルが上がってしまいます。 なんだか上記だけの補足では、恐らく私の脳内が5割も伝わらない気がする・・・ 申し訳ないですが、少し長々と語らせて頂きます。 これは私の個人的意見ですので、同感を強要するものでは無いとして判断してください。 私は大学に通った経験はありませんが、趣味が講じて友達が居ます。 この友人は大学に通う事に時間を使っていたら恐らく出会えない相手で、いろいろな要因のめぐり合わせで奇跡的に出会いました。 その人たちと過ごした時間はかけがえがなく、その時間は私を成長させたのだと実感させます。(実際に成長したかどうかは判りません。これは恐らく他人が評価するものだと思うので・・・) 恐らく大学でも同じようにその様な運命的な出会いをして友人に恵まれるのでしょう。 大学も素晴らしいと思います。 時間をバイトに費やしたり誰かと議論したりするのも、とても素晴らしいと思います。 ただ、私としては、バイトや誰かと議論する時間は大学に通わなかったとしても、増やせるもとして認識しています。 例えば、NO7のクエさんが「高校もいらないのでは?」という提案をしました。 たとえば”社会にある高校は全て通信高校だけにする”というルールを社会に定義したらどうなるかと私は考えました。 恐らく集団生活で人間性を育むという部分が欠如するが、これは通信高校への入学する際に新たな資格制度を設ければ対応できると認識しました。 たとえば、”資従業員40人以上の職場、あるいは一日40人と対峙する接客業等のバイトをする。等の行為で、半年以上務められて納税できた場合に限り、通信高校への入学が可能となる”等のルール設定です。 その際、”未成年が得る収入については、半分を企業に返却しなければならない”というルールを設定したりすれば、企業の理解を得られるとして とりあえず企業は”同意する”と仮定してみる。 未成年が職場で働く結果として、従業員の定員オーバーでリストラされるかもしれない人が現れるので収入の半分はリストラされた従業員への救済として充てがうとして、それで理解が得られるととして とりあえず従業員は”同意する”と仮定してみる。 子供はバイトという時間にて、誰かと知り合う機会に恵まれるする。 その人脈は学生生活で表現するところの”青春”とは違うかもしれないが、何らかの意義ある青春になるのではないかと期待します。 たとえばバイト先の仲間に大人が多ければ、中卒の段階で大学卒の人達と意見し合う様な議論めいた事もできるかもしれない。 インターネットの使い方を教えてもらったりして、大学生が集まる交流サイトを教えてもらえたりすれば、もっと多くの大学生と議論できるかもしれない。 「適者生存で、出来る人限り」の社会構造は変わらないと思いますが、しかし、もし中卒段階で、ネットを含めて多様な人と交流し、将来的な進路を早い段階から研究できるのであれば、将来の失敗を犯すリスクを多くの人が軽減できるかもしれないと思います。 たとえば、URL先で東大卒ニートの項目で示した様に、目指す大卒からの就職状況の状態を把握したり、先輩たちの進路選択にて失敗した意見を参考にしたりして、時代の悪い流れを早期に対応していけるかもしれない。 私個人としては、多くの人と絡み合いながら構築される社会が魅力的で刺激的で、そうなるなら、是非とも中卒時代まで戻って一から人生やり直したいと思うところであります。 他人はどう思うか判らないです。 また正しいかどうかの真実も判らないですが、それが皆にとっての幸せなのではないかと、勝手に決めつけてます。 実際問題として、”高校を全て通信にする”という案は間違いです。。 やはり大学と同じく学校そのものが実技の役割を担う様な体育系、農業系、芸術系、音楽系、工業系、家政科系は多くシステム改変せずに、既存のままが良いと思う。 それ系の学校であれば、恐らく人間関係も育めるかな?と思うので、バイト経験を入学資格として義務化する必要は無いかもしれない。 語りが主題から脱線して申し訳ありません。脳内整理のメモ変わりとして、補足欄を消費してしまいました。 要約すると、「この案どう? イけてない? イけてないなら問題点を指摘して私の夢見がちな思想を破壊して私を楽にしてください。夢を諦めて溜まったアニメが見たいです。しかし、もしイケテルなら皆で一緒に共通の夢を見たい!」です。 申し訳ない。今頃になって自分の本意が文字化できた様です。 案としてはまだまだ不備がある様子です。 key氏の仰る以下の内容が全く読解できてない私は、まだまだ能力不足です。 「そもそも大学は、本来は学研の機能です。 その代替案らしきモノは示していますけど、それが大学以上に機能する点は一切担保されていませんよ。 即ち、大学の学研機能を否定するに足る論点は皆無です。」 上記の内容について私はどこから解釈していけばいいのか皆目検討もつきません。 たとえば、学研の機能の社会的優位性は、どういうものが挙げられるでしょうか? 今時点で既存の大学にしかない優位性で、その類似する優位性を大学以外のシステムからから流用も転用もできないものについて、どういうものが挙げられますか?
