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世の中には偽者がはびこる訳
- 偽者がはびこる理由と教育の重要性について考えてみましょう。
- 偽物が存在することは古くからの問題であり、現代でも存在しています。
- 教育の荒廃や楽な詐欺が利口とされる風潮に対して疑問を抱くことは重要です。
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日本は『恥』の文化だと言った人が居るそうですが。 偽物が自分が偽物であると恥じてさえ居てくれれば、私は腹立たしさが多少マシなんですよね。 自分は努力する事ができない堪え性のない人間である。そのくせ、生きていくためだけでなく、遊ぶ金も欲しいなんて贅沢な気持ちを抑えきれずに、詐欺のような手段に手を出してしまうバカな人間だ。 とでも考えてくれていれば、同じ詐欺師でもかなりマシ。 (被害者にとってはどっちもどっちでしょうが) そんな『恥』も自覚しないばかりか、自分達のような者こそ頭がいい、などと考えるのは正直腹に据えかねます。 まあ、恥知らずな人間は逆に強いですね。 捨てる物を何も持っていない人間は強い、なんて言い回しもありますが、心の中にさえ捨てる物を持っていない、恥も逆にプライドも持っていない人間には、何を言っても通じないし相手にしても敵いません。 個人的には、教育というよりも躾の問題。もっと言えば、その当人の資質の根っ子は恥知らずな人間だという問題だと感じます。 身内の方を悪くいう事になって申し訳ありませんが、弟さんの例のみではなく、色々と当方周囲の人間の話、周囲から聞こえてくる人間の話、あるいはニュース報道されるような事件などからの話なども含めて、当方が感じている事を書かせていただきました。
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- princelilac
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>何故地道な努力がバカなのか、何故楽な詐欺が利口なの >か。その辺りの間違いを教える教師がいないのも事実です。 人間としての生き方とか価値観の問題です。そんなことまで教師に頼っているようでは、甘いとしか言いようがありません。家族の躾くらい家族が責任を果たして欲しいものですが、最近の家庭教育は何でも他人に責任を押し付ける「モンスター」が多すぎます。 「日曜日に近所の子供が煩くてたまらない、学校ではどんな教育をしているのか?」「数人の子供が道いっぱいに広がって歩くので車の運転がしにくくて迷惑だ。学校では何を教えているのか?」自分の無能さを棚に上げて、責任転嫁して済ませていればたやすいものです。 馬鹿につける薬はありません。殴られなくては分からないのが馬鹿者の限界です。
お礼
これは生き方や価値観の問題ではありません。 詐欺は立派な犯罪です。家庭で法律論を諭しても 弟のような人間には通じません。 また私の親もそういう人間でしたから弟は親を手本 としていたと思います。 楽して金を儲けたらそれに越したことはない、という のが私の親の教育論でしたね。 ですから私は親に疎まれて育ちました。 私が競技会で勝ち抜いて持ってきた賞状や賞品は 私の親にしてみればいらない物だったようです。
補足
もう少し補足すれば、これは今の教育に最も足りないところ だと思います。 ただ、勝てば良い。相手を倒せば良いという考えに正面斬っ て反論できない教師が多すぎる。 その内に勝てば官軍みたいな理論がまかり通って、社会人 になってもなりすましやワイロ、そしてスパイ活動を平気で やるようになる人間を正当化する。 そのような反社会的な事をして成り上がる人間を出世男(女) と言って持ち上げる。 そして警察に捕まっても、その内刑務所から出てくるからその 時は暖かく迎えてやろう。と言う。 そういう気風を変えない限り、そんな人間のマネをして誰から も相手にされないバカを生むんです。
少し偏見があるようですが、自分より優れた人を手本にする行為は当たり前なのではと思います。 ただ偽称や盗作は犯罪ですが、予め「ものまね」として語れば問題無いと思います。
お礼
あまりに美意識が乏しいと思うので書きますが、人マネだけ で満足する人生で明日食う飯が美味いですか。 弟はどんなに美味い料理も不味そうに食う人間でした。 心に満足感が無い人間とはそういうものです。 私にも師匠がいますが、「技はマネできても人生はマネできない」 と言う人でしたね。 だから「私は**さんの弟子です」とは絶対言わなかったし 私の美意識もそこにありました。 ですから練習にしても自分で考えて自分でやってみることの 繰り返しでした。 私には私の人生があるし、弟にも人生があります。また世の中 の人全部にそれぞれの人生があります。 人それぞれに人生を悔いなく生きることが大切だと思いますよ。
