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斉藤 茂吉さんのこと
斉藤茂吉さんのおもしろ話があったら教えてください できるだけ早く回答をお待ちしてます!
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noname#217196
回答No.1
話し言葉は郷里の山形弁で通したらしい。 参考:『座談会昭和文学史 一』(井上ひさし・小森陽一編著、集英社) 第一章 大正から昭和へ(加藤周一を交えた鼎談) pp.97~ 加藤 方言ということでは、意識的に東京を拒絶した人が斎藤茂吉です。茂吉には、出身地の山形弁が強く残っていた。彼は、中学生の時に東京に出てきて、東京で暮らしている。東京の言葉を話そうと思えば、彼ぐらいの人ならわけないことです。しかし、彼は東京人と違うことを示すために、山形弁を残した。 息子の北杜夫の小説『楡家の人びと』はドイツの小説『ブッデンブローク家の人々』を意識して、斎藤茂吉家の逸話をとりまぜ書いたようで、精神病院経営、親類縁者の一人を角界入りさせ支援したことなど、符合する事例も多いようです。
お礼
遅くなってすみません とても参考になりました ありがとうございます!!