- tounyu_danshaku
- ベストアンサー率35% (45/128)
根本的な問題として、ある程度のレベル以下の大学が大学としての機能をなしていない、ということですよね。その考え自体は概ね賛成です。概ね日本のMARCHより低い大学は正直教育機関としての価値はゼロに等しいでしょう。 ただ、それでも大学というのは今後も残り続けるシステムなのです。なぜか、そこには利害、つまり大学の恩恵を受ける、もしくは大学がないと困る人がいるからです。 例えを言うならば、健康に悪いからコーラを廃止しよう、という提案と同じです。すでにそのシステムが社会に盛り込まれている以上、それをなくすのはとても大きなエネルギーが必要です。企業からの批判も、消費者の批判も大きいでしょう。需要あるからこそ供給があるのです。 ちなみにですが、 >結果として、大学という登竜門で労働者の審査にフィルターをかけてる その通りでしょうけど、間違っていますか?企業も効率のよい採用活動を心掛けています。「有名大卒だから優秀だ」、なんて誰も思いません。「有名大卒さえも受からなかったのだから、検討するだけ無駄」という発想です。それは極めて合理的な発想ではないでしょうか。 少しでも参考になれば幸いです。 sakudrada31様の見解お待ちしております。
補足
おっしゃる問題点は、いわば私の案じたシステムの問題性でなく、そのシステムを受け入れられない社会の問題性について指摘してる様に思いました。 再度補足で申し訳ありませんが、私の案じたシステムを社会にて適応した場合において有り得る問題性を指摘して頂けないでしょうか?
- kque
- ベストアンサー率17% (27/154)
その論拠であれば、高校もいらないのでは? 大学って人生において自由に過ごせる数少ない貴重な時間です。 学問するもよし、バイトするもよし、仲間と議論するもよし 就職するためだけにあるのじゃないよ。成長の場です。
補足
確かにその通りです。実は高校システムも何らかの改善が必要だと検討している最中です。 ただ、いきなり全てを変革しようするのは、問題が様々生じますし、情報が多過ぎると政治的にどこから手を加えて良いのか判らずに混乱に至ると思います。 なので今時点では高校の問題についてはスルーして考えています。
- opheart08
- ベストアンサー率23% (19/81)
その結論に関してなのですが、 まだ結論付けはせずにもう少し考察する材料を探して貰い 改めて再度考察する事をお勧めします それとご存知かも知れませんが、 「何かのせい」など、問題点をピックアップする批評家のような 行為はNGとなります。 また、物事とは全て必然性があるので過去のことを肯定して受けとめられる 度量がないとこの問題の正確な結論は出ないですよ (これは人間も国も同じです)
補足
★少し考察する材料を探して貰い、改めて再度考察する事をお勧めします ✩タトエバ、どういう材料が考慮するのが妥当だと思いますか? 私はこの案に辿り着くまでに1年程集中的に政治経済と人々の動きを研究しました。 最低でも6000時間は費やしたと思いますが、そのせいか、予め学ぶべきことは思い当たらない状況にあります。 なので「この手段以外に世の中をマシにする術は無い」と確信しての質問事項と解釈して頂きたいと思います。
- GIANTOFGANYMEDE
- ベストアンサー率33% (539/1630)
スタートラインから間違っていませんか? 就活における学歴フィルタは当然の話です。 ・企業はより優秀な人材が欲しい。 ・人材選びも経済活動の一環であり、効率的に行う必要がある=余計な経費は掛けられない。 ・入学偏差値に差がある場合、より高い偏差値校の学生はより優秀な学力を有する。 ここまではいいですよね? この前提には差別的なことは含まれていません。 そして、上記三点から、企業が採用試験の一環として大学の入学偏差値を筆記試験の一部として援用することは理に適っていると言えます。 ご質問の前段の論旨は、その学歴を獲得する過程で経済格差や教育格差が影響しているというのを問題視されているのだと思いますが、それは真実ではないと思います。 まず、経済力は塾や予備校などの教育機会を指していると思いますが、東一早慶入学者のうち、かなりの数は塾や予備校に行っていません。学力優秀な人間は幼稚園・小学校段階から理解力が高いので塾や予備校を必要としないのです。 