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真言宗のお勤めについて
私の家は元々真言宗の檀家ですが先月、高齢の母方の祖父と祖母が越してきました。 祖父の家は天台宗だったためか我が家の御本尊の前でも法華経の方便品や阿弥陀経等を 読経したりしていて祖母は「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えています。 真言宗では般若心経や観音経や光明真言であって他のお経はご法度ですよね? それとも大日様はどんなお経でも受け入れてくれるのでしょうか?
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個人的な見解になりますが、私は「御法度」だとは思いません。 確かに「宗派」から見れば、自分たちの布教しているものと違うことをしているのですからNGだと言われるかも知れません。 けれども、「宗派の意見でNG」であることでも、ご本人がそれで「救われる」と感じているならば、それはそれでOKだと思います。 真言宗は仏教の一派です。仏教=仏の教えは、こう言ってしまうと語弊がありますが、何でもアリです。 真言宗では大日如来を拝み、天台宗では法華経が一番と言い、浄土宗では南無阿弥陀仏で救われると説きます。 でも元々は全部、「仏」=ゴータマ・シッダールタの悟りからスタートしています。 その悟りの教えが弟子たちに伝えられ、弟子たちはさらに庶民に分かりやすく説くようになり、そこで大日経だの法華経だの阿弥陀経だのという経典が作られていったのです。 ですから、「うちは真言宗だから、南無大師遍照金剛しか唱えてはイカン」というのは、偏狭に過ぎることになります。 どの仏、どの経典にも、その向こう側には「ゴータマ・シッダールタの悟り」があり、すべてはそこに集約されてしまいます。 そう考えると、大日様の前で「南無阿弥陀仏」と唱えても、何も悪いことはないでしょう。 ちなみに、大日如来は法身仏と言って、永遠なる宇宙そのもの、究極の教えそのものを「神格化」したものです。つまり、すべでは大日如来から生まれ、すべては大日如来に帰するのです。真言宗ではそのように教えているはずです。 このような教えから言っても、「南無阿弥陀仏」と唱えても、法華経を読んでも、何も問題はないと考えます。 ただし。 お坊さんによったら、「何をバカなことをしているのか! 真言宗では大日様しか拝んではイカン!」と叱る方もいるとは思います。 考え方は様々です。 と、くどくどしく書いてしまいましたが、こういう宗派のお話云々より何より、おじいさま、おばあさまが「ありがたや」と唱えていらっしゃるのですから、目くじらを立ててその楽しみを取り上げてしまう方が、仏の慈悲に反するように思うのですが、如何でしょうか。
お礼
回答遅くなりました。 天台宗が顕教の視点から観た総合仏教ならば真言宗は密教の視点から観た総合仏教と言えそうですね。 そして両者とも顕密内包している。 調べましたが顕教の代表格である法華経や華厳経、阿弥陀経等も真言宗は尊んでいますね。いきなり密教を理解する事は危険であり困難という考え方から理趣経は入門まもない修行僧には授けず観音経から入るそうですね。 観法の一種である阿字観も修行が進んだ者に授け入門者には数息観や止観を授けるのと似ていますね。 最初は開かれていて分かりやすく安全な顕教の教えからスタートして修行のレベルに応じて徐々に階段を上って行き最終的には密教を極めて即身成仏に至るという教えなのですね。