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安保闘争
安保闘争最近興味あります。 あれ、今まで独立運動だと勘違いしてたんですが、右か左かの問題だったのですか? なぜマルクスの資本論を読んだのでしょうか?当時アメリカと中ソどちらが国民は好きだったのですか?どんな思いでやっていましたか? 若者で男性が参加したのですか、それとも大量に? 国会議事堂に大集結しているのが有名ですが、ほかの場所では? その後の全学連突入の話も興味あります。 よろしくお願いします。
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>だとするとソ連に接近するのは危険だと思うんですが。中ソも跳ね除ける単なる独立は検討されなかったのですか?不可能に近かったと思いますが。 あの当時、ソ連や共産主義が危険なものという認識は薄かったのです。シベリア抑留のことは後になっていろいろ話が出ましたが、その頃はほとんどの日本人は知りませんでした。マスコミが報道しなかったので。新聞だけで、テレビはまだありませんでした。朝日新聞など左よりのマスコミが、ソ連や共産主義はいいものだという報道をしていましたし。 今と違ってその頃は中国はまったく問題になりませんでした。極貧の途上国で、世界的影響は皆無でしたから。 安保の8年前に、アメリカを中心とした西側連合国とのサンフランシスコ条約で日本の独立が認められたのですが(いわゆる単独講和)、東大の先生方や朝日新聞や共産党など革新政党は、ソ連など共産陣営を含めた全面講和を主張しました。世論がまっぷたつに割れましたが、当時の首相吉田茂が単独講和を強行したので、ソ連の影響を封じられました。当時は東西冷戦のまっただ中だったので、もしそうしなかったら、今の日本は朝鮮半島と同じ状態になっていたでしょう。アメリカとソ連に分断されていたでしょう。そうならなくてつくづく良かったです。 長々と説明しましたが、あの頃は共産主義とソ連が大好きな日本人がたくさんいたのです。特に東大総長南原繁氏がそれを主張したので、東大の大先生がそう言うならと信じた日本人が多かったのです。だからソ連との講和は現実性があり、不可能に近くはなかったのです。 そう言うさなかの安保闘争でした。あの時運悪く岸首相が安保改定を諦めていたら、今の日本はなかったでしょう。アメリカとソ連に股裂きにされていたでしょう。もしかすると共産主義政権が出来ていたかもしれません。その可能性はあったし、もし出来ていたら共産革命と同じです。 今はソ連の脅威はなくなりましたが、それに代わって中国が台頭してきています。最近東アジア共同体などと、中国とアメリカを天秤に掛ける政治家やマスコミが出始めています。あの頃の単独講和か全面講和かという話に似ています。またもや日本は危うくなっていますね。
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- dragon-man
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>今まで独立運動だと勘違いしてたんですが、 まあ、気分としてはある意味独立運動に近かったのかもしれません。戦後15年、アメリカに占領され、教育も憲法も、企業活動も何もかも、進駐軍の言うがままでした。まともな軍隊も持たせてもらえず、その挙げ句に日本の防衛をアメリカ軍に委ねる条約が出来はじめたので、それに反対したのですから。 >右か左かの問題だったのですか? 問題そのものはそうではありませんでしたが、運動の主導権を取ったのが、反米に凝り固まった共産党など革新政党、日教組、労働組合、大学のマルクス経済学者、左翼評論家などですから、完全に左翼的運動であったことは確かです。当時まだ世界的に影響力を持っていた、ソ連のコミンテルン(ソ連共産党の海外宣伝部みたいなもの)が安保闘争に大きな影響を与えたこともありました。そう言う意味で、共産革命の色彩が大いにありました。共産党、社会党、日教組、大学のマル経先生はそう言う期待を持っていました。共産党などその一部はいまだに持っている気配があります。 >なぜマルクスの資本論を読んだのでしょうか? あの頃のインテリはマルクスが大好きでした。東大を始め、大学の経済学部はマルクス経済しか教えませんでした。マルクスの資本論は内容が精緻で、大変難しく、あれを全部読み通した人は、世界中でほんの一握りしかいませんでしたが、みんなマルクス経済とその結論である共産主義がいいものだと信じ込まされていました。オウム真理教と同じ、一種の催眠術です。1989年にソ連が崩壊したとき、あれは真っ赤な嘘だったと、世界中が知りました。日本も知りました。でもあれは間違いだったと認めた東大経済学部のマル経の先生は、いまだに一人もいません。恥知らずの典型です。 >当時アメリカと中ソどちらが国民は好きだったのですか? 馬鹿な話ですが、それでも日本人は圧倒的にアメリカが好きでした。ソ連は嫌いでした。今でも状況は同じでしょう。 >どんな思いでやっていましたか? 