息子の周りでも、東一早慶クラスの入学者の半数は塾に通っていませんでした。 逆に、MARCHクラス以下Fラン大に至るまでの入学者で塾に通っていなかった子は皆無です。 ですから経済格差が学歴獲得に影響しているというのは違います。 これは学力が低い人間が、自己の怠慢や能力不足を親の収入に責任転嫁しているだけの欺瞞です。 次に貧困家庭の教育格差ということですが、これはそもそもそういった家庭の親はDQNが多いので仕方ないのではありませんか?これを無くすには、DQNには家庭を持たせない、子どもを産ませないという方法しかないと思いますが、さすがに現代日本でそれは出来ないでしょう。 馬鹿な親の元に生まれた子は愚かな育て方で教育されるしかない。 平等の名の下に。 だから生まれながらにスタートラインに差があるのは不公平ではなく公平な世の中だからそうなるのです。 > 極論すると、会社は労働者の脳の思考回路に価値を見出してる訳であり、大学等のブランド性を求めたい訳では無いと思います。 その通りです。 たとえば学歴枠を用いないと宣言したソニー。かつては○○大から何人、△△大から何人といった平らかな採用をしていました。そして学歴枠廃止後、かえって東工早慶出身者の採用比率が増えています。今や内定者の半数以上が東工早慶で占められています。 要するに人物本位で見てしまったら、単純に高学歴の方が優秀なのです。 公平にしたら、あなたの言う不公平(見かけ上の学歴差別)になってしまった。 こうなると何が学歴差別なんだか判らなくなります。 旧式の東一工早慶から10人、MARCHから10人、日東駒専から10人という方法。 現在の学歴枠撤廃式。 旧式は、本来なら採用された優秀な東大卒が落ち、下の大学から優先的に採用された。 現在は、下位の優先枠が無くなり、受験者みんな平等にしたら上位に偏った。 私には旧式の方が差別的だと思えますが、如何ですか? > 大学で学べる事は恐らく、図書館やインターネットを利用しても学べると思います あなたは大学生ですか?大学生だとしてどのレベルの大学ですか?ちゃんと学校に行ってますか? この一文は設問そのものに対する質問者の知的レベルに一定の疑念を抱かせるものだと思います。 > 極論すると大学の存在価値(経済的な視点において)は、大学内部で行われる研究内容とか、論文のデータベースに価値があるという事になると思います。 あなたが思う大学の有り様が完全にあなたの偏向フィルタを通したものなので、この定義は間違っていると言わざるを得ません。 > 研究や論文データの情報にアクセスしたり、情報の編集に関与できるライセンスだけが得られる様になシステムにしてしまった方が、効率的ではないでしょうか。 社会のこの部分をあなたが言うような効率的なものにしようと思ったら、前述したように、DQNは婚姻禁止、出産禁止にしたほうが断然効率的だと思います。 この辺りからご質問の論旨が変わっています。 当初は経済格差、教育格差を問題視していたのが、Fラン大を公的支援することの是非になっています。 いったいどちらを是正したいというお考えでしょう? Fラン大は社会的にも、学生にとっても無駄だから無くせということでしょうか? > このやり方について重大な問題性があったら教えてください。 決定的な間違いは、おそらく「機会の公平」か「結果の公平」かどちらを目指すべきや、というところから始まったのに、途中からどうせ結果は不公平なのだから機会も不公平にしてしまえとなってしまったこと。そしてその機会のタイミングを大学以前に求めたことです。 人間誰しも東大を目指せるのです。 そこに経済格差は関係ありません。 教育(親)格差は大いに関係あります。ですがそこでフィルタを設けるのは社会としては出来ません。 ですから、教育機会をどの階層にでも提供できる社会を目指すべきなのです。 それに、日本がとりたてて大学進学者が多いわけではありません。 ですから、その部分に是正を求めるのは日本の成り立ち(人こそが資源)から言っても間違っていると言わざるを得ません。
補足