- narcis1192
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私も人間の質を高めるためには教育が重要だと思います。 ただ、最近の教育者は熱意というか、本気で子供を思いやることに欠けている気がします。子供も本気で向き合わないと思いも伝わりませんし、何も学んでくれません。 何かを学ぶには意欲が必要で、そのためには憧れや夢などが重要であると私は考えます。 教育者は子供になめられるようでは何も教えられません。憧れの対象とまではならなくても、信頼される人物でないといけない。 子供のころにそういった立派な大人に出会うことでその人物の中で正しい人間像というものが出来上がります。 努力ができない人などは自分を客観的に認知することができないのだと思います。人格者を知らなければ、自分を正当化するしかないのです。 自分は本当にそんな人間になって満足なのか。と、考えることも出来なくなってしまうのでしょう。 弟さんには論語を勧めてみてはいかがでしょうか? 昔の武士は論語をよく学び武士道を磨いていたと聞きます。宗教なども本来は倫理などを教える役割を持ってはいるのですが、学ぶだけなら論語のほうがよいでしょう。
お礼
すみません、色々と御教授いただいて恐縮なのですが、 弟には論語は無理です。実は弟は読書障害者で三行 以上の文章は頭に入らないようです。それでは学校で の勉学に支障があると思うでしょうが、文章は読んだり 書いたりしなくても良い科目(化学、科学)などで記号 を覚えることでなんとかやっていたようです。 以前、旅の雑誌を買ってきて読んでいるようだなと思っ ていたのですが、駅弁の取材記事が書いてあったので 一緒に旅行に行ったときに駅弁を買ってきたら、「これ は弁当だ。駅弁じゃない」と言ってました。私は「駅で 売っている弁当だから駅弁だよ」と言うと「駅弁って言う のは駅の便所だ」と言ってました。あの駅弁の記事は 何だったんだと思いましたが弟曰く「二日もかけて電車 に乗っているのはノロマのすることだ。あれは駅のろ だ」と言ってました。
- kyo-mogu
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偽物も悪い面もありますが、ある意味良い面もあります。 まず、まねをするという事は、その技術を知ることです。私たちが話せるのは、すでに話している親達の言葉をまねをして、動作なども覚えていきます。まねをすると言う事はごく普通の事でもあります。 それと、本物だけでは、本物を失えば終わりですが、本物を危険から避けるために、本物そっくりな物を用意します。人なら影武者、物ならレプリカです。このレプリカも大切で、学問的にレプリカを制作し、多くの研究機関に資料として渡す事が出来ます。形状などであれば十分です。成分は本物でしか無理ですが。 それと、技術の再現として、同じ成分で同じような作り方をしているのですが、本物と同じには出来ないと言う事もあります。銅鐸がありますが、再現したときに、本物は薄い、再現した物はそれより厚いものになったそうです。現代の技術を持っても難しいそうです。 それと、同じ技術の継承として、建築物の補修などでも必要となります。伊勢神宮の遷宮でも、建築技術などの継承もありますので、優れた物をまねることで技術の継承が可能です。映像や写真だけではつながらないのです。 一旦途絶えた伝統文化は、復活の際、どうして?という事が多々あり、なかなか復活が困難なケースもあります。 ただ、そういった優れた面もありますが、やはり騙して行く人物も出来るわけです。それは、その人が悪いだけで、偽物が悪いという訳でもないですよ。 まねるという行為は、普通の事ですからね。ミラーニューロンとか出てきて居ますし。相手と同じ行動をとるもので、それにり親近感が出てきたりするそうですよ。
お礼
そういう考え方もありますか。マネることや模倣することで 技術を継承することも可能だということなら、それも大切 だということですかね。 しかし「なんでも鑑定団」に出てくる贋作はそういうレベル のものではないですね。 中島誠之助氏の言葉に「これはひどい贋作ですね。良い ところが全く無い。よくこんなものを作ったものだ。最初か ら人を騙す目的で作られている」とあります。 贋作、偽者とはそういうものでしょう。レプリカや技術継承 を目的としたものはマネではありません。
お礼
そうですね、弟は暴力と威圧で人はどうとでもなると 思っていたところがありました。 しかし格闘となるとからっきしで素人同然でしたので いざ闘うとなると全く駄目です。 結局、口先で詐欺を働くことしかできない人間でした ね。