単純に安保が改正されないと、いい世の中になると思ってやっていましたよ。いつの世も、国民の多くは政治や世界情勢のことを知らないのですね。何が正しくて、何が間違いか分からないのですね。誰かに気の利いたことを言われると、すぐ騙されるのですね。あの後何度騙されたことか。3年半前もそうでしたね。政権交代すればいい世の中になると。民主党がどんな政党かも考えずに。 >若者で男性が参加したのですか、それとも大量に? 全国の多くの大学生が参加しましたよ。授業もほったらかして、デモ隊に加わって、訳も分からずアンポハンタイって叫んでいました。シュプレヒコールというのです。 >国会議事堂に大集結しているのが有名ですが、ほかの場所では? 日本全国の鉄道の駅を占拠して、列車を止めました。工場や企業でゼネストをやって、生産を止めました。大学の教室の前にピケを張って授業を妨害しました。国会議事堂は単にシンボルのようなもので、それ以外の方が断然動員数は多かったです。 >その後の全学連突入の話も興味あります。 全学連だけが突入したのではなく、全学連はデモ隊の一部でした。東大の女子学生が死んだので、、いっぺんにシュンとなりました。まあ共産党など根っからの左翼主義者達にそそのかされた若者達でしたから。 もう50年以上も前のこと。日本はいつになったらもう少しまともな国になるのでしょう。
お礼
うむー。奥が深いですね。ありがとうございます。ソ連のシベリア収容所の話は当時正確伝わっていたのですか?だとするとソ連に接近するのは危険だと思うんですが。中ソも跳ね除ける単なる独立は検討されなかったのですか?不可能に近かったと思いますが。
- osakajapan2001
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こうも沢山の御質問回答者も困るでしょう 貴方御自身が新聞社でも赴いて調べたほうが理解しやすいと思います 階級闘争に名を借りた思想的闘争だったのですが それでは判らないでしょう
- hekiyu
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”今まで独立運動だと勘違いしてたんですが、右か左かの問題だったのですか” ↑ 独立? どこから誰が独立するのでしょうか。 あれは、日米が安全保障条約を締結する、というので ソ連派、中立派が反対した闘争です。 この安保条約は、日本と米国が軍事、経済でタッグを 組んで、ソ連や中国と対抗していこうとするものです。 つまり、米ソ冷戦の一端です。 だからソ連派、中立派が反対した訳です。 ”なぜマルクスの資本論を読んだのでしょうか?” ↑ 今でこそ、社会主義は力を失っていますが、 当時は文化人や学生の多くがマルクス主義にかぶれていて、 米国よりもソ連と仲良くなった方がよい、と思っている 人が沢山いたのです。 ソ連と仲良くなった後は、中国とも仲良くなり、日本も 社会主義にしようという連中が資本論を読んだのです。 いや、資本論を読んでソ連や中国みたいな社会主義にしたい と思った人がいたのです。 ちなみに、資本論が一番売れた国はソ連でしたが 2番目に売れた国は日本でした。 ”当時アメリカと中ソどちらが国民は好きだったのですか?” ↑ 「無知」な庶民は社会主義に、なんとなく胡散臭さを感じて いたようです。 私の祖父がそうでした。 あんな、夢みたいな社会なんかできる訳がない。 しかし、知識人は違います。 資本論は説得力がありますので、すっかり騙されました。 それはマスコミにまで及びました。 朝日、毎日が未だに左がかっているのは、当時の人間が 幹部になっているからだと言われています。 それでも当時のマスコミは、米国でもソ連でもない 中立を目指せ、というのが多かったですね。 読売は安保条約の経済協力を重視して、これを支持していました。 ”どんな思いでやっていましたか?” ↑ それでも、社会主義を表に出す人は少なかったと思います。 中立派が多かったのではないでしょうか。 マルクスにかぶれた連中は、過激化して、赤軍にまで 昇格しました。 浅間山荘事件などは覚えている人が多いでしょう。 ”若者で男性が参加したのですか、それとも大量に?” ↑ 学生が多かったです。 学生は頭でっかちで世間知らずですから、書物だけの 知識で、コロッと騙されます。 女学生も沢山いました。 警察との闘争よりも、内ゲバと称する仲間内の凄惨なリンチが 話題を呼びました。 日大が有名です。 ”国会議事堂に大集結しているのが有名ですが、ほかの場所では?” ↑ 大学構内が有名です。 東大、早稲田、日大の大学構内で機動隊とやり合っています。 それから、一般道でも頑張っていました。 商店街の親父さん達が怒っていました。 これじゃ、商売あがったりだ。
お礼
ありがとうございます。敗戦ですべてが変わりましたね。本当は独立したいというのは皆同じ思いだったと思いますが。今思うと本当に独立できるのはいつだったと思いますか?
お礼
ありがとうございます。歴史見るとこの国は綱渡りの国ですね。よく奇跡的に日本を残せたものです。いままた綱渡りになってますが残さねば。