おっしゃりたい意味は判りますが、当方の伝えたい事柄が伝わっていない様に思いました。 根本から色々と誤解されてる様で、どうしてそうなってるのか・・・ いくつか主張させて頂きますが、 大学に行かず、独学で大卒の学力を身に付けた人と、大学に通って人から教わって学力を身に付けた人、どちらが人材として有力かと聞かれたら答えは一つですよね。 どちらの脳がより柔軟性があるのかを考慮すれば、企業が求める人材には合致するでしょうし、大学が無い社会の方が結果的に人材選びにフィルターが掛けられる訳であり、企業の人材集めは効率的になります。 企業が必要とするだろう優秀な人材(就活生が求める人気ある職種のホワイトカラー的な仕事、企画、研究系)は少ない。 仮に就活生の中から5%程度の数引き抜くだけでいいのだとしたら、大卒がこの世に何十万人も要らなくていいという事。 多分、現状の大学卒性多いだろうけれど、社会はそんなに学力ある人は求めないだろうから、大卒生そのものがもっと少なくていいいという事。 現行社会では、大学に行ってもその学んだ事柄が活かしきれない人が多いと思います。 恐らく5割くらいの人が学んだ事を無駄にしてるのではないでしょうか。(あくまで経済社会的意味です。上手く学んだ事柄を何かに活かせる場合もあるでしょう。) 経済社会的について考慮するとき、その様な社会構造を維持する大学の存在は無駄だらけであり、不要と評価する訳です。 この問題性を改善する為の案を書き出した訳ですが、それが回答者さんらに、上手く伝わっていない様子なのは、私の筆力不足なのでしょうね。ごめんなさい。
- PONPOQ
- ベストアンサー率50% (1/2)
一定レベル以上の大学を卒業する、というのはそこで教えられる程度の基礎力はもっているということ。 大学入試も同じです。 この程度の能力がある、ということを前提に物事をすすめられるわけですから、雇う側(教える側)にとって都合がいいのです。 教育格差とはいっても大学入試で求められるものは所詮教科書にかいてあることの組み合わせです。大したことは求めていません。 進学校は特待生として、大学も東大は全学生を対象に、それ以外の国公立でも規定数を対象として学費が免除されます。 本人にやる気があれば学費はほとんどかかりません。 リベラルアーツが比較的重視されているアメリカでも実学が否定されているわけではもちろんなくて、むしろより多くの学習を要求しています。 職能訓練を行うことで有名なのはドイツやオランダですが、そこでは職業選択の自由が乏しく、必ずしも本人の満足を得られるものとは言いがたいのが現状です。 それに、企業は必ずしも即戦力を求めているわけではないです。 学問を修めたものに求めるのは体系だてた理論的思考であり、、現場に求められる経験則をマニュアル化し、企業に組み込むことができる人材だからです。 愚直に努力できる、ということも重要です。すぐに仕事を投げ出すようでは話になりませんし、社会に責任転嫁するのは問題外。 技術の発展とともに要求されるものが高度になるのは仕方がないです。 他国、他者との競争の次にあるのは機械との競争です。これは避けて通れません。さらに人口が肥大化し、環境が悪化の一途をたどる現在、技術発展は必要不可欠なものであり、それによる弊害は環境を悪化させた人類が受け入れなければいけないことです。
補足
補足にて申し訳ありません。 回答者の方には ★奨学金の未返還者が増え続ける理由とは? ✩http://news.infoseek.co.jp/article/shupure_19108 の様な情報についても吟味して頂けないでしょうか? 現行の大学システムだと、学業コストはそれなりに高いものと思われます。 現状の大学システムを維持するという事は、経済格差あるだろう貧困家庭出での若者の負担は、とてつもなく大きなもので維持される事が推測され、不公平社会を肯定していく恐れがあります。 これは社会の倫理的な問題として認識するべきか否か? その是非は回答者の皆さんに委ねますが、私の個人的な思想としてはでは改変していく事が正だと判断しています。
- bari_saku
- ベストアンサー率17% (1827/10268)
>就活戦争で勝ち残る為に大学が存在するのは、大学の役目としては違うのでしょう。 確かに大学とは本来勉強する場である。 その点には同意を致しますが、仰る意味で大学を排除できたとしても、高校がそれにとって変わるだけのように思います。 (どれだけいい高校を卒業したかが指標になる)
補足
えと、それ自体は問題なのでしょうか? 解釈としては大学が無くなった分、国立大学への財政負担は無くなるし、社会全体の負担は軽減されます。 大学のシステムが無い事について、特に問題性は無い思いますが?
