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○○に正解

「○○に正解はありません」っていいますか? 例えば「人生の送り方に正解はありません。」とか 「人生の送り方にどれが正解かはわかりません。」ですよね?

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  • fxq11011
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回答No.5

逆は必ずしも真ならず、とも言います。 正解でないなら、ダメなのか? 正解って何なのか、定義はないはずです、人生に限りません、世の中の出来事で、正解かどうかは歴史でしかわかりません。 現実に生きている間に、(あなたの)人生は正解だ、と言ってくれる人はいません(お世辞やたいして重要でない話の中ではあり得ますが)。 正解と言えるのは、本来数学の答えのように答えの数が限定されているときです。 >「人生の送り方に正解はありません 人生訓としては、大いに賛同します、正解の意味にもよりますが、楽して幸せな人生の送り方なんてだれも教えてくれません。 >「人生の送り方にどれが正解かはわかりません。」ですよね 違うという考えもあり得ます、正解の定義によります、個々の人生はすべて正解です(正解という言葉をあえて使いたいなら)、それが現実である以上不正解=虚偽とは言えません。 私の人生は私だけのもの(オンリーワン)、比較の対象がない以上正解というためには不正解のサンプルが必要になります。 人生の中の、特定のことについての比較は可能でしょう。

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noname#194996
noname#194996
回答No.4

国語の問題ですね。 >「○○に正解はありません」 ○○の内容次第だと思いますが、言い方として間違いではないと思います。 この3つの選択肢の中に正解はありません こういう「言い方」はよくします。 人生の送り方に正解はありません これはそういう思想をもつひともいるかもしれないという程度で、異様な文意ですが、国語的には間違いではないでしょうね。 >人生の送り方にどれが正解かはわかりません。」 前記の文よりは常識に近いと思いますが、日本語としては正しいとははいえません。 人生の送り方にどれが正解だといえるものはありません。 このほうが日本語としてはこなれた言い方だと思います。もっとも、私はこの考え方を支持はしません。 人生の送り方はもちろんただひとつではありませんが、正解といわれるものは少なくないと思っています。 >何が正解かはありません これは日本語としては成り立っていないと思います。

  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4336)
回答No.3

「どれが」というと正解を含むいくつかの項目が設けられている。 それを前提として、その範疇でという意味になりませんか。 自分がそれで良しとするなら、それがその人にとっての正解だと思います。 「人生の送り方に正解はありません」を支持します。 ただテーマによって変わってくると思います。 OO健康法などというのが沢山あります。それはその人に合ったものを選ぶべきで、 どれでも良いわけではないので、健康法はどれが正解かはわかりません。

noname#180307
質問者

お礼

例えば「人生に…」に対して、 「正解は1つじゃない」 「絶対的な正解はない」 「不正解はない」 「何が正解かはない」 などなら、いろんな生き方があっていいという意味な気がしますが、 「正解はない」だと、じゃあ私の今の人生もダメであなたの人生もダメで総理大臣の人生もダメでこれから生まれてくる人の人生もだめなものなの?となりますよね?

  • Tasuke22
  • ベストアンサー率33% (1799/5383)
回答No.2

質問者様の仰っていることは言い方の問題ではなく、思想の問題です。 人生に必ず正解があるという前提の意見と、そうでない人の意見に分かれているわけです。 意見が違うので言い方が異なるのは当然でしょう。

noname#180307
質問者

お礼

ありがとうございます。 思想うんぬんではなく一般的な言い方を伺いたかったのですが 確かですが、以前「正解はありません。」は違うというふうに耳にした気がするのです。 一般的なものは「何が正解かはありません。」でしたっけ?

noname#176106
noname#176106
回答No.1

○○に正解はありません とは、その時その時によって答えは変わるもの ということでしょうね。 どれが正解かはわかりません だと選択肢があることを前提としているので、 対象がなんなのかは不明になってしまいます。(どれ、とは何を指しているのか?不明です) ?がなにかは解らないと答えは出ませんよね。 質問者が示した答えが答えなので、正解と答えは違う、ということですね。 言い換えるとするなら、○○の正解は、○○の対象同士で決める、決まる。 これでしょう。 接客の正解は、接客する者とされる者。これによってのみ導かれる。 どれが正解かはわかりません だと、 どれがなんなのか解らない。 だからなのでしょう。 子供に、人生の送り方にどれが正解かはわかりません。だと、どれってどれ?と突っ込まれます。多分。 正解はありません。だと、じゃあなにがあるの?になります。おそらく。 そこですかさず、 そこにあるもの同士、その者同士で正解を見つける。 これでイケます。・・・多分。。。

noname#180307
質問者

お礼

ありがとうございます。 でもそれ長くて使いづらいですね。 それに「○○に…正解はありません。」という言葉は確かに存在していたような気がします。 「どれが…」ではなく「何が正解かはありません」ならしっくり来ませんか?