- potatorooms
- ベストアンサー率28% (3506/12498)
えっと、「”即戦力になる者であり、会社で覚えるべき事について飲み込み早く覚えられる人”であると思います。」は、思っているのは自由だけど、就活は失敗すると思いますよ。この人材要件は、ブラック企業の発想です。即戦力になる雛鳥 ってことですから。 企業が求めるのは、「勝ち方を知っている人」です。ルールを知っている人じゃないんです。 そして、企業がご質問者さんのいうブランドの大学 の入学者を求めるのは、少なくとも「勝った経験がある」という事実によります。 ただ、「会社で覚えるべき事について飲み込み早く覚えられる人”である」という部分も最低要件のひとつで、マニュアル1つもない状態で、「覚えるべきことを自分で学び」、目の前にある仕事を片付ける ことは、ごくごく基本要件です。教えてもらっていないからできない という人は、この最低限のラインすら満たせていませんから。 就職する人は、仕事を作る側、バイトや臨時雇いの人に「教え」「臨機応変に指導できる」人で、「教わったことをする」人は、仕事をこなす側、バイトや臨時雇いの人の業務です。 ブランド大に受かった人は、自分で考えて勉強をして、成功をした という経験をしています。特に難関大に受かった人は、1000ページのマニュアルを明日までに読め、という側ではなく、1000ページのマニュアルを明日までに作れ、という側の経験をしているんで、「ブランド」企業が求める価値を持ってるんです。 ご質問者さんのいうとおり、企業は「大学に何かを求めている」のではなく、「その大学に入った人を求めている」わけです。 ちなみに、なので、推薦で入った人を厳然と区別して評価する企業もありますし、入学に競争力を失った大学に対しては、どこの高校に入ったかを重視する企業もありますが、発想は同じです。
補足
「勝ち方を知っている人」が企業にとって重要ですか・・・ これについて議論してしまうと意見が対立する問題に発展しかねないので省略しますが、 私は断言して「勝ち方を知っている人」より「負け方を知っている人」の方が、人材として強いと思いますね。 極論すれば、負けをどう受け入れるかで人生は決まる。 負け経験のない勝利者は最終的に世の中の足を引っ張るんじゃないかと思います。
- ok-kaneto
- ベストアンサー率39% (1798/4531)
すでに中教審で学制の見直しはされています。海外の成功しているケースを参考にするなら、職業教育を早い段階から取り入れて教養の大学と職業訓練的な位置づけの職人養成に分かれていくのではないかと思います。 http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2503K_V20C13A4EA2000/
補足
リンク先を読みました。 財政負担が増える恐れがあるというニュアンスがあるのが、ちょっと評価しにくいです。 教育を手厚くすれば、社会が効率的になるという証明ができない限り、肯定できません。 財政負担を増やせば、市場の流通マネーが増えるので、GDP等の経済指標は改善に向かうので、社会が効率的になったかの様に誤解される風習が社会にあります。 背後にある、失業率や犯罪率、生活保護受給率、様々な指標を活用して、 手厚い教育をするというのが、社会上効率的になるという証明ができたのなら、中教審とやらを応援しても良いが、そういう事は恐らくされてないだろうし。。。 留学生を増やしても、それが統計的優位にグローバルに活用される事を証明できなければ、そこに資本を投じる国は、木を見て森を見ずである。 私の親戚は2名が3年~5年、留学を経験したが、2名ともグローバルな仕事はしてない。 企業がまずもってグローバルな仕事を優先的に斡旋できる社会構造がなければ意味がない。 企業の状態を改善していない段階で、留学者を増やそうとする安倍は、先走りしすぎと言える。 図書館の充実にしても、図書館に経費を割り当てるよりも、書物をデータベース化してネットに放流した方が、社会貢献度は高いと思う。 ネットにあるべきものが存在していれば、電子端末の需要は更に増えて、消費行動が煽られて景気改善税収UP 小型の電子端末は、かなり安くなってるのだから、ちょっとバイトすれば誰でも手に入る。 図書館は今以上の質を求めても意味がない。
補足
staratrasさん、質問の投稿から結構時間が経てるにも関わらず、回答して頂いてありがとうございます。 こちらの都合で申し訳ないのですが、実はこのアイデアへの情熱はダイブ失われ始めています。 回答にて大賛成する意見が一つも発生しないという状況は、そもそも社会では容認しがたいからこそだと思いますが、 そういう状況に陥るアイデアは、建設的な流には導かれる事はないものと思いますし、結果的に無意味な議論の様な印象で終わりかねません。 私としては、無意味な議論の様に終わってしまう事が一番困ります。 今まで無駄な努力をしていたのではと。事実、世の中を改善に向かわせる事が何一つできなかった訳です。 しかしならが。ここでの質問回答のやり取りの間に知識が深くなり、また脳内に散りばめられた情報が整理され、より無駄のない脳回路が形成された様に思います。(思い込みなら、笑ってください) その状態ですから、ついつい私はまた、アイデアを閃きました。 この質問に書いたアイデアと似てるのですが本質は異なります。 そのアイデアの是非について、あるいは問題性について他所で質問してます。http://qa-now.com/d/919130 手間でなく宜しければ、そちらにて回答をお願いします。 今はそのアイデアの方が、このアイデアよりも建設的に思っていて、この質問が結構どうでも良い(他意は無く情熱の薄れた心